2011年4月。
娘は中学生になりました。
小学生までは練習場のスクールに入っていたのですが、中学に入学してからは、放課後の時間とスクールの時間が合わなかったため、スクールは卒業しました。
その後は、特に誰かに習う訳でもなく、自分自身でスイングチェックする様になりました。その後何回か調子を落とすと、周りから、コーチをつけたら?とアドバイスいただきましたが、そうこうしているうちにいつの間にか調子が戻るので、気がつけばコーチとかつけないまま今に至っています。
1年生の夏は、日本ジュニアに出場して3位に入りました。
今では3人ともプロゴルファーになっています。
3月末に開催される、全国中学生ゴルフ選手権春季大会では、3連覇を果たしました。
2年生の時は、九州女子選手権(九州女子アマ)で、最年少最小スコアで優勝しました。
この時は、本当にビックリしました。以下、九州ゴルフ連盟の記事になります。
https://www.guk.jp/03-kyougi24/04-woman/kyougihoukoku.pdf
実は、この試合の直前(出発前日)に、学校のバスケの授業で、左の人差し指を骨折するという怪我をしてしまい、私は棄権をすすめたのですが、娘はどうしても出ると言って聞かず、左手人差し指を浮かして握るグリップで試合に臨んだのです。
それから、現在までそのグリップで定着してしまっている様です。
そして、この年からナショナルチームメンバーに選出されました。
その試合の前に、もうひとつ、私の中での転機のきっかけになる出来事がありました。
ある日、あまりに勉強しない娘を見かねて、そろそろ受験に向けて勉強しろと言ったのですが、キッパリ断られたのです。「プロゴルファーにしかならないから勉強はしない。」と。「受験だけでなく、知性を蓄えたり、選択肢を広げるためにも勉強はしておいた方がいい」「いや、しない」などとその時は押し問答になりましたが、その後上記の九州女子選手権の優勝で、もしかしたらこの子はプロゴルファーになって成功するのかもしれないと薄々思い始めたのと、『もしプロになれなくても、ゴルフ関連の仕事したりできるだろうし、もし他の何かをしたければそれから学んでも遅くはないし、学びは学校だけでなく、社会でも学べる。』という自分を納得させるような思いも生まれてきたので、それまでの考えを方向転換させて、娘のプロゴルファーになるという夢を応援する事に決めました。
そうと決めたら、自分の思った方向に進めないと気が済まない性格なので、どうすれば娘の夢が実現するのか考え始めました。
しかし仕事はフルタイムで、簡単には休めないし、中途半端はできない…。じいちゃんだって年々年取るし、娘は女の子なのでやはり細かいところまでケアはできない…。
などと、思い悩んで約一年が過ぎました。
中3の夏場になり、結果もなかなかだせなくなって、娘が少し悩んでいる感じがしました。コーチがいないので、1人で思い悩みながら練習したり試合に出ている姿を見て、このままでは全てが中途半端で本当に良くないと、思い切って、退職する決心を固めました。
そのほかにも、今は主にじいちゃんが練習や試合に連れて行ってくれているけど、小学生の頃に「(みなみが)中学卒業まではおいが(俺が)面倒みっで。(面倒を見るから)そいからあとはわがたっでせぇよ。(その後は自分たちでしろよ)。」と言われていた事。(父はすっかり忘れている様ですが)
そして、自分の教員生活が、節目の25年目で、その当時勤めていた小学校がちょうど転勤のタイミングだった事。(離島必至)
それから、自分の事ですが、小学生の頃から水泳をしていて、自分で言うのも何なのですが、けっこういい感じで伸びる可能性を持っていたにもかかわらす最終的には中途半端な感じで終わってしまったという経験がありました。その原因の一つを自分で分析してみて、伸びた子たちは、側で家族が常にサポートしていて、伸びなかった私と友達は、1人で練習や試合に参加していたという違いがある事に気がついたのです。アスリートには、誰か1人でも、選手を側で本気で支える人が必要で、それがあるのとないのとでは全く違う結果になるのではないかというのが自分の体験からの持論です。
以上のいくつかの理由が重なって、思い切って25年勤めた小学校教員の仕事を辞める決心を固めたのです。
次回に続きます…。
