雄勝法印神楽師のブログ

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サンファンバウティスタ号の建造の地は月の浦ですね。

では月の浦はどこなのか??

桃生郡誌に興味深い歌がしるされています。

 

三五(さんご)の濱に遊ばんと  九十九(つづら)折の尾の崎の

峠に汗を拭(ぬぐ)ひつつ    松の樹かげに腰かけて

沖を遙(はる)かに眺むれば   大小つづく八景島(やけいじま)

足を小濱(こばま)に運びては  化石あさるも面白し

大磯小磯名振濱         巡りて嬉し舟の中

日も早く暮れて西宮の      月も涼しき清水山

荒波寄する荒浜に        装かたき兜島

奇(く)しき景色を眺めつつ   山を越ゆれば大須崎

見渡す限り遙々と        太平洋の見ゆるなり

登る旭に島々の         影美しき波の上

白銀崎を飛ぶ鳥の        白き翼を帆にかけて

あかぬ眺めの浦々を       巡りて歸(かえ)る月の浦

舟を泊めて立濱の        道踏み分けて大濱

小島明神過ぎ行けば       雄勝の濱に着きにけり

水分濱を踏みもせて       今宵(こよい)はここに眠るなり

ああ面白の三五濱        またも遊ばん三五濱

 

『桃生郡誌』は大正時代(大正12年)に編纂された、当時の宮城県桃生郡の歴史や地理を網羅した貴重な資料です。
その中の十五浜村を紹介する唱歌の中に「巡りて帰る月の浦」と雄勝湾が紹介されています。

尾ノ崎から名振・大須を巡り白銀崎から立浜に向かう途中で見える月の浦(雄勝湾)位置関係も一致しています。
秀逸なのはかつて十五夜の月(満月)を3×5=15で夜三五の月(さんごのつき):と呼んでいたことをかけて十五浜を三五浜と表しています。月の浦に見える飽きることのない景色を眺め、分・水濱より湖面のような月の浦に映る月と空に浮かぶ月を見て三五浜の旅を終えたのでしょう。(雄勝湾が一般的に月の浦と呼ばれていた裏付け。)