これは、とある自殺願望者の
過去の生い立ちを記したものだ。
その人が生きた証を
過去を、ここに残したい。




1994年10月20日
神奈川県横浜市にて一人の女の子が
大きい泣き声で生まれてきた。

体重も体調も申し分なく
すくすくと育っていった。
母方のおばあちゃんは
僕が可愛くて仕方なかったそうだ。


父は、僕の誕生を
泣いて喜んでいた、と母に聞かされた。
瑛理。いとしのエリーが
大好きだった父がつけた名前。

瑛『透明な玉。水晶。玉の光』
理『整える。正しい』

透明に水晶のように光る玉は
人を正しく整えるように。

という名前の由来だと聞いたことがある。
素敵な名前だと、今でも思う。


1996年11月9日
弟が生まれた。ゆうただ。
ゆうたが生まれたことをぼくは喜び、
ぼくが三歳になった時に
ゆうたの面倒をよく見たという。
ただ、お節介焼きは昔から変わらない
と母に言われたことがある。


ミルクをあげたがるがあげるときに
蓋が緩んでおり弟の顔面にダイブ
(何故か弟は笑っていたそう)
髪の毛を切ると言い出し
どっからかハサミを持ち出し剪定
(もはやカットではなかった)
などなど、幼少期の頃からわんぱくで
数々の武勇伝を残してきた。


ぼくは、ゆうたが可愛くて
可愛くて仕方なかった。
守らなくてわ。その意識が強く
ゆうたをいじめるやつは
許せなかった記憶がある。


ゆうたは、僕と違って
昔から勉強もスポーツもよくでき、
人の言うことをよく聞ける
素直で優しい子だった。


一方僕は、いつも悪さが見つかり
よく怒られるタイプだった。



低学年の頃、弟に強く嫉妬した。
なにをしてもほめられる弟
なにをしても怒られる僕
なぜ親は僕を叱るのか
僕にはわからなかった。
怒られることが怖くて仕方なかった。


小学五年生からいじめが始まった。
親は、僕のいうことなんて
微塵も信じてくれなかった。
ぼくは、嘘をついて怒られない事を
必死に考えてみたがすればするほど
親は僕を怒鳴りつけて、殴りつけた。


ご飯の食べ方が気に入らない。
いることが気に入らない。
目が合ったから気に食わない。
など、理不尽な理由の
しつけという名の虐待の日々。


うまれてこなければよかったのに
お前はほんとにいらない子
出来が悪い。うちの子ではない。
娘であることが恥だ。と
言い聞かされた。



最初は負けずに頑張ってた僕も
とうとう限界を迎えた。


僕が、生まれてきたから
人は不幸になるんだと言い聞かせた。
そっから、人と関わるのが怖かった。


また嫌われて一人になったら、
またいじめられたら、
誰かが不幸になったら
そう思うだけで死にたくなった。


死にたいを繰り返す日々。
病気は進行し続けた。


ある日、精神科に行くことにした。
うつ病とパニック障害ですね
そう無表情で告げた医師。


出された薬を飲む。
安定剤は不安になった時にすぐ飲むこと
睡眠薬は寝れない時にと言われた


安定剤を飲んでも飲んでも
効かないことにさらに不安を覚え
薬の回数、量は増えた。
当時仲良かった人が同じ病気だった。
その人に栄養ドリンクと
併用して飲むとよく決まる。と言われた
ぼくたちの通ってた精神科で
処方されてた薬はぎりぎり
法律に触れていない麻薬がはいっており
気分をとても楽しくさせてくれた。


薬が、やめられなくなった。
明らかに周りには薬をしてると
言われ続けていたがそんなこと、
微塵も気にならなくなってた。



そんなある日、友達に
泣き笑いをしながら電話をしていた。
そこから記憶がなくなり、
朝起きたら部屋が血まみれになっていた。
とりあえず薬を決めて
改めて部屋を見渡す。
あちらこちらに血痕が残る。


そこで初めて気がついた。
リストカットをしていたことに。
そこからだろう。
切ることが楽しくて仕方ないのは。


だが、そっから薬はやめた。
薬なんて使わなくても
生きていける体が欲しかった。
普通、になりたかったから。



この世の中で、
ひとりぼっちなんてことはない。
誰かに支えられている。
なんてものの例えが昔からある。


でも人は生きていくために働く。
つまり、誰の為でもない自分のため。
経験したからこそわかる孤独。
死にたくてたまらなかった。


誰かを失う悲しさを知れば知るほど
誰かを失うことが怖くなって
いつの間にか閉ざし続けた心。
もう誰も、僕の中に入ってきて欲しくない
そう願うようになってた。


ここ最近、順調に思えた
メンタル面も一気に破壊した。
絶望の縁をさまよう人間に
明日は何が出来るのだろう。