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共創コーチのくまちゃんです
樹木希林さんがお亡くなりになって、半年後、内田裕也さんが後を追うように・・・。
この訃報にふれ、すぐに思い出したのは、母方の祖父母のことだった。
祖母は人間的な温かみと女性的なしなやかな強さを持ち、
自分が大人になってからも、たくさん話をしたいと思うような人だった。
僕のひとつの幸福は、幼少期から青年期、大人の入り口に立つところまで、両親、兄弟、
祖父母らと、死に別れることも生き別れることもなく、それが当たり前として過ごしてこられたことだと感じている。
そんな沢山いる大切な人の中でも、祖母は僕にとって、とても大きな存在の人だった。
身内に順位を付けるのはおかしい話だけど、常に1位・2位を争っていた。
今でも会いたいと、本当に心からそう思う。
祖母との別れは、あまりに突然のものだった。
学校卒業後、旅行関係の会社に就職していた僕は、翌日の集合時間が早朝だったため、
集合場所に近い祖母の家に泊り、翌日の朝、祖母と一緒に駅まで歩いた。
残念なことだけど、駅までの祖母との会話がどんなものだったか、ほとんど覚えてはいない。
でもはっきりと覚えていることがある。
仕事を終えて祖母の家に帰り、一息ついてから車で帰るときのこと、
車の中から、窓を下げた助手席のところに立っている祖母に
初めてこう言った。
「いつまでも、長生きしないかんよ。」
ほんの軽い気持ちだった。
体のどこにも異常がなく、心身ともに健康で健全だった。
あのとき、祖母にどうしてそんな言葉をかけたのか、自分でもわからない。
だが皮肉にも、
それが祖母との最後の会話になってしまった。
母から聞いた話だと、僕に言われた言葉がとても嬉しかったらしく、友達などに話をしていたらしい。
それを聞いた当時は、なんでそんなことが嬉しいんだ?と疑問に感じていたけれど、
今となっては、言っておいて良かった。
でかした!!当時の自分という感じである。
祖母のことはこれぐらいとして、内田裕也さんの訃報にふれて祖父母を思い出したのは、
祖母が亡くなってから、本当に後を追うように祖父が亡くなったことにある。
祖父の事は、
今になっても本当によくわからない。
まず祖父は、何を言っているのか分からない。
1人で何かを言っていることがよくある。
酔っぱらっているような感じの話し方をする。
本当に酔っぱらっていることもしょっちゅうだったと思う。
祖母や自分の子供たちに怒気をこめて何か言う時が結構ある。
普段、子どもから見て何をやっているのか分からない。
自分の世界観の中だけで生きている人だったようにも思うし、
かといって周りとの関わりを拒絶していたわけでもない。
幼いときは、祖父が他所の家と比べて、特に変わっていると感じたことはなかったし、
恥ずかしいとかそんなことも思ったこともなかったが、その後沢山の祖父という人たちを見てきたが、
誰一人として祖父のような人はいない・・・。
母親にどうしてあんな感じなの?と聞いたことも何度かあったと思うが、
はっきりしたことは、今だに僕にはわからない。
ただ、はっきりと覚えているのは、祖母が亡くなって、
祖父は大丈夫かという心配を自分の親を含めて親戚中がしていたことである。
そして、
まさに後を追うように、祖父は亡くなった。
人は生まれてくることは選べない。
そして一般的に死も選べない。
だからこそ、生かされている今の自分の選択や行動を後悔のないものにしていきたい。
そのように思うのではないだろうか。
祖母は後悔なく、苦しむこともなく、この世を優等生で卒業し、
唯一の心残りであっただろう祖父を呼び寄せたのかもしれない。
当時も今もそう思っている。
今思い出すと、祖父母には言葉を超越したつながりがあったように感じる。
別れは必ずやってくる。
祖母に対しては突然、前触れもなくなくなってしまったことは悲しいけれど
自分としての後悔はない。
それはきっと、伝えたい感じたことをきちんとその時、伝えられたから。
別れが誰と、どんなものになったとしても、
心がそう伝えるべきだと訴えた言葉は
自分と相手の間で生きているに違いない。
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