昨年10月にオーストラリアへ旅立って
今年の2月一回の帰国をへて、再びオーストラリアへ
そして4月末に再び日本に帰ってきた。
帰国してから約1か月が過ぎ
すでにオーストラリアにはほとんど興味関心がないようだ。
きっとオーストラリア行くということは、
俺にとっては今までの自分の世界を一度終わらせるため、
色々なモノをリセットするため
だったのだと思う。
人間関係でも
持っているものでも
お金でも
仕事でも
そして、今は新たな関係がつくられ
新たな道が始まりつつ
以前のものをさらに整理する
向き合う時がきているのだと思う
それは家族について
さらにいうと、『家』という存在について
なんだと思う。
自分は長男で土地などを持っているため、
引き継ぐことになっている(家族の皆の認識の中で)
ただ、俺はそれが嫌だった。
そこに目を向けたくなくって、飛び出したっていうのもあると思う。
けれど、そのままではいられないんだなっていうのを感じている。
まず俺がすることは、だれが継ぐとかいう前に
その準備をすること。
ただ、感情論で嫌だとか、義務だとかいう前に
事実を確認することが大切だと思う。
具体的には、
家がどれだけの土地や財産、資産を持っているのかということ。
田畑も持っているため、それに関するもろもろのこと。
それらを、だれが見てもわかるような形にするのが
まず俺がすること。時間もあるし、そういうことができるのも俺やと思うし。
カメラや文章、表などで記録を残す。
それをもって説明したり、理解をすることで、事実の確認ができるようになると思う。
正直な気持ち、実家にはいいとこたくさんある。
周囲は田舎な雰囲気もありながら、町の方へもすぐに行ける。
長い間踏みなれた親しみもある。
近くにスーパーなど、生活に不便なとこもない。むしろかなり便利。
ちょいと足を延ばせば、山はある。
けれど、義務だから俺が継がなきゃいけないっていうのに納得がいかない。
継ぎたい人、そこに住みたい人がすんだらいいと思っている。
誰も継ぎたくなかったら、結局長男になるんだろうが。
そもそも、感情論になっているからで。
事実をいろいろと確認して、自分がどう感じるのかを
認識したうえで自分の気持ちを確かめたらいいのだと思う。
今の状態では、情報があまりにも不足しすぎている。
だから、感情論になる。
実際に、そんな問題が噴出しているわけではなく、俺だけが思っているだけかもしれないが。
それから、昨年から受講していた
真我開発講座を再び受講し、真我の実践をあらためて始めようと思う。
オーストラリアに行く前の時点で、俺は何か違和感というか不安を
感じていた。
それは真我に対する、疑問・不審・疑惑を少なからず感じていたんだと思う。
それがオーストラリアに行ったことで、現象にあらわれてきたのだと思う。
ひどく、自分の心がぶれて、自分の感覚で良くないことが多くあった。
良いこともあったけどね。
そうこうしている中で、自分が何をしたいのかって見つめたとき
オーストラリアで長々と過ごす意味が何にもないんだなって思った。
抵抗はあったけれど、帰国するって選択肢がでた時に、もう自分の心は決まっていたのだと思う。
今は岡崎の友達のとこにいて、紹介されたワークを受けているが、
正直、真我を受けたときほどの実感もなく、衝撃もなく、感動もない。
事実の面をみていっても、効果の差は歴然。
けれど、このワークを受ける意味っていうのもきっとあるんだと思う。
じゃないと、ここにいないと思うから。
完璧なる自分が創り出したこの舞台の上で、今の俺はどう動いていくのか楽しみ。
俺にできることはしようと思ったこと
したいと思ったことを
即やっていくこと。
そしてぼちぼちやっていくこと(継続していくこと)
今年の2月一回の帰国をへて、再びオーストラリアへ
そして4月末に再び日本に帰ってきた。
帰国してから約1か月が過ぎ
すでにオーストラリアにはほとんど興味関心がないようだ。
きっとオーストラリア行くということは、
俺にとっては今までの自分の世界を一度終わらせるため、
色々なモノをリセットするため
だったのだと思う。
人間関係でも
持っているものでも
お金でも
仕事でも
そして、今は新たな関係がつくられ
新たな道が始まりつつ
以前のものをさらに整理する
向き合う時がきているのだと思う
それは家族について
さらにいうと、『家』という存在について
なんだと思う。
自分は長男で土地などを持っているため、
引き継ぐことになっている(家族の皆の認識の中で)
ただ、俺はそれが嫌だった。
そこに目を向けたくなくって、飛び出したっていうのもあると思う。
けれど、そのままではいられないんだなっていうのを感じている。
まず俺がすることは、だれが継ぐとかいう前に
その準備をすること。
ただ、感情論で嫌だとか、義務だとかいう前に
事実を確認することが大切だと思う。
具体的には、
家がどれだけの土地や財産、資産を持っているのかということ。
田畑も持っているため、それに関するもろもろのこと。
それらを、だれが見てもわかるような形にするのが
まず俺がすること。時間もあるし、そういうことができるのも俺やと思うし。
カメラや文章、表などで記録を残す。
それをもって説明したり、理解をすることで、事実の確認ができるようになると思う。
正直な気持ち、実家にはいいとこたくさんある。
周囲は田舎な雰囲気もありながら、町の方へもすぐに行ける。
長い間踏みなれた親しみもある。
近くにスーパーなど、生活に不便なとこもない。むしろかなり便利。
ちょいと足を延ばせば、山はある。
けれど、義務だから俺が継がなきゃいけないっていうのに納得がいかない。
継ぎたい人、そこに住みたい人がすんだらいいと思っている。
誰も継ぎたくなかったら、結局長男になるんだろうが。
そもそも、感情論になっているからで。
事実をいろいろと確認して、自分がどう感じるのかを
認識したうえで自分の気持ちを確かめたらいいのだと思う。
今の状態では、情報があまりにも不足しすぎている。
だから、感情論になる。
実際に、そんな問題が噴出しているわけではなく、俺だけが思っているだけかもしれないが。
それから、昨年から受講していた
真我開発講座を再び受講し、真我の実践をあらためて始めようと思う。
オーストラリアに行く前の時点で、俺は何か違和感というか不安を
感じていた。
それは真我に対する、疑問・不審・疑惑を少なからず感じていたんだと思う。
それがオーストラリアに行ったことで、現象にあらわれてきたのだと思う。
ひどく、自分の心がぶれて、自分の感覚で良くないことが多くあった。
良いこともあったけどね。
そうこうしている中で、自分が何をしたいのかって見つめたとき
オーストラリアで長々と過ごす意味が何にもないんだなって思った。
抵抗はあったけれど、帰国するって選択肢がでた時に、もう自分の心は決まっていたのだと思う。
今は岡崎の友達のとこにいて、紹介されたワークを受けているが、
正直、真我を受けたときほどの実感もなく、衝撃もなく、感動もない。
事実の面をみていっても、効果の差は歴然。
けれど、このワークを受ける意味っていうのもきっとあるんだと思う。
じゃないと、ここにいないと思うから。
完璧なる自分が創り出したこの舞台の上で、今の俺はどう動いていくのか楽しみ。
俺にできることはしようと思ったこと
したいと思ったことを
即やっていくこと。
そしてぼちぼちやっていくこと(継続していくこと)