前回vol.59は『友人の定義』について記しましたが、今回は『夫婦の定義』について記したいと思います。

以前vol.39に記したA御夫妻。私が前職を辞めて暫くして、旦那様のTさんが転勤を終えて地元へ帰るとの事で御夫妻で九州へ戻られたのですが、先日Tさんが還暦を迎えた同級生3人組で松山観光に来られるとの事で、有り難い事に私も会食のお誘いを受け、久々にTさんと再会させて頂きました。前職時代、私の歌を聴きに店やイベントに通って下さっていた御夫妻はA御夫妻を含め何組かいらっしゃったのですが、どの御夫妻も旦那様が奥様を大切に思っていらっしゃるのが伝わって、かたやその頃の私は元彼から日々モラハラやパワハラとぞんざいに扱われていたので、御夫妻にお会いする度に素敵な夫婦だなぁ羨ましいなぁと思っておりました。夫婦の在り方や理想像は人其々ですし、当人同士にしか分からない事も勿論有るでしょうが、何より奥様がいらっしゃらない時に奥様への愛を語る旦那様の姿を見る度に、私も愛する人から陰でこんな風に言ってもらえたら幸せだろうなぁと思ったりしておりました。久々にお会いしたTさんは以前と何も変わらず、奥様への愛情タップリの素敵な優しい旦那様でした。今回一緒に来松された同級生の御二方も共に優しい紳士の方達で、類は友を呼ぶとは正にこの事だなぁと。私も楽しい時間を過ごさせて頂き、感謝感激でした。奥様のKさんにも是非またお会いしたいので今度は私が九州へ遊びに行きますとお約束して解散しました。A御夫妻、必ず遊びに行きますから待ってて下さいねー♡


夫婦やカップルの在り方は人其々。定義も人其々。ですが、大切な人に先立たれてしまった悲しみは、言葉に出来ない程に辛い別れだと思います。数年前、愛する女性に先立たれた男性Yさんは酒に溺れ身体を壊し、愛する男性に先立たれた女性のYさんは食が細り激痩せしてしまいました。男性女性どちらのYさんも、先立たれた連れ合いへの愛は未だに冷める事なく、愛情は継続されていらっしゃいます。愛すべき人に先立たれ、残された者の悲しみや寂しさは消え去る事はないのかも知れません。が、それでも頑張って前に進んでいらっしゃいます。また、我が子を病で亡くされたり事故で亡くされたり、我が子自ら命を絶たれてしまった親御さんもいらっしゃいます。これもまた過酷な辛い別れです。私にも友人との辛い別れや悲しい死別がこれまで幾度かありました。ただひとつだけ確かな事。どんな形にせよ、人はいつか命尽きる日が必ず来ます。この年になって思う事。残された者が出来る事は、天に召された相手を、存在を、忘れない事。そして死者達を悲しませない為に、天国で安らかに過ごしてもらう為に、自らの人生を清く正しく前向きに生きていく事なのだと、私は思うのです。天国へ旅立った方々の写真や形見の品を母の位牌の周りに並べており、毎日手を合わす度にその方達も1人1人思い浮かべながら祈るので、私はその方達を日々忘れようがないのです。そして、もうひとつ。亡くなった母はもうこの世には居ませんが、亡くなってからの方がいつも私のすぐ側に居てくれている様な気がするのです。愛情をくれた祖父母然り、大切だった友人や大好きだったりりィさんも、です。だからこそ、私はこれからも変わる事なく真っ直ぐに真摯に周りに感謝して、恥じる事の無い人生を残された命を直向きに全うせねばと思うのです。


…話が逸れましたが。

夫婦やカップルの定義は、ピッタリ合う事の方が珍しい様な気がします。私の数多くの(⁈)恋愛経験も含め、様々な方々からのお話を聞いた限りでは、どちらかが無理して合わせていたり、すれ違ったまま惰性で繋がっていたり。夫婦は家族になり男女でなくなる場合が多いので、いつまでもラブラブなチャーミーグリーン夫婦(懐いww)はなかなか貴重なのです。ただ、たまにはケンカし合ってもちゃんと話し合って、お互いに前を向き合っている夫婦関係の方々は相方への愚痴だけでは終わらず、自己反省も含めちゃんと相方への愛情を感じられるので、それはそれで素敵だなぁと思います。相手を思い遣る心をお互いが持てなければ、関係を終えるべきだと私は思うのです。
久々に再会した妹君は結婚10年目を迎えて今もなお貴重なラブラブチャーミーグリーン夫婦♡愛情深い旦那様に大切にされ待望の子宝にも恵まれた幸せそうな彼女を見て、私も安心し嬉しくなりました♡妹君よ、幸せを有難うねー♡








私の今世で最後の恋愛は、結果的に私の一方的な愛情でした。情愛に乏しかった相手は、自らの見栄やプライドの為に嘘や詭弁で人を操り、実は全く心が無い相手でした。漸く私も目が覚め、8年間で心身共にボロボロになり、私から縁を断ちました。それでも8年間を無駄にしたとは思っておりません。実際に命を落としかけても、私自身がそれだけ命懸けで過ごした事に悔いは無いのです。相手が結果どうであれ、私の生き様は生涯変わらないからです。
彼が心の無い情愛のない人間になったのは、生まれつきなのか育った環境なのか後天的なのか、縁を絶った私にとっては最早どうでもいい事です。が、世間的にはいくら成功者であっても人道的な心を知らずに生涯を終える人達は、ある意味残念で可哀想な生涯なのかも知れません。私も今までの人生で沢山の方に出会いましたが、正にこの人の様な人が確実に地獄に堕ちてしまう人なんだろうなぁと、身近で初めて実感した相手でした。今でも周りからその男の非道な話を耳にしますが、被害に遭われた方々には、お察し致しますご愁傷様です、としか私には言えません。それでも被害に遭われた方や私の様に直接の被害に遭わない限り、利のある彼に取り付く人の方が絶対的に多いのです。人は利害で動く、それが現実です。そして、被害を受けた人が死のうがどうしようが、実際に被害を受けてない人にとってはどうでもいい事なのです。加害者がどんな人間であっても当たり障りのない人達にとってはその相手は加害者でなく、その上利を供給されるなら、敢えて利害関係を断つ必要もないのです。人は『自分に不利益な真実』など無関心なのです。生まれつき感受性強く傷みに敏感な私は、これまで真逆な人生を歩んで参りました。非情な現実というものを五十路にして漸く実際に体験し、体感し、痛みと共に学ばせて頂きました。
あー。また話が逸れましたねww。




とにかく今世は女としての私の人生は全うし終えましたので、残りの人生は男として……とは参りませんがww、これまで通り何よりも『人として正しく』生きていきたい、ただそれだけです。それが一番だと思っております。友人の定義も男女や夫婦の定義も、先ずは『人として』の倫理観や価値観、私にとっては第一前提なのです。誰かに愛して頂こうなんてそんな高望みはもう止めました。男性を見極める目もありませんしww。今はとにかく辛い時期を経て、今は価値観・倫理観共に共鳴し合える素晴らしい方達に囲まれている事が何より幸せに思います。良縁に感謝、人生に感謝、です。