いつもお読みくださりありがとうございます![]()
一歩一歩、歩みが遅めな私です。
温かい目で見つめていただければと思います![]()
私は幼い頃から、自分を否定する癖がありました。
(今はもうほっとんどありませんよー)
何度も書いていますが、自己否定に関してはみんな同じ
みんながしている当たり前だと思っていたんです。
そういうもんだと…。
ぱっちりおめめの女の子を見ては
「私は奥二重…自分って残念。」
シュッとしたスタイルの子をみては
「私はこのむくみやすい脚がだめ!」
高学歴な人の話を聴いては
「高卒な私にはてんで及ばない変えられない世界」
なんて思ってました![]()
見た目なんて遺伝的要素も多く、比較するだけ無駄なのに
仕方ないと思いながらも、どうにも否定しちゃう…
内側の意識がありました。
達成したこと、持っているもの、人からの言葉にも
そう感じてしまうことがありました。
18歳の頃、歌を習っていた私は、
当時私よりうまい歌がうまい人を見ては自分と比較。
誰かが褒められていたりすると、その言葉にも反応。
私の場合は何にでもということはなかったけど
歌を褒められている人には反応しちゃってましたね。
誰かが褒められると、逆に私自身を
けなされているように感じる被害妄想![]()
いつも自分を無意識にナイフで刺していました。
自分で刺して自分で出血、内側は重体そのものでした。
そんな私ですが、エネルギーや宇宙の法則を知ってから
自分が自分を否定していることに気付き
それが当たり前でないことに気付き
(みんなやってなかった笑)
自分を苦しめていたのは自分だったんだと気付き
宇宙、大いなる源は、全面的にまるっと
私たちを全肯定、常に「ブラボー!!」って
思ってくれていることを知りました![]()
善悪はない。
それは私たち人間がこの世界で生きていく中で得た
経験や環境、固定概念、社会的思想のようなもの。
それらはすべて手放していい、と。
これが最初からすっと腑に落とせたわけではありません。
だって体感がないことは、簡単には信じられないのが人間![]()
ここもわかる私です。
だって自己否定に関しては筋金入りやったから。
そんな私には様々な視点からの
いくつかのアプローチが必要だったんです!
なのでこれに関しては、心理学なども駆使して
自己対話していったのでした。
何か解決策を得たいときは、いつも本を探して
本屋や図書館に通っていました。
そのなかで、こんな言葉を目にしました。
人は自分を表すときに、次の3つを使うと。
1、have
2、do
3、be
have
私は〇〇を持っている、形あるもの、肩書きなど
例えば一般的に美しいとされる容姿、ハイブランド品、
社会的地位など
do
私は〇〇を行っている、行った、したこと、やっていること
例えばボランティアなどの人にやさしい振る舞い、
一般的に素敵だと思われるような行為や、
自負している内容の人とは違う行いなど
haveの肩書があることで行える権限があるような社会的行為も当てはまります
be
私はここに存在している、存在そのもの
例えば何をしていても、していなくても、ただ存在している
「状態」ではなく「存在」に価値を置いている
この3つ。
本来人間、わたし自身は、beで評価されるべきなんです。
わたしとは、あなたです。
あなたという人間は、あなたしかいない。
このブログを読んでいるということは
ある程度大きく年齢を重ねていると思いますが、
みんな赤ちゃんだったときがありますよね。
赤ちゃんなんて、誰かの力を借りないと何もできない状態で
生まれてきます。
かわいいから許される、とか無いですからね![]()
よくよく考えてみてほしい。
今まで数えてきたものすべて何にもできなかった時がある
もちろん生まれ落ちた状況は人それぞれですが
それでも大きくなりやってこれたのは、手を添えてくれた
誰かがいたはずです。
そして、わたしたちはこの赤ちゃんと同じでいいんです。
存在は、それだけで尊い。
私は何もできない状態で生まれてくるのには
この意味が含まれているのではないか?と思っています![]()
赤ちゃんと同じ存在価値でいいのか、と思ったとき
ほんまに?って疑うこともできますが
もし、もしも本当にそうなら?って考えてみてください。
本当にそうだったらどうか、って考えたとき
少し身体の力が抜けませんか?
この感覚が、宇宙的には「いい状態」
私が私に戻ったサインです。
めちゃくちゃ長くなってしまいましたが…
信じるも信じないも選んでいいなら、選べるなら
心が軽くなる方を選んでみませんか?
居心地悪かったら、また戻ればいい。
でもきっと戻りたくないと思う
ちょっと軽くなった自分に会えるはず![]()
昔の私みたいな方に届くと嬉しいです![]()