今日は私の事知っていただけたらなぁ。と思い、

自己紹介させていただきますニコニコ飛び出すハート

(長文になると思いますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。)

 

 

離婚に悩む女性専門カウンセラー:松本久美と申します。

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名前で呼ばれることが多いので

「くみさん💛」と呼んでいただけると嬉しいです。

 

 

>1984年4月15日生まれ(39歳)

好きな事:海外旅行、映画鑑賞、ファッション、紅茶

嫌いな事:カメムシだけが唯一大嫌い!!!

座右の銘:信は力なり・行動すれば次の現実

 

生まれも育ちも福岡で、現在も福岡市に住んでいます。

 

 

離婚に悩んでいた頃に辛かった経験、

私がカウンセラーになろうと思ったきっかけはこちらのブログになります。↓↓↓

 

 

私は現在、離婚をして8歳の娘と2人で暮らしていますラブラブ

離婚して1年経ちますが、

日々落ち着いて充実できてることに感謝しています。

 

 

カウンセラーになるまでは、

いや結婚するまで私は自由に伸び伸びと生きてきました照れ

 

 

好きな仕事をして

好きな場所に行き

海外に強くあこがれていたので、

懇願して19歳の時に留学させてもらい

英語には苦労しましたが💦

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今まで、

仲間にも友人にも先生にも恵まれてきました。

反対されても自分でやりたいことはやる。

 

言い出したら聞かなかったので、

母は大変だったみたいですが...

 

 

私の家族は、

厳しい母、寡黙な父、3つ上の現実派な姉、

きなこ16歳(トイプードル)で暮らしていました。

 

 

どちらかと言えば、

私はおてんば、姉はコツコツ勉強をしてお手本のような子どもでした。

 

勉強は大嫌い、とにかく外が好きでスポーツ少女でした汗うさぎ

習っていた習字の先生からは「遊びの天才」と言われていたそうです。

 

 

習字の時間にこの言葉はこれはプラスな言葉だったのかな?!と

今でも思いますが...(笑)

 

 

幼少期は活発に育ち、

走るのだけは得意でサッカー部の男の子にも負けたことはありません!(^^)!

 

 

なので、体育祭では小学校から1位負けなし!

とにかく体育が大好きで勉強は出来ませんでしたが、

本人は気にすることなく母だけが心配していたそうです。

 

 

中学に上がり姉と同じ陸上部に所属。

ここでの顧問の先生が、

座右の銘「信は力なり」に火をつけてくれました。

 

学生時代は、

部活に6年間注いだ日々で、

心も身体も鍛われた期間でした。

 

 

熱を入れてやっていた陸上部では、そこそこの成績を収めて、

高校は強豪の学校から声がかかり特待生で入学。

 

夢の全国大会まで出場しました。

 

 

今までで私の恩師と呼べる方に運よく出会うことができ、中学、高校そして現在のビジネス学びのメンターもとても心ある方で、

私の軸を作ってくれたと感じています。

 

 

母の心配をよそに、

私は順風満帆に伸び伸び成長

 

やりたいことを「やりたい!」と

言い続けて、やらせてもらえて今がある思います。

 

留学後は、

運動療法士として福岡で有名な産婦人科に就職

次に務めた、糖尿病専門クリニックでは、産婦人科同様、

運動導入の立ち上げを任されていました。

 

0からの立ち上げでしたが、教室は満席になり、

キャンセル待ちが出るまで成長しました。

 やっぱり、みなさんの笑顔が私にとっては何よりのやりがいでした✨

 

 

 クリニックの理事長から、

「自分で何でもやれるように」と声掛けで、

自分でビジネスをするという事をうっすら頭に置いてたのもこのころから。

 

自分でビジネスをするわけない〜と思っていた、

10年以上前でしたが、理事長予言してたのかな。

 

クリニックでは、

医療従事者向けの講演会や

他院の医師と運動療法研究会など厳しい環境の中でも

とてもやりがいのある仕事をさせていただきました。

 

本当に充実していて、

楽しい時間でした。

 

 

 

その後、結婚出産

順調に過ごしていた日々のように思えますが、

私の人生が結婚してから変わり始めます。

(2月に3418gの女児を出産)

 

前夫の家庭は、

家事育児は「女の仕事」という家庭環境だった為

 

ここでは細かいことは控えますが、

全夫も同じように、

「家事育児は女の仕事」

「男は外で働くだけでいい。」という考えでした。

 

最初はそんな些細なズレから、

私は早くから仕事に戻りたかったのですが、

「保育園」に入れることを相談すると、何故かお義父様に相談したようで...

 

「親父が、保育園はダメ!と言ってるから」と言われて私は拍子抜けしました。

 

「え?なんでお義父さんの意見を聞くの?」

「それは私たち2人が決めることじゃない?」

 

そう言っても

「いや~親父がそう言ってるから。」

 

それで会話は終了。

私は夫の意見ではなく、

お義父さんの一言で、預けることも、

大好きな仕事にも戻ることが出来ませんでした。

 

「3歳までは母親の下で育てる」のが当たり前のご両親にとって、

私が働くと言うのは、

「生活に困ってるわけでもないのになんでなの?!」と言った感じだったようです。

 

「台所に男は立たせない!」という

考え方でもあったため、

価値観のギャップは私にとって大きかったです。

 

 

私の父は、掃除も洗濯も、買い物も母から言われてでしたが、

やってたので。

 

 

「この価値観を受け入れないといけない自分も苦しい」

「でも、結婚したんだから自分のやりたいことを言ってはいけないんだ。」

 

そんなジレンマを感じながらのワンオペ育児。

 

 

人見知りが人一倍強かった娘の育児は、

一筋縄にはいきませんでした。

 

何をするにも泣いて

泣いて、泣いて、ベビーが―ものらない、私が近くにいないと泣く

トイレも当時はゆっくリできた記憶がありません。

 

 

2歳でアメリカに連れて行きましたが、

機内で前夫が寝ている中で、

私が座ると泣く娘を、抱っこひもで機内をうろうろ

一睡もできなかった思い出もあります。

(なので、機内の写真は1枚もなかった...)

 

 

娘とのワンオペ育児の思い出は、

いくらでもありますが、このころから娘は既に前夫には懐いていなかったので、

前夫が抱くと、誘拐されるように泣く姿を見ると本当にストレスでした。

 

 

そりゃそうですよね。

自営業で休みはなく、仕事しかしてないんですから。

落ち着いて3人で時間を過ごしたのも、何回あったかな?

 

 

子どもが生まれ生活が変わると、

夫婦の価値観の違いから溝が広がっていきました。

 

 

夫は帰宅も遅い

ゆっくり話す時間もありませんでした。

 

 

元々、友人と飲みに行くのが好きだった夫は、

結婚後も飲みに行く、頻度や時間を変えることはしませんでした。

 

 

そうしていくうちに、

帰ってくる連絡もなく、食事の準備をしていても帰ってこない

電話をしても出ない。

 

 

朝部屋をのぞいても帰ってきてない事も。

 

 

「連絡だけはして欲しい」と何度お願いしたか分かりません。

お願いしても、その翌週も連絡がなく朝帰り。

 

 

お金や時間にもルーズなり、

私が寝かし付けをしている最中に、こっそり出かける

 

そんな毎日になり、

私は、話す気力もなく、

ただやりたい放題やってる夫にストレスを感じながらも我慢して生きていました。

 

 

ただ毎日グルグル頭を巡るのは、

 

腹が立つ

離婚したい

でも、娘がいる

両親からは私のワガママと言われていたので、そうなのかな?と感覚が麻痺していました。

 

 

そんな悶々とした日々が続き、

離婚したい!と思い続けて5,6年が経っていました。

 

 

夫婦の会話もほぼなく

会話のないテーブルで黙々とご飯を食べる

家の中では、娘の名前を呼ぶ2人

 

正直、家庭の中の空気が気持ち悪くて

耐えられませんでした。

 

 

食事をしていても、お互い話すことも目を合わせることもなくて、

早く席を離れたくて、私分は少なめにして早く席を立つようにしていました。

 

 

食事が終われば解放される。

一番苦痛な時間でした。

 

 

 

そんな日々が5年も続き、

「離婚したい」と話しましたが、

「絶対に離婚はしない」の一点張り。

だからと言って自分の行動を改めることもなく、

 

 

「絶対に離婚しない」という言葉が、

更に私を苦しめていきました。

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「私はこんな生活をいつまで続けるの?」

「夫婦仲は壊れているのに、話もしないのに、いつまで続くの?」

「いつまで我慢しなきゃいけないの?」

 

 

誰かに助けて欲しい

1日でも娘をこの空気から解放したい

 

 

こんなにひどい状況なのに

「離婚はしない」

 

両親は

「夫婦は色々あるんだから」

「離婚したら帰ってこないで」

 

義母は

「夫の何がいけないの?」

誰も理解者が居ませんでした。

 

 

私は、誰かに言ってほしかった...

「もういいよ!もう我慢しなくていい、離婚していいよ!」って

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だけど、みんなからもっと頑張れ!って言われてるみたいで、

だけど、その生活が長くなればなるだけ、

改善には向かわず夫婦仲は悪化し、私の心も壊れて行きました。

 

 

気づけば大きな円形脱毛症が2つ

500円玉大くらいのが2つ...

 

この時に初めて、

「あ、私大丈夫じゃないかも。」って自覚しました。

 

 

娘にそれを見られないように、

お風呂やドライヤーの時には特に気を遣いましたね。

 

気づけば5年程不仲が続き、こんな生活が続くなら、

 

 

「私は、もう死んだ方がマシ。」と思うようになっていました。

「死ねばきっとみんな私の辛さを分かってくれるだろう」と。

 

 

今考えるとゾッとしますが、

娘と死ぬか
1人で死ぬか当時は考えていました。
 
夫婦の不仲は、ここまで人の精神を壊していきます。
そして、今は良くても必ず疲弊していく。
心身が壊れていくんです...
 
 
私は、それを身をもって経験しました。
「私は大丈夫!」と思っていても、間違いなく日々、心が壊れていくんです。
 
 
この経験があり、
以前からたくさんの悩みを聞いていたのもあり、
それを形にするタイミングが今だと思い、カウンセラーになることを決めました。
 
私と同じ思いをして欲しくない。
早い段階から夫婦不仲は、人に相談しアドバイスを求めることが大事だと痛感しています。
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2人では平行線で、何も解決しませんから。
 
 
その後、私は誰も味方もいなければ、
誰も離婚していいよ!と背中を押してくれる人もいない!と気づき、
行動をようやく開始。
 
 
離婚後、娘と生活するために、自己投資をして、
テレビや好きな映画の時間を減らし、
本を読んだり講座を受けたり学ぶ時間とお金を投資をしました。
 
 
お金をかけないと、リターンはないし、
かけたぶん稼げれば、あとはプラスになるから
 
 
学んでなければ、今自宅で自分の仕事は出来なかったと思っています。
 
 
辛い経験もたくさんし
涙もたくさん流してきましたが、
今こうやって自分の経験を活かし、仕事が出来ている事
 
「ありがとうございます!」と言っていただけることに、
本当に幸せと喜びを感じています。
 
だから...
 
前夫にも感謝ですね!
 
今では、結婚生活の時にしていた窮屈な思いもせず
伸び伸びと本来の自分に戻れたと思っています。
あなたにも、
夫の顔色もうかがわずに、自分らしく生きて欲しい
 
 
離婚しても、しなくても
あなたらしく輝く権利は誰にだってあるんです飛び出すハート
 
 
それを一番近くにいるパートナーに奪われてはいけない
 
 
だから、経済的にも精神的にも自立し、
あなたの意思で決める、あなたの足で立つ
 
そんな女性を増やしていきたいと思っていますウインク
 
私はどんな時でもあなたの味方ですドキドキ
 
長文
最後まで読んでいただきありがとうございましたおねがい
 
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