«「いくら見ても、見たことは無いな、知らんわ」≫
義理の両親は別々の施設に無事に入入所した。
「俺、じいちゃんの施設の畑の消毒に行ってくるよ」
夫はいそいそと出かけていった。
義父の入っている施設は敷地内に畑があり、草だらけになっていたので、夫はボランティアで草取りをして、きゅうり、ナス等を植えて農作業をしている。
昼頃、夫は帰って来た。
「なあ、じいちゃん、俺の顔を見もしないで『息子？ そら知らね』だって」
夫は私の顔を見ると、元気なく言う。
「おじいちゃんは記憶がある方だから、面倒くさかったんでしょ」
私はしょげる夫を勇気づける。
「畑のボランティアに行って、おじいちゃんにも会って来たんだね」
私は詳しい状況を聞く。
「ああ、施設の人がじいちゃんを車いすに乗せて畑のそばまで連れて来てくれただ。そして『息子さん来てますよ』って言ったら、じいちゃん『息子？ そら知らね』だって」
夫は笑っていたが、心なしか寂しそうである。
「お父さんの顔を見なかったの？」
私は更に聞く。
「いつものように、車いすで下を向いて居るっきりだったわ」
夫はそう言うと、軽トラから施設に持って行った消毒の機械を下ろす。
「それは残念だったね。きっと面倒くさかったんだよ。おじいちゃんは記憶ある方だから、大丈夫だよ」
私は夫を再度勇気づける。
お盆明け、私たちは夫の妹夫婦を連れて、義母の施設に面会に行った。
義母はニコニコして面会室に来る。
夫を見るなり
「兄ちゃん、今日はどうしただ」
夫に声を掛ける。
「今日は仕事が休みだで来ただ」
夫は嬉しそうに答える。
良かった良かった。
義父の「息子？ そら知らね」から心なし夫は元気がなかったが、これで息を吹き返した様だ。
「そうか、休みだっただな」
義母はニコニコして言いながら、私と夫の間に座る。
義母の向かいに夫の妹夫婦が座りニコニコしながら義母を見る。
急に義母は体を固くして何も言わなくなった。
「見て、だんだん顔が変わって行くよ」
義理の妹は母親の変わって行く表情を他人事のように言う。
私からは義母の横顔しか見えないが、義母は険しい顔になって来ているようだった。
「やだ、いけないね」
義理の妹は心配そうであるが、何かよそよそしい。
「今日は、妹夫婦が来ただよ」
夫は説明する。
「ばあちゃんの娘だよ」
夫は更に言う。
「娘か？わしの？」
義母は少し嬉しそうなはしゃぎ声になった。
義理の妹はマスクを取り、義母に顔をしっかり見せる。
義母は暫くじっと見る。
「いくら見ても、見たことは無いな、知らんわ」
義母は真顔で言い放つと夫の方に顔を向ける。
実の娘をこれだけはっきり否定するとなんだか清々しいしいようである。
その後も義母は義理の妹を見ようとしない。
「じゃ、また来るで」
夫は困り果て、面談を終えることにして、立ち上がる。
「じゃあね」
義理の妹はこのような展開を想定していたらしく、特に動揺した様子はなく立ち上がる。
10年前になるだろうか。私が義理の両親と同居を始めた頃、義理の妹はよく「３年もしないうちに、私のことも分からなくなるんだよ」と言っていたが、10年、記憶は持っていたのかな？？？
この間まで義理の妹が顔を出せば「子供も連れてくるだぞ」と義母は言っていたが。
何処の時点から実の娘の顔が分からなくなってしまったのだろうか？？？
「そうかい、また来いよ」
義母も立ち上がり、夫に向かって言う。
私たち４人は夫の車に乗りこんだ。
「おばあちゃん帰るって、今回も言わなかったね。あそこが家だと思っているからよかったね」
夫が車を出すと私は言った。
「帰るって言われれば困るけれど、言わなかったでよかったわ」
義理の妹も安堵したように言う。
「いくら見ても、見たことは無いな、知らんわ」
義母の潔さに感服である。
それに動じない義理の妹の潔さもすごい。
流石、姑に仕え、介護をしたことのある義理の妹である。
それから10日ほど経って夫はまた義父の施設の畑のボランティアに行った。
「今日はじいちゃん、俺が畑をやっているのを見に来て『おお、来たか』と言ってくれた」
夫は帰って来て車から降りながら嬉しそうに言った。
良かった。良かった。
親の記憶に残っていることは息子にとっては嬉しいよな！
これからもこの記憶は残ってほしいな！