スーパーメディア評論!フリーライター石森邦雄が語る”ゆろゆき×勝間和代”の対談

最近、私、石森邦雄は北海道の文学部を出たときのような、懐かしいジャーナリズムの討論を思い出すことが多くなった。その中でインターネットについて論じたゆろゆき×勝間和代の対談集があったので、少し興味を持って私なりの論議を展開してみたいと思う。


『勝:どうやってインターネット の中である程度のルールをもって確保するような環境を作りたいかということ』


とあるが、これに関してはまったくの賛成である! 最近はまったく無責任に匿名性を利用してインターネットで、事実無根の誹謗中傷をする人が非常に多くいる。このようなことが続いてしまうと、最終的にはインターネットの信頼性を失うことになり、メディアとして非常に問題ではないであろうか?


そこで、ひろゆき氏は次のように考えている。


『ひ:それは教育じゃないですか。人がどう考えるかであって別にサービスの提供者がやることではない。』


確かに教育が重要であることは間違いないことであろう。昨今の学校や社会環境を見ると、このような自由奔放なインターネットの環境について「悪いこと」「不安要素」などについては教えるが、しっかりとしたルール作りは大人であるわれわれでさえ、放任しているところである。サービスの提供者だけに責任を帰することは難しいといえるであろう。




また、このほかにも、最近になって物議をかもしている2ちゃんねるについても論議があった。


『勝:実際2ちゃんねる で非常に有益なスレッド もあって面白い議論もあれば、まさしくその、なんでしょう、鬱憤ばらしのための批判であるとか揚げ足取りであるようなスレッド もたくさんありますよね。』






これは、まさにインターネットが抱える問題をまさに浮き彫りにした問題ということがいえるのではないであろうか。このような問題を解決することによって、より我々にとってメディアとはどのようなものであるのかを考えるきっかけを生むことにつながっていくと思う。そして、ひろゆき氏がさらにこの問題について厳しい追求をしている。


『ひ:で、ファーストネームとラストネームを書いて、誹謗中傷 を書いた人がいました。でも結局書いた人が誰だかわかりませんって言う方が問題じゃないですか?』



まさに、誹謗や中傷をした人物は紛れも無く、名誉毀損罪に該当するのに、あまりに小さな案件であるから、それが見過ごされてしまっているところがある。そのような救済措置が現在は国や公共機関に無く、結局自力で解決するような問題になってしまうと、個人としてはきわめて不利な立場に立たされることにつながってしまうということがいえるであろう。


さらに次のような指摘が将来のネット環境についての将来性を我々に考えされる論議ではないであろうか?





勝:いや、違います。リアルではちゃんと名前名乗って自分がどういう人だかを開示して相手の信頼を得ようとするのに、何故インターネット だけ匿名 で良いんですか?


まさに、インターネットだけに許された、メディアとしての責任や義務を誰が一体、負うべきであるのか? これからますます拡大し続ける情報媒体としての社会的な責任をもっと我々が論議することが必要になってきたということがいえるであろう。