心の傷はなかなか治らない。だから傷ついたまま生きることにする。
傷ついたまま生きるのは、お気に入りのバッグのなかにそれらを詰め込んで、いつも持ち歩いているようなものだと思う。
どこに行くにも、そのバッグを持って出かける。
待ちあいのベンチに腰掛けたときや移動中の電車のなか。バッグのなかからゴソゴソといつもの傷を拾い出す。
目的の場所や時間が来るまでその傷を愛おしみ撫でまわす。
数日、数ヶ月、数年と。そんなことをしているあいだに新しい傷がやってくる。古傷の立場からすると新顔だ。持ち主は、見慣れたそれまでの傷はあっちに追いやって次の新しい傷を転がすことにする。
そのうちに、注目されなくなった昔の傷はバックの隅の方でちぎれち切れになったり、丸まったりする。傷ついたばかりの当初とは随分と違うカタチになっている。
「こんな傷もあったよね」と懐かしみながら、バッグから摘み出されたりもする。
傷は傷としてバックに入れて持ち歩いているあいだに、いずれ風化する。大切な傷を忘れないように時々取り出して眺めていても、いずれ風化する。
傷を癒そうと躍起になっているときには、傷は大きな口を開いたままで、こちらをガン見。それなのに「もうどうでもいいや」と投げやりになって、傷のゆりかごのようなものに抱かれているうちに傷は消えている。
傷は癒そうとしなくても時間をかけて、いずれ風化する。
自分の傷に癒される感覚は、そんな時間の流れのなかにある。
じわじわ、じゅわじゅわ。
時間をかけて傷は熟成発酵される。
わたしの傷は時間をかけて味わい深いものになる。
2025年9月18日
蜘蛛女より

