「お姉ちゃん」だから | 素顔のまんま〜ダメな自分でいいじゃないか〜

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ネクラで
不満だらけだった日常が
ストレスフリーで
面白がれる
毎日に変わる
人はいつからでも
変われるんだと
気づくまでと
気づいた後の
出来事を綴りました



おはようございます😃



「資格わたし」のカウンセラー

田上久美子ですキョロキョロ



🌈『資格わたし』とは…

世の中で、これしていいよ!と

許可を与えられること…それが「資格」

わたし自身が1番にわたし自身に

いいよ!と許可を与える…

それが『資格わたし』

みなさんが、自分自身に

たくさんのいいよ!を与えられるよう

お手伝いするのが「わたし」のお仕事です🌈




🍀みなさんは
「兄弟、姉妹」のうち
どちらにあたりますか?




「わたし」は
弟のいる
親戚中も全て歳下の従兄弟ばかり
結婚した主人も長男なので
「妹」というものになったことが
1度もありません





なので
「わたし」には
妹、もしくは弟が感じる気持ちが
わからないのです😅





こんなことを書いたのは
つい先日…というか
2人の娘を育ててきてこの方
下の娘の気持ちが
わからないと思うことが
多々あったからです




もちろん
母として娘は2人とも可愛いですし
分け隔てなく育ててきたつもりです





特に
下の娘が生まれて
上の娘がお姉ちゃんになってから
寂しい思いをしないように
プレッシャーをかけないように
「お姉ちゃんだから」という言葉は
なるべく使わないように気をつけてきました





先ほど書いたように
「わたし」は弟のいるなので
幼少期…弟が生まれてからというもの
お姉ちゃんだから我慢しなさい!
お姉ちゃんだから分けてあげなさい!
なんてことをしょっちゅう言われてましたし
小さな弟を可愛がる家族に対して
なんで弟ばっかり可愛がるの!
なんで弟ばっかり優しくするの!
なんて寂しい思いもしょっちゅうしてましたし
弟ばっかりズルい!
お姉ちゃんなんて嫌だ!!
なんてことをずっと思ってきましたから
なおさらです






まさか下の娘が
妹なんて嫌だ!
なんて感じているとは
思いもよりませんでした💧




下の娘からしたら
新しいものを買ってもらえる
お姉ちゃんが羨ましくて
同じことをやっても上手くできる
お姉ちゃんが妬ましくて
同じお姉ちゃん同士わかり合ってる
ママとお姉ちゃんが
自分を除け者にして仲良くしているようで
腹立たしくて寂しくて仕方なかったんでしょうね






こんな風に
下の娘の思いを
わかってあげられるようになったのも
ようやくここ最近…
小学校高学年から中学に入るあたりで
下の娘が自分の気持ちを
言葉にして伝えることができるようになってから





それでもやっぱり
言葉にしなくてもわかる上の娘と
大きな差があるのだと思います
今でも100%わかってあげられているのか
「わたし」自身にもわかりません






だって「わたし」…
お姉ちゃんしか
やったことないんですもん😅




それに気づいてからは
なるほど、今のはそう感じるのね…
あぁ、こんな風に見えていたんだね…と
下の娘の…
妹の立場になって
話を聞いたり
物事を見るようになりました




そう思うと
下の娘はずいぶんと
お姉ちゃんに対するライバル心や嫉妬心
「わたし」に対する疎外感や寂しさを
わかってもらえてなかったんですよね…






娘よごめん…
許しておくれ😭


ここまでを読んでいただいて
思い当たる方も多いかと思いますが
何もこれは兄弟姉妹に限らず
人は
自分が
なったことのない者の気持ちは
わからないのです




男であろうが女であろうが

ご主人でろうが奥さんであろうが

上司であろうが部下であろうが

社長さんであろうが社員であろうが

結婚してようがしてなかろうが

子供がいようがいなかろうが

一人っ子だろうが10人兄弟だろうが

核家族だろうが大家族だろうが

隣の家族だろうがそのまた隣の家族だろうが

その立場になってみなきゃ
わからないことだらけ💦
ましてや
「自分じゃない側」が
損か得かなんて
幸せか不幸せかどうかなんて
わかりっこないし
決めつけることなんて
できっこないんです




「わたし」からみたら
親の全ての愛情を受け取っていて
可愛がられて大事にされて
自由で気楽で幸せだろうなぁと思っていた
「わたしの弟」
言葉にしなかっただけで
姉である「わたし」のことを
妬ましくて羨ましくて
ねーちゃんはいいよなぁ😒なんて
思ってたのかもしれませんよね😅
そういえば
学童保育に来ている子供たちも
お兄ちゃんやお姉ちゃんがいる子たちは
おんなじようなことを言ってたなぁ😅





どんなに仲の良い家族でも
どんなに愛し合ったパートナーでも
どんなに信頼しあった経営者と社員でも
わからないことはきっとあると思います
それでもいいんだと思います





「わたし」がこの先
になることがないように
「わかる」「理解する」ということは
相手のその人になるわけでもないし
相手の人生をそのまま生きるわけでもありません






100%わかってあげられなくても
100%わかってもらえなくても 
お互いがお互いを勝手に決めつけず
お互いがほんのちょっと歩み寄って
わかろう!理解しよう!という気持ちがあれば
そのパーセンテージもグッと上がってくるのかも
しれませんね






これからも
下の娘の気持ちは
100%わかってやれる母ではないけれど
寄り添って歩み寄れる母でいたいと思う
「わたし」なのでした





ではでは
また書きまーす