ブログに書く気持ちにはなれず、立ち直るまでに時間がかかった。いや、まだ立ち直ってはいない。立ち直れるわけがないんだ。
3年間も我慢に我慢を重ねてきた友達の楽しみを、私は奪ってしまった。
7月26日、THE ICE新潟公演。
友達のチケットも引き換え済みで、現地で渡すつもりだった。先に送っておくことも考えていたのに、結局私の手元に置いたままだった。
早く送っておけばよかったものを。
THE ICE愛知から帰ってきた私を待っていたのは、夫の発熱と抗原検査の陽性判定。足元から崩れ落ちて倒れ込む。
申し訳ないけど、この時、夫の心配よりも友達の顔が浮かんだ。…当然だと思う。
私は濃厚接触者になった。
その後のことはあまり覚えていない。
遠方に住む友達に伝えた。手元にあるチケットを、何とか届けられないか。バイク便とかで運べるか。
何とか…何とか友達だけでも行ける方法はないのか。
チケットだけ渡しに新潟に行ってはだめだろうか。
友達が行けなくなることだけは嫌だ。絶対に嫌だった。
だけど…
考えついたことはどれも実現できなかった。
書きながらまた涙が流れる。
私は、大切な大切な友達を悲しみのどん底に沈めてしまったんだ。
その人はいつも温かくて、我慢強くて、家族をとても大事にして、私とは正反対の優しい人なんだ。
私がつらいときには、いつだって手を差し伸べてくれて、一緒に泣いてくれたり、どんなことでも否定しないで聴いてくれたり…私が今社会復帰できているのも、その人のおかげなんだ。
そんなに大切な人を悲しませてしまった。
健康観察期間が短くなって、抗原検査が2回とも陰性だったので、新潟の楽日にはひとりで行ったんだ。それもその人が背中を押してくれた。
今考えるとどうかしていたよね。
解除とはいえ…。行ってはいけないわけではないけど。
友達の気持ちは考えなかったんだろうか…。その時の私は…。
色んな意味で判断力が失せていたのかもしれない。
だけど…実はあまり記憶に無くて…。昌磨のアリアは夢の中で見ているようだった気がする。
友達と最前列で並んで観るはずだった新潟公演だもの。
なんで…行ったんだろう。
公演終了時間が遅かったので、一泊してから始発の新幹線で帰ってきた私は、結局その日の夜に発熱した。
急に発熱して焦った。新潟の行き帰り、新幹線ではお隣さんはいなかった。食事はホテルの部屋でしかしていない。会場では…当然両隣はいた。二重マスク、黙って拍手、会話は一言もしていない。あぁ…だけど…コロナアプリのCOCOAで、もしかしたら両隣の方にお知らせがいったかもしれないな。どうか…うつしていませんように…。
罰が与えられたと感じた。
大切な友達を悲しませた。しかも二重に悲しませた。
私は一体、何をしていたんだろう。
当然のことだけど、大阪公演に行くことも全て叶わなくなった。配信は、高熱に苦しみながら観た。途中眠ってしまったりもした。2日目は少しだけ楽だったけど。
インフルエンザとは違って高熱でいる時間が長くてつらかった。39.6〜39.8℃…もうこの数値も意識が朦朧としていて定かではない。
生還して…という気分だったのだが、気付くと匂いも味もしなかった。今は療養期間を終えて5日経つわけだが、匂いも味も戻ってきている。
ただ咳が抜けなくて、ずっとではないが時々プチ発作のように咳込む。それがつらい。試しに買い物に出てみたが、歩くと胸が若干苦しい。胸を抑えて歩くと多少楽なのがまた不安な気持ちにさせる。
解明されていない病気だからとてもこわい。
だけども体より何より、心に痛みが残ったままだ。
私の…痛みではなくて、友達の痛みなのだろうか。
でも本当の痛みは本人にしかわからないよね。
このブログに書くことは友達にも話した。
前に、次に進むためにも、気持ちを整理したくて。
だけどそれも私の、自分本位の考えなんだろう。
来年は必ず一緒に行こうねと私の大切な友達は言ってくれた。悲しみとかやるせなさとか全てをいつものように自分の中に押し込んで。
今までと変わりなく、LINEでお喋りもしてくれる。
私は、何をしたらいいんだろう。
今はまだ、体を休めている。休めながら配信や録画やYou Tubeでスケートを観ている。
気持ちを整理するのに書いたんだけど、まとまらない。
ただただ、昌磨のスケートに浸っていたい。