やっぱり偉大... と思った、結弦くんが大切にするプログラムの存在 | 君の見ている風景 〜羽生結弦選手応援ブログ〜

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魅了されたきっかけは2011年GPFの悲愴&ロミオ。
何年経っても変わらない羽生結弦選手のスケートに対する情熱に今も惹かれ続け、心から応援中。

今日もメダリスト会見の感想の続きです


「どん底に落ち切ってという話がありましたが、時期的にはいつ頃のことですか」からです


ひとつ前の記事で書いたことと少し被っちゃう部分もありますが、その続きとしてこちらの方も書いておこうかな...


今日もスポニチさんのこちらの記事と、マガジンさんを参考にさせていただきます

いや、結構、長くてその期間は。

ほんと10月、11月くらいまで、10月終わりくらいまでありました。

ただ、そこから少しずつコーチたちにメールして、ビデオ送って、こんな風になっているんだけど、どう思いますか?とかいろいろアドバイスをもらったりとか、頼ることができはじめて。

で、その上で、もちろん、ライブでそんな会話とかできるわけじゃないですし、自分の感覚と自分の今までの経験で練習を構築していくしかないんですけど。

でも、そういう意味ではやっと、ほんとにやっと、自分がここまでスケートをやってきて、やっぱ鍵山選手も、宇野選手も、やっぱどんどんどんどん技術的にうまくなっていってて、なんていうんですかね、なんか年寄りみたいな感覚が、自分の中であって、固定概念みたいなのがあって。

どんどん技術的に落ちるんだろうな、みたいな。

アクセル練習すれば、4回転アクセル練習すれば、どんどん他のジャンプも崩れていくし、ダメになっていくし、足も痛くなるし。

そういったなんか悪いスパイラルに入っている中で、やっと自分が長年経験してきたこと、ケガしたこととか、平昌のこととか、あとは自分がうまくできた時のこととか、そういったものを消化して、ベテランらしく、うん、ちょっとはいい演技が、いい練習ができるようになったんじゃないかなという風に思っています。



どんどん技術的に落ちるんだろうなという固定観念や、年寄りみたいな感覚が結弦くんの中にあったのね...


これ知った時、「結弦くーん‼︎ 全然年寄りなんかじゃないよーーー‼︎( ;  ; )」って、声を大にして言いたかったよー!


だけど、一緒に戦ってきた先輩や同期が少しづつ競技から離れていき、それと同時に若い世代の子達がめざましい成長とともに活躍するようになって...


その中で競技をずっと続けてきた訳だから、そう感じるのも無理もないよね...


そこで頑張ることができるのは、まだ出来ると実感出来ることだったり、目指すものの存在があるからで


結弦くんにとっては、その存在が4Aなんですよね...


その存在である4Aを練習するけれど、3Aまで跳べなくなってしまったり、足を痛めてしまったり


そのことが、技術面で自分が行き詰まっているように感じてしまったのかな...
 

色々自分でやれども、あまりにマイナスだけが数多く重なっていったことが、結弦くんの言葉達からとても分かるから


結弦くんがやめたいって思うまでになってしまった気持ちは、痛いほど分かる...


それでも「春よ、来い」と「ロシアより愛を込めて」をやって少し前に踏み出せて、そこからコーチ達にも頼ることが出来始めたのね


「こういう状況の中でコーチを呼ぶのも、やはりコーチたちにも悪いですし、なにより、あの、もし1人でできるのであれば、世の中的に自分が胸張って試合に出られるのは、やはり、コーチを呼ぶべきじゃないと自分の中では決断したので」


この言葉からも分かるように、それまで連絡を控えていただろうことも、結弦くんの気遣いからだと思う


そうやって少しづつ誰かに頼ることが出来るようになったのも、「自分のために」の感情が生まれたことがとても大きかったと思うし


その感情へと導いた、結弦くんのプログラム達の存在は、本当に偉大だなって...


結弦くんがどんなに辛い時でも、プログラム達はいつも結弦くんに大切なことを教えてくれますものね...


だからその時その時で結弦くんがプログラムに込める想いを大切にしたいし、理解したい


そして私も、たくさん愛したいです





この質問の感想がまだあるのですけれど、今日は書ききれなさそうなので、次の記事に続きます








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