昔からルーツを探るのが大好きでした。

でも今となっては歴史も教えられてきたこととはだいぶ違うみたいで、

なおさらロマンを感じます。

最初の衝撃は、確か、「縄文時代と弥生時代は逆だった」みたいな話が出たときです。

過去は変わらないと思ってた。だって過ぎたことだから。あったことだから。

その上に今があるんだから、と思ってた。

なのでとても驚きました。

え、過去って変えられるの?って。

「事実をかえられるの?」

消化できなかった。

 

ウケる((´∀`))ケラケラ

 

その後大人になると、「解釈はいろいろあるけど起きたことは事実だよね?例えば

【電車に乗った】という事実は一個でしょ?」に進化?した。

ギリで乗ったのか遅れた電車にイライラして乗ったのか分らんけど、乗ったのは事実だよね??

そして

「私たち一緒に乗ったよね?それは事実だよね?」

 

「いや、私は乗ってない」

「えっ!!一緒に乗ったじゃん!」

「一緒にはいたけど、電車には乗ってない」

「え…(じゃあアレは誰なんだよ)」

 

この件はだいぶ引きずった(笑)

もちろん電車はたとえ話なので単純だけど、実際には細かい話で、

絶対に答えがあるはずなの。例えばカメラに撮ってたら事実は写ってるはずでしょ?

 

私は自分の記憶が正しいと思ってる。相手も自身が正しいと思ってる。

ってことはどちらかが嘘をついているってことでしょう?だって事実はあるんだから。過去はあるんだから。

信頼している相手が嘘をつくのも気持ち悪いし、自分の記憶がおかしいのも気持ち悪い。つまり「真実」「事実」を暴いても結局気持ち悪いことになる。

 

なので封印したよー。でも疎遠になっちゃった。

しんどかった(笑)

 

今思うと…

両方正しいと思う。それぞれ選んだパラレルが違ってるんだからストーリーが違うのは当たり前ですよね。

あと、年数が経ちすぎて自分の記憶がもうヤバいってのもある(笑)

(ほんとは年月関係ないけど)

今の私はきっと前と違う物語を選んでると思うから、もう意味ないし(笑)

 

つまり、過去は変えられるってことで…ええ。

 

あ、ルーツの話だった!

ルーツをさぐると「これが事実ですよ」と教えられたこと(歴史として)とは違う物語が見えてくる気がするのでロマンがあるなあって思うんです。

いろんな物語を知るのって魂の供養になりません?

なんかそんな気がします。