水が流れる音が出ます 🙏









こんにちは

あみこ。です




前回の 続きになります







こんな自分、という 罪悪感からなのか





誰かのために生きて




無意識に
自分のことを受け止めて貰おう
自分のことをわかってもらおう
自分の願いを叶えて貰おう
自分の辛さを理解して貰おう
自分の大変を引き受けて貰おうと、
してた気がします





それを 辞めて




自分で 
頼んで
苦手を助けてもらいながら




やりたい事をするようになって
その時には
特に 長い時間
娘のゆっさんをお願いするから
むすめと 父、母に
本当に こんなにありがとう、と思うように
なりました。







怒られる
責められる、と
勝手に 思って



こんな お申し込みを頂いた、と
前の日まで 私は言えなくて






前の日の夜
恐る恐る 言うと




行ってきなさい、と
言ってもらえて




ゆっさんに
いつ 帰ってくるの?と聞かれて
説明すると



お土産のことを 言われます。





勝手な自分を引き受ける、だけだった









家族に 反対される時も
自分の中で
また 問いかけて
諦める時も
諦められない事も多くて






怒ってしまうのは
相手に どこか 期待してるからだったと
知りました。






私 貴方のために
こんなに我慢してるのに
こんなに やってきたのに。と
特に
私は 母と お互いを縛り合ってました。








母も 自由で
父も 自由で
むすめも 自由
それが いちばんの 私の願いでした







助けて貰わないと
生きるのはしんどいけど



自由にしたかった




特に 父は 自由が 大好き 。。




(  親子。。。。  )





私が 両親の負担になりたくない




むしろ 両親を助けられる力が欲しい




両親の希望を叶えるちからが
あればいい





無いなら、つけたい
とか 思っていました  笑





なんて
途方もないことを。。。 😳










なにを 思っても
言っても
お互いが 
それぞれ 相手を想ってる




足りない、と 思っても
ある、から。





自分の形に 拘ったら
無いになってしまう時も。




家族だけど
違うから





分からないことも
興味がない事も 
お互いに当たり前で




自分の事は 自分が持てたらいいな。
私の事は 私が分かってあげたい
私は そうなりたかったです





ひとりぼっちでは無いから。









本当は 嫌だった事を
お互いが ぶつけて
喧嘩を しまくって
言ってる事は 間違えてないのに
何か 変



そうか
お互いが
わかってよ、 わかってよ、しか
言ってない 、と気が付いて



私が 家族を分かってない
自分を分かってない、と
気が付きました






私のこと、わたしがやろう
それを、助けてくれるのが家族でした。




そしたら
あなたのせい、や
あなたのために、は 無くなっていきました。






家族を変えるんじゃなく
わたしが私を変えるだけでした。




( まだ まだ 失敗の連続です )









私が疲れて
つい 言った 言葉でも



むすめや 母 、父、
元 パートナーへ





あなたのせい、と 
相手に罪悪感を渡して



自分のせい?と感じる言葉を
つい 言ってしまう 自分





それを
何度も なんども やりました。







なんで
こんなに 嫌な気持ちになるんだろう




なんで それしてしまうんだ







本音って 何だっけ




私が 
大切な存在に
本当に 伝えたかったことは
何だっけ



それを 問い続けて






自分が 相手にしたい
その気持ち
それだけを 伝えたかった




弱い わたしが


余計なもの
くっつけて しまうのを
もう 自分が 辞めにしたかった








お互いのために 我慢する
あなたも 我慢するべき



お互いが
そうすることで
愛を示していた





その方法しか
私は知らなかった、と思います






( それも 本当はよくは分かってない。。 😳 )






でも
私が 母に嫌われても
嫌がられても
迷惑かけても


自分のしたい事を、 
我慢できなくなって





(  反発しながら
母が言った事や 愚痴や 不満、不安を
取り除くために生きてた




やりたい事をしてきたようで
嫌われないための行動も
フォローも たくさんしていた  



文句言いたければいう
そんな 自由を 知らなかった


文句言われる事
嫌われること
嫌がられること、
それを 引き受けられなかった




相手の許可を必要として
それを 求めてた



だから
それは 無理だ、ということまで
愛されたくてしてきた 



それも 
自分の事しか
考えてないと気が付いて
辞めたくなった   )









いつだったか
母は 喧嘩の途中で 言いました




あなたが 私に 何をやってくれたの?。と





この言葉が有り難かった





売りことばに買いことば




そして 




私が私に 
母に何もできてない、と責めてきた




その 自分の想いを
言葉で 聴いたんだ、と。





そして
自分が 本当は
たくさん 母にしてあげたい気持ちを
自分が、知りました。




私が
なんで 腹が立ったのか
なにを そんなに悲しいのか
なにを 大切にしてきたのか




分かってあげる役目は
全部が
わたし、でした。









必要で みんな 起こってる。。






その時は 被害者になり
痛くて 病むけれど






自分に還る道のりの中で
聴かなきゃな 言葉でした  。。。  




痛くてたまらないけど
相手の人に 必要なことを
私が 言わせているのだろう




ズタボロになる事が怖いけど

ズタボロになっても

生きてはいる 、、、




でも、いつも 瀕死です。。








あぁ、 そうか
こんなに 犠牲になったのに、と
その時に 浮かんできて





あぁ、 そっか
私は 相手に期待してきたんだ




その 何日か後に



私は 自分で何をやっても
そんな事くらいで、とか
もっと やらなくちゃ、とか
いつも 自分に対して 思ってきた事に
気がつきました。





そして
相手のひとには、



我慢して
だから 願いを叶えてください。とか
あなたも 私の為に 我慢するべきとか
ありがとうって 思ってるはず、とか



私は やってたのか
してたんか。。と







それで
本当は したかった事を
始めました





してもいいんだ。と
自分が 自分に許可を出して




私は あなたの為に我慢して
やりたい事をしないよ



なのに 
あなたは
私の願いを叶えてくれない、とかの



不安とか
我慢して 自分を後回しにしてる
その大変とかの不満をぶつけて
それを 何とかして欲しいと思ってる事に
気が付いて




わたしが やってたんだ。と
気が付く度に
もう 誰かのせいにしたくない、と思った







私は 私のこと考えてるようで


誰かの為に
誰かの願いを叶えようとして



それと 引き換えに
自分のことを 引き受けて貰おうとしてた






それで
不満が無ければいいけれど




私は そんな高尚な自分になれないから




こんなにしてるのに。。と
母に
不満や 怒りが消えなかった






私が 勝手にやってるのに。






だから
自分のことを 自分が引き受けたい、と
願うようになりました。







夢を叶えるのも
したかった事を叶えるのも
わたしが やれるはず。



嫌われたくない
我慢してでも 愛して欲しいと
力なきものになってた、と
思った




こんなに 耐えてきたのだから
分かって欲しい、とか



お母さんなんだから
娘の私の出来なさとか



間違えた時とか
いいよ、って 許してほしいとか
思ってきたけど





それを 自分がやる事になって
知ったのは





私の幸せとは
自分に赦されること
あなたは あなたでいいよ。と
自分に言われること、だったのかもしれません






失敗や 間違い、苦手は
山ほど あって





それが いやだけど
すごく 困っているけど
そこを 切り離したり 見捨てるのは
本当に自分に失礼でした。








上手には できなくても




惨めな気持ちや
情けなさを
日々 感じるけど




でも
自分の頑張りや 大変を
私が分かりたい。と思い始めて




私が私と
自分と 会話するようになって
初め 喧嘩しまくっていて



まったく 仲良くなれそうになくて
もう 諦めようと 自暴自棄になり




それでも 結局
自分と 仲良くなりたい事を
諦められなくて







私が もう1人の私と
お互いが
ありがとう、とか
頑張ったよね、とか




ちょっとだけ 前より



休もうか、とか
できたね、と 
声かけし合うようになった気がします。










やりたい事は やりたいだけやる、のも
私には 大切で




その後には
しなくちゃいけないことを
やりたい事をした 残り火みたいなもので
何とか 頑張れる  







めちゃくちゃ満足すると
もう 欲しくならない法則  😳






たまに
観たいものは 観たいだけ観て
食べたいお菓子も
食べたい気持ちのまま食べて



娘も私も
お互いが
自分のことを決めてみる



そうすると
後に 引かない









自分に 赦す許容範囲を広げて




家族に対しても



前なら 何か言いたくなる場面で

そうだよね、と 思う






も少し 観たいよね
も少し 食べたいよね、とか
それ 好きだもんね、と 感じる





サボりたいよね
腹が立ったよね
疲れたね





明日でいいよね
そうだね まず、やすもう。と 思う






わたしが楽になって
何故だか そしたら
家族が 自由になっている 。。。







(  やらなくちゃなことは
生きてると 当たり前に毎日
みんな こなしていて



当たり前に大変も引き受けて生きてると
思えてしまう 。。







辞めて大丈夫そうな事や
やらなくてもなんとかなる事は





心から
それで よし。とできなかったとしても




やれなくてもいいよね、と
思ってるだけでも
私は 心が 違います  )










変化って
楽になる事だった気がします






何も 変わっていない




変われなかった 








むすめのお世話は、
苦手です



一緒に 遊ぶのも 大変です




それでも 可愛い 





(  お世話。。?
子どもさんに 
私はお世話されてるけど😳🙏 )





それでも
何度も それ、を自分はどうしたいのか、を
何度も 問うていました







母親なのに
色んなことを 自分でできない



両親も 子育ては
無理だ、と 言っている



養子に出すしかない、と
追い詰められてた あの頃から






いまは



わたしができる事をしよう


やれるところまでやって
疲れたら 変わってもらおう、と




そんな
勝手をして



初めて 母に ありがとね、と
言えるようになってきました。




旅先から
電話してお礼を言おうと
こちらが 改まって 頑張ると 母は
あれは たぶん 照れてて
すぐに 電話を切ります





表現も みんな 違う 。。 





ありがとう、を

目を見て 言えるようになりたいです。








この先 娘が
いつか 
彼女が20歳を迎えた頃





神宮に
共に 来てることを 
内宮の敷地で、想像してました。




絶対に 叶えたいなぁ、と
思う事は きっと 叶えられる







諦めなくてもいい、と
時間をたくさん かけてもいい、と






すぐに 直ぐ
娘の願いを 叶えてあげられなくても
いま できなくても







先を 見ながら



関係を ゆっくりと築いていきたいなぁ、と
わたしは 娘との 今を噛みしめてます







こうあるべき、に拘らなければ
私は 娘と共に
笑える





自分が 自分を 赦したい






(  できないことを 責めながらで
そこは、しんどいけど


 かたちに 拘れないから
だから
拘らない、しか できないだけだけども。。)