ダメ人間のアメリカ留学 裏日記
ry

建築机 タイトル通りアメリカで勉強をしている(?)だめ人間が、学校のこと日々のことをすっごく率直に脳みそが思ってしまったことを編集せずに書き溜めています。 

でも、現在夏休み中。。。。

Amebaでブログを始めよう!

信頼関係

社会人を経験した大学院生ともなると教授を絶対的に信頼することの難しさを痛感する。


私の通っている学校では、博士課程の学生や、修士課程を終了した学生がそのまま大学に残って教授になるケースがある。 ただ、アメリカなので”教授”という肩書きの前に”Associate””Assistant””Lecture"などいろいろな名前がつく。


必修科目のひとつでとっているクラスの先生が修士課程を終了したばかりの学生がそのまま先生になっている。私はなぜか信頼できないでいる。いつも心の片隅に”疑問””不信感”をいだきながら授業をうけている。


その理由のひとつは、実務経験がないこと。 卒業後教える側に回ったので実際の建物についてまったく知らない。 そのため、コンセプチュアルな空間構成を得意とする。その先生から学べる良い点は、コンセプトを考えることに強くなること。 悪い点は、コンセプト以外のことを軽視すること。また、いかにコンセプトを実現可能なものに落としていくかということも出来ない。 コンセプト以外のことを聞こうとすると常にコンセプトの話ばかりになりそれ以上すすめない。


ふたつめの理由は、話を聞かない。 実務を知らず、他のデザイン手法をあまり知らないため自分のやり方が唯一だと思っている感があり、ひと言話すと先生の頭の中にあるデザインと照らし合わせて良いか悪いかをすぐに決めるので、話がすすまない。 


みっつめの理由は、完成品しか見ない。正確には、模型しか見ない。 そこにいたるまでの小さな疑問に一切答えない。 たとえば小さな戸建て住宅をデザインしている際に、ちょっとしたディティールについて質問すると、模型が無いからわからないという。 


また、学生から先生になったばかりなので、感情の起伏が学生側にもすぐにわかってしまう。機嫌のいいときはずーと隣に座っていて、機嫌が悪い時はいきなり来て”なんで?”って繰り返し質問して消えていく。

その時の機嫌によって、生徒のデザインが変わってくる。


こんなことがあって、素直に言われることに納得し、言われたことに絶対的な信頼をおいて授業を受けることが出来なくなってしまった。 多分、本人も自信のない部分があるのだろう、それを知らないとか分からないから一緒に考えるという作業をせずに自分の知っていることにいつも学生を連れて行ってしまう。”知らない”といえない。建築のデザインの回答はひとつではない。完璧なデザインはない。だから学生は、自分で問題を発見し、解決するための案を考え、それを実現するための方法を考えていく。


先生が学ぶことを放棄して、教えることは出来ないのに。。。。。

下手に大人になると、先生のうそが見えて信頼できなくなるのが辛い。


(怒?) かなしい食事

今日、建築のことで質問があって、知り合いに会いに行った。

 

遅くに行ったので御飯も食べに行った。 楽しくなかった(泣)。 

 

楽しくない食事って、御飯を食べている感覚が麻痺して食べているふりをしている気分になってきてしまうんです。 何を食べたのか覚えていない。。。

 

且つ帰り道で吐いてしまった。

 

すみません。

 

感情が出やすい正確なんです。

”楽しくない”スイッチが入ると、モチベーションがドーと下がって”楽しい会話”が出てこなくなるんです。 

 

本当にごめんなさい。  もっと笑顔と会話を提供できる人になりたい。_| ̄|◯

 

苦手な人がいて、、、またすぐに状況とかを感じてしまう正確で、、その人が分かっちゃうんです。

久しぶりに苦手な人だったので、ああ自分はこういう人が苦手なんだって確認できました。(前向き)

でも、このブログの社長も行っているように志の高い人と付き合おうと自分をなだめました。

 

自分にとって志の高い人の再確認になりました。 

(知識がたくさんある人ではなくて、やりたいことがあって、そのビジョンが明確な人、たくさん面白い経験と本人にとっての成功体験が多い人、そして良く笑って笑顔な楽天家。)

 

 

 

 私の苦手な人。。

 

それは。。

 

 

 

 

 

 

 

 

建築博士。

_| ̄|◯

 

 

 

 

建築の知識があって、それがプライドな人。 単語がすごいスピードででてきて、いろんな事を批評しまくる。(とどめに批評された) でも、他の話題なし。コミュニケーションが取れない。 でもプライド高し、なのでこちらの意見は無視。 唯一食いついてきた話題は、建築家のゴシップ。。 

 

 かつ、他の身近な人の話をすると彼女がいるかいないからポイントらしい。。。 聞いてないから。

 

友人にコンピュータオタクの人がいますが、見た目もコンピュータ好きが分かる感じの人ですが、その人は人も大好きなので会話が楽しくて、私はいつも楽しい時間をもらっています。 でも、今日の人は、人嫌いぽい。。。 

自分に自信が無いの?他の人の話ばっかり。きっと、たくさん知ってるから、よけいなこと、不安なことでいっぱいな気がする。だからたくさん知識をつけてがんばってるのかな。。。。 

すべての情報を知っている人なんていないのに。。。。

 

今日みたいな人に会うと、、建築まで嫌いになってしまいそう。

建築が大好きなのに、それを学んでいる人がいやな人だと建築もつまらなく思えてきてします。(泣)

 

_| ̄|◯ 本当に建築博士苦手。。。

 

人があっての建築なのに、人とコミュニケーションとれなくてはダメでしょう。悲しいよ。それじゃ、彫刻だよ。空間だけ作って終わっちゃう。でも、最近の彫刻って、社会的なこと、人がどう体験するのかということを考えていて建築より人のことを考えている空間が多いなと思うので、彫刻に対して失礼な発言かな。。

クラスメートたち

クラスメート

 

今いるコースは14名のクラスメートがいいます。

内アメリカ出身10名、カナダ出身3名、アジア出身1名(私だけ)。

カナダ出身といってもほとんどがトロント出身で、英語圏から来たので一人インターナショナルな気分をいつ味わっています。 最初は、英語ができなくて本当に辛かったが最近は伝わらないことに慣れてきました。

 

   ひとりひとり、バックグラウンドも違うのでその面白さはまたあとで書きます

 

アメリカの建築教育は大学院が非常に力をいれていて学部から建築がある学校が意外と少なく、学部では教養を含めて多様なことを学んで、大学院で建築をやるというのが結構あるようです。ハーバド大学等も大学院からしか建築学部がありません。多くの名の通った大学は、学部の規模が小さく大学院の規模のほうが大きいことがほとんどです。

 

さて、今年は1年目。3年間ある建築の”基礎からコース”にいるのですが、最初の1年目だけゲーティング(gating)というシステムがあり、毎年1名2年目にあがれない仕組みがあります。必ず1名というわけではないのですが、たいてい毎年1名落ちるようです。

 

今年のクラスメートの雰囲気をみるに、全員あがるということにはなりそうも無く誰か一人は上がれない雰囲気を感じます。きっと先生は、半分ぐらい落としたい気持ちでしょうが、そうすると2年目のクラスがすくなくて成立しないので妥協して1名留年となるでしょう。

 

そんな中、たまにクラスメートと飲みに行くと誰がやばいという話題になります。

でも面白いことにみんなその場にいる人の話はしません。(笑)さてさて、誰が生き残るか気になるところです。14名いるうちまず上位はだいたいすぐ決まります。問題はそれ以外。それ以外の人は結局、みんな似たりよったりな感じです。なので、他の人が最後までにどれぐらい成果物を出してくるかの差で決まるので、周りのチェックを欠かせずしてます。というか、チェックしてる時点で終わってると思うんだけどね。でも、たまにクラスメートがやってくる時は、作ったものが気になっているということなのでよいデザインをしているのかな?とバローメータ代わりにしています。

 

さて、クラスメートに関して、びっくりしたことがあります。

大学院に来るということもあって(自分は例外)、真面目な人が多いようです。(すみません)

真面目で過ぎて、ナイーブな人が多く、私のように勝手にマイ ウェイを行き笑いを求めてる人がいない。(笑いを求めてる時点でだめか。。)

 

私から見ると不思議なのですが、皆、だめだしをもらうことに慣れていないようなのです。

先生に自分のデザインを見てもらって、先生からの批評を受け止めて自分のデザインを発展させていくということがとても辛いようなのです。

まず、女子は全員泣いています。男子は一部マリ○ナ、眠れなくなって処方外睡○薬常用してます。クラスメートの一人が言うには、今まで学校でずーといい成績だったので、だめとか言われたことが無いから分からないそうだ。 親から一番になれってずーといわれてきたら、そうじゃないことが理解できそうだ。おいおい。 20年以上も生きていてそれはないだろう。 成績とか人ではなくて、自分はどうなの?って思ってしまう。

 

痛い。 半数が社会人経験もあるのに。

 

すべてのことにおいて、唯一無二の完全なデザインなんてどこにも無い。デザインする人が違えば、デザインする敷地が違えば、デザインする建物の用途がちがえば変わってくるし。いろんな視点でいろいろな意見がでてくる。それにすべて満足いくような完璧なデザインなんてない。でもそれに近づけるように、良いデザインをつくれるように学んでいる最中の私たちはいろいろな先輩達の意見・批評からも多くのことを学べる。 だから批判や批評はまだ成長する余地のあるとても良いアドバイス、チャンスなのに、落ちこむよりむしろ喜ぶべきところなのにと思ってしまいます。

 

構造の授業でも、先生にアカデミックでは重量のない建築をデザインさせられてるから構造をいらないという。 おいおい。

 

どうやら、本人たちにとって難しそうなこと、分からないことを、”できない”ということにしたくないようなのです。そのために、あたかも言った先生、課題を出した先生が悪いかのような状況にするのです。

 

アメリカのでは多くの人が自分の意見を持っていて、議論するかのようだけど、一部はその状況を使って、議論をしかけて自分を守っているように思えます。防御するための攻撃。 先生と議論しあう事は、良い意味では先生と一緒に質の高い作品作りをするように思えますが、悪い意味では先生に甘えているように見えます。 絶対議論しなくても、批判や批評を受け入れて自分のデザインを発展させていくこともできると思うのに。

 

なんだかかわいそうな人たちだ。

春。

spring

どんどん暖かくなってきて自転車にのるのが楽しい季節です。

学校にばかりいると外がどうなっているか忘れることがあるけど、

たまに良い天気の時は外の光をあびるのも気持ちいい。。。

 

あー眠い。徹夜明け。

アメリカにいる日本人

2種類あると思う。

(2つだけじゃないと思うけど。2択にするとかっこいい?)

 

日本にいられない人 と どこにでもいける人

 

後者は、自分の居場所を見つけ日本を離れたり、やりたいことをやっていて気づいたら日本にいなかったような人たち。 そういう人たちは、自分の意思で考え、動き、悩み自分で自分の居場所を作っていくから美しいと思う。 必ずしも海外にいるわけでなく、居場所が身近なところに見つかった人は、与えられた場所で一生懸命生きている。 そんな自分の環境に一生懸命な、素直な人はとても魅力的に見える。

 

そんな私の身近に前者の人がいる。

今まであったことが無かったので、ちょっとびっくりしている。

最初は、面白かった。こんな人もいるんだなと思って。

 

でも、最近は輪郭が見えなくて気持ち悪い。

見た目はきれいな人だと思う。

 

その人はとても声が小さい。 同じクラスで聞き取れなくて、発表の時必ず声を大きくするよう言われている。本人は、言われるのを待っているかのようだ。でも、シカト。おい。

あげく、声を大きくするように言われないようなクラスに変更。 おい。

 

ミーティングにはやってこない。心配して聞いたら、眠いからこなかったそうだ。

みんな苦笑い。連絡しようね。 そして日本語でボソッと、”苦笑いされちゃった”

”行かないのは、行かない時点で損しているのわかっているのだから聞かないでほしい”だそうだ。

いや、私たちは迷惑してます。

 

表面的なことを断定的に言う。まるで雑誌のタイトルだけ取ってきて話す。

少し突っ込むと、興味ないから知らないという。 おい。 

 

挨拶しない、突然消える、遅刻して”早すぎだよ”ときれ、怒ってばかり、嫌がってばかり。

ヨーロッパ人の先生が好きだという。ここアメリカだよ。

楽なこと、楽しいことに小学生のように無邪気になり、いやなことはいきなり黙る。

謝ることをしらない。努力しない。  上には従順、年下は無視。自分より年下で何もできないやつが

嫌いらしい。いや、君が一番何もできてなから。

 

知らないが故の強さなのか恐ろしいほど断定的にしゃべる。

人の気持ちに興味が無い。でも、人が自分のことをどう思うか興味がある。

人と比べて自分の立ち位置を確認する。 もう四半世紀も生きてきたんだから。

自分と違う人、違う意見の人との違いを楽しみ、刺激をもらい、成長し合いましょうよ。

 

どうしてアメリカに来たのかと聞いたら、3人兄弟の末っ子で家にいたくなかったからなるべく遠くに行きたくてやってきたという。もう6年目。

 

想像してみてください。あまり話せない英語で表面的な挨拶だけして、ほんのちょっと”うんしょ!”って言ってがんばれば越えられる壁からずーと逃げてきた6年間。もう知らないといえなくなってしまっている。

何もかもから逃げてきて、何にもない人になってしまった人。

たぶん、アメリカのほうが母国語でない分、聞こえないふり、見えないふりがしやすかったのだろう。

いつのまにか本当に、聞こえなくて、見えなくなっているのに気づかないんだろう。

 

すっごくこわいです。まじで。

千と千尋にでてくる、くろいヤツみたい。 ブラックホールみたいで吸い込まれそうでこわい。

 

留学しているのがすごいことではない。

日本にいてやりたいことが日本でできればそれにこしたことはない。

 ひとつの場所で、しっかり働き続けることができればそれほどすばらしいことは無いと思う。

どこにいっても自分は変わらないし、居場所は自分で作っていくもの。

 

ちなみに私の居場所はいっつも散らかっている。。。

そろそろ掃除しよう。

 

英語でぐらいせめて、静かな人のふりをしようとしたら、、、、1週間もたなかった。

ダイナミック(おおざっぱ?)なのがすぐばれた。。。おかしい。言葉つうじねーはずなのに。。。

 

 

 

 

 

書いたのに

最初の文章気合入れて書いたのに

消えた。 おいおい。