23年位前の話ですが




全身が訳もなく痛む男子、当時19歳くらい?のクライアントさんがいました。

理由もわからず治療も叶わず、いわゆる難病でした。

結果、56年位カウンセリングしてました。





そこのご家族は、その難病の息子さんのために、西洋医学、東洋医学、滝行、瞑想、写経、お祓い、加持祈祷、その他…諸々

その子のご両親と時には妹さんも一緒に、日本中、ありとあらゆる治療の手立てを探しておられました。

 





そんな最中に、私と出会い「民間のカウンセラー」という当時では珍しい職業の私に、ご予約いただいた訳です。





初めてお会いした時のお父様からの質問が、

父上「水田先生はどの大学の心理学を専攻されたのですか?」

でした。


「私は、国立音大で、教育音楽を学びました」


父上「・・・」


「私でよろしいですか?」


父上「ご縁をいただいたので、お願いします」


こんな流れでスタートしました。






ツキイチでカウンセリングをして、4年経った頃に、なんの変化も得られない彼に、

「どうして、貴方は私にセラピーを頼んでくれてるの?」

と、聞きました。





彼がいうには

「僕はこの体のことを話せる人がいない。親にも話してもわかってもらえない。

ずっと痛みをこらえてると人に分けたくなる。

(この、分けたくなる、という表現が印象的でした)

先生は、分けたものを一緒に背負ってくれる人だから。」




痛みを分けたくなる、という表現は、健康な私達はあまり使いませんね。


聞いてもらったら気が楽になる、ですよね?






彼は聞いてあげても、一つもどこも楽にならない子なんです。

でも、「ずっと痛いから分けたいので、毎月来てください」という絞り出すような言葉は今も、忘れません。






彼のセッションは、だいぶ昔でしたから、当時は、クリアリングとか、書き換えなんてものはなく、ひたすら「傾聴」でした。





私が彼に選ばれた理由は、私が聞いてくれる人でなく、背負ってくれる人だからでした。


私は、そんな自覚も意図もなく、背負ったかどうかも分からず、始めたばかりのカウンセラーという職業を脇目も振らず、一生懸命こなしていた時代でした。




広く一般のクライアントさんは、皆、自分は被害者であるという視点のセッションばかり、という時代でした。




でも、そんな中で、

彼は自分の内面の葛藤ばかりを、私に話す子でした。

御両親のことも、他の人や出来事のことも、殆ど口に出したことはなかったです。



暑いと余計痛むので、冬でも半袖のTシャツ1枚に短パンで、いつも氷水を飲み、手にはアイスノンを持ってました。

身体中をキンキンに冷やしても、痛い、と言ってました。



生きるのが大変な子でした。





最近、高次元に尋ねたら、

「その子は天使だったんだよ…」






あれから23年が経ちました。





☆UE東日本統括ディレクター


☆UEプラチナマスター


☆ネイチャーワールド社主催フラワーエッセンスセラピスト養成講座講師


水田  久美子



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