脳動静脈奇形 | kumisatoのブログ

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2013年、年明け早々、息子サトが脳動脈奇形で脳出血を起こし開頭手術。二ヶ月後退院。その一月後、旦那の膵臓ガンが発見され、2014年年末に亡くなりました。
家族は、娘ミサ。息子サト。そんな母の呟きブログ。



実は、卒業した小学校の先生にもサトシの情報が入っていた。

我が家から中学校への通学路は、小学校の校門前を通る。手術後に、ミサが校門前を通ったら、挨拶運動に参加していた、サトシ小5•6の担任A先生に声を掛けられ、腕を掴まれ
A先生「サトシ、大丈夫かぁ。何で、そうなった‥」
ミサ「えっ?あっ、大丈夫です(心の声:あの‥それより、私が遅刻するんだけど)」
《A先生:30才後半、体育大出身で、明るく元気な女性•ミサもお世話になりました》

何で、知っている?

近いうちに、連絡をしようと思ってたが、情報が早い‼


連絡したら、その週末に、小3•4担任のM先生(20才後半で、可愛いい系の女性)と2人で病院へ、お見舞いに来てくれた。

なぜ、サトシの手術を知っていたか聞いたら
A先生「中学校の校長先生から、小学校へ連絡があり、『連絡したほいが良いのか、迷いましたが、そちらの卒業生が、明日、脳出血の手術をする事になりました。』って、電話があって、誰?って聞いたら、サトシだって、
え~っ、あのサトシ⁈って、職員室が大騒ぎになったよ」

なるほど、中学校から連絡があったかぁ。

小学校と違い、中学校はテストで順番が出る。サトシは、成績はトップクラスで、やっと一番になった矢先の脳出血。その頑張りの情報が小学校にも伝わっていた。

大好きな将棋も、時々、結果が新聞にのり、同級生の中では、目立つ存在かも‥

その後、小学校へ、A先生とM先生に退院の挨拶に伺った。チョと職員室に顔を出したら、サトシ在校時に居た先生方が、「サトシ、大丈夫かぁ。良くなったかぁ。」と次々に笑顔で声をかけ、迎えてくれた。

逆に、私がビックリ(o_o)
何て、幸せなヤツ(=サトシ)卒業した小学校の先生がこんなに心配し、こんなに暖かく迎えてくれるなんて。

それに比べ中学校は‥(-_-#)
(くらべちゃ、いけないのは分かっているが‥)

入院中、お見舞いにも来ないくせに、病状説明に学校へ来て下さいと、連絡があり、旦那がブチ切れ、先ず、学校側が先に見舞いに来るだろ‼と怒って、やっと病院へ担任が来る、っていう状態だった。

だから小学校で、温かく声を掛けられ、嬉しかった。


(続く)