日々暮らしていると

 

「一人で静かな世界に生きたい…」

と思うこともあれば

 

「グループで話すの、結構楽しいじゃん」

と思うこともある。

 

私は前者の傾向が強いのですが、その気分が深いと

なんで社会で生きていかなきゃいけないんだろうな~と

思い悩む時間があったりして。カミュの本を読んで心を落ち着かせます。

 

そんな私が集団を楽しむのは

自分の本来性を失っているからでしょうか?

 

…たぶん、違うのかなと。

 

思うに個人の心に絶対的純粋の真理は無いように思います。

人の考えは常に変化しうるもので

その変化は、進化とか、転向とかと呼ばれたりする。

 

いくら魚が好きだからってたまには牛丼食べたいじゃないですか

そんなもんなのかなと。

 

気分の上がり下がり、と言ってしまうと

あまりに矮小化しすぎな気もしますが

躁鬱や思想転向というほど壮大でもないかな…。

 

言うなれば、心に内在する矛盾

 

矛盾のある生など愚の骨頂だと断罪するのは簡単で

矛盾を認め抱えて生きることが、生き方としては強いのかなと。

 

純粋性のある生だけを求め続けると破滅しそうになります。

私は破滅しかけました。

 

自分の中に定めた信念だけに従って生きると、

どこか無理をしているような素直ではないような。

 

一人で生きるんだ、という信念はかなりきついです。

人間の本能的な他者との繋がりを否定するわけですから

 

気質、経験、性格…といった要素から導いた思いと

人としての抗いがたい欲求との衝突

 

たぶん、これが矛盾で

お互いの抑制や衝動の度合いで変化しうるものを気分と呼ぶのかなと。

 

周囲の環境や、社会の関与、自分の自由さによって簡単に変わる

それが矛盾だらけの生き方

人間らしくて弱々しい不安定な生き方

 

じゃあそれは駄目な生き方なのか

それはたぶん主観に依存していて

客観的に言えば「どうでもいい」

駄目かどうかは本人が決める

それだけなのかなと。

 

まあ、弱々しい生き方を受け入れた方が

幾分心は楽になるのかなと私は思います。

信念に縛られるようになると結構苦しいので。