告知から治療 | のんびりと・・・・・

のんびりと・・・・・

平凡のようで平凡でない。そんな私の歩く道。

父は、毎年肺がん健診を受けていた。

昨年の5月にも健診を受け”異常なし”ハガキがきた。

そして、昨年の年末かかりつけの整形外科の診療所で

咳もでるから、念のため肺のレントゲンを撮った。

医者は、すぐに総合病院へ紹介状を渡し、再検査をするように言った。

そして、やはり肺に陰影が見られた・・・・・

地元の総合病院の呼吸器科は出張医しか居ないため

隣町へ転院した。

そこでの入院をしての詳しい検査が行われた。

PET、MRI、CT、気管支鏡検査、針生検、沢山の検査を受けた。

父は、陰影が見られた時点で、

自分が”ガン”であることを察していた

元々強気の父は、やはり、強気だった・・・・・


そして、入院から一ヵ月後

肺がんの告知を受けた。

両肺に9個の腫瘍が見られるが、大きさは8ミリほど

一番大きな腫瘍が1センチほどで

大動脈との間に出来ていた。

腹膜内腔腫瘍・・・・・

石綿が主な原因だったらしい・・・・・・

確かに、父は建設業であった・・・・・


父は告知を受けた後はしばらく、呆然としていたらしい。

やはり、分かっていても、いざ告知を受けると・・・・


治療は抗がん剤のみになった。

手術は年齢的に考え、放射線は動脈が破裂する確立があるため。


告知の次の日から治療が始まった。

最初の抗がん剤の吐き気の副作用で、

”抗がん剤”を聞いたり、考えたりするだけで吐き気が起こるなどの

精神的不安が出てきました。


そして、別の抗がん剤を投与した。


しかし、小さな腫瘍が大きくなっているため

昨日から、また別の抗がん剤を受けている。

(タキソール・パラプラチン)


今の所吐き気がないらしいが・・・・・・


昔から気難しい父・・・・・・

それは、私の”うつ病”の病因が父にある。


だからこそ、家族は辛いときがある。


母は、父が肺がんになったことに

かなり動揺している。

元々物忘れがあったが、

余計にひどくなった・・・・・


そんな母を相手にしている私も辛いときがあるのです。