17歳の時父方の爺さんが亡くなる。だから一年前かね。
父爺とは一緒に暮らして居た訳だが、両親は仕事で殆ど家にいたことが無いので、俺と妹は父方の爺さん婆さんが育ててきた。
爺さんとの思い出と言えば、いっつもキセルをふかしてテレビを見てる姿だ。寡黙な人で殆どしゃべらない人だった。なんでもやって食べて行かなきゃならない土地柄だったので、たんぼもやってた。
田植えや稲刈りの時は小学生ながらよく手伝いに行ってた。それがめっさ楽しくてね。今でも思い出す。
爺さんは俺が学校から帰るとキセルをふかしながらテレビを見てて、俺と遊んであげなきゃいけないと思うのか、決まって将棋の相手をさせられた。
殆ど毎日やってて勝敗は良く覚えてない。
高校の時、部活動とは別にクラブ活動の時間ってのがあって、俺は何故か将棋倶楽部だった。
全然人が居ないクラブで、科学担当のお寺の坊主が顧問でね。毎回俺と勝負してたが、負けたことが無い。
だから爺さんの腕も相当なもんだったんだろうと思うよ。
オールバックのヤンキーと禿坊主が将棋をさす画は思い出しても笑える。
俺が高校の時は、爺さんはもう寝たきりで。良く婆さんが俺の部屋まで上がってきて、俺に爺さんを風呂に入れてくれと頼みに来てた。
不思議と連れたちが居る時には来なかったので遠慮してたんだろう。溜まり場だったから声を頼みにくかったのかもしれん。
今思えばもっと気を使うべきだったと思う。すまん、婆さん。
爺さんは安倍川餅が大好きで、手足が不自由になってもそれを食べたいと言ってたらしい。
ある日、婆さんが街の学校に行く俺に1000円札を渡し安倍川餅を買ってきてくれと頼まれたことがある。
買って帰ると、家に誰も居ない。
爺さんだけがベッドの上で寝てた。起きてるのかわからないので安倍川餅を爺さんの枕もとにそっと置いておいたら。
帰宅した婆さんが悲鳴を上げてた。
爺さんが手と足が使えないので、わんこみたいに安倍川餅の中に顔を突っ込んで食べたらしい。
布団がきなこ地獄になったと言う。
物凄い執念だな~とその時はおもったもんさ。
とある日帰ったら人がいっぱい居て、爺さんが座敷の真中で寝てた。
母親と婆さんは泣いていた。
婆さんとの思い出は、笑顔だね。銀歯だらけの歯を見せながらしわしわの目じりを下げてね、本当やさしそうに笑ってた。
夜に両親が居ない俺達は決まって爺さん婆さんと寝てた。
センベエ布団って知ってるか?。
爺さんと婆さんの布団は敷布団もぺらっぺらのうすうすで。多分、綿が少し入ってるだけで。
それにぺらっぺらの掛布団を2,3枚かけて寝る。冬なんかやたら厚い毛布も。
婆さんの寝床に入ると布団がとっても重くて。なんかやたら落ち着いて、リラックスして寝れた気がする。
なんだろうね、あの重さが守られてる感じがしたんだろうか。体にずっしりくる布団が懐かしい。
両親が家に居ないので、当然飯は婆さんがつくってた。
昔の年寄がつくるものだから、漬物とか白菜の浅漬けとかきんぴらとか魚の煮たのとか。
俺は婆さんがつくる「おはづけ」と言う菜っ葉の漬物が大好きで。きんぴらもちょっぴりからくてね。本当に大好きだった。
法事の時につくる五目飯やお蕎麦も大好きで、良く食べたいと言ってた気がする。
今でも婆さん以上の味に出会ったことは無い。それ位精進料理系は最高でした。貧乏人だからそゆの上手だったんだろうね。
爺さんが亡くなる時、婆さんに向かって「すぐに迎えに来るから」と言って息をを引き取ったらしい。
その数か月後、婆さんも亡くなりました。
あの二人の姿が、今でも俺の理想の夫婦像です。
半端もんだから無理かもだけど。