夕方担当医から電話あり
6日からの入院は手術日までそのまま引き続き入院。
とのこと、
慌てて一か月分の荷物などを用意している。
生まれて初めての入院なの で頭の中がどう捉えるべきなのか迷っている^^
病気への不安と少しの遠足気分。
そんな感じ。
この場をお借りして
沢山の励ましのメッセや電話有難うございます。
皆さんのお陰で勇気百倍です。
6日からの入院は手術日までそのまま引き続き入院。
とのこと、
慌てて一か月分の荷物などを用意している。
生まれて初めての入院なの で頭の中がどう捉えるべきなのか迷っている^^
病気への不安と少しの遠足気分。
そんな感じ。
この場をお借りして
沢山の励ましのメッセや電話有難うございます。
皆さんのお陰で勇気百倍です。
現在の状況
両手、両足、下腹部の痺れ継続中
最近はこの状態にも慣れてきて、キーボードを打つスピードも上がってきた^^
ただし、歩行は前より辛し><
箸もうまく使えなくなってきた。
11・6朝に村山医療センターへ検査入院、精密検査とCTを撮る。
そのまま入院か一旦帰宅かは症状を見てからの判断になるらしい。
11・15手術
その後約1ヶ月で退院予定。
自宅でリハビリ、および通院。
今回の手術にあたり、親族の同意書ならびに病気や手術内容の説明の為
親族を呼ぶように担当医に言われた。
かれこれ15年連絡を取っていなかった実家に電話をした。
留守電になるはずがならずに呼び出し音が鳴り続けていた。
時間を空けて何度か電話してやっと出た。
知らない爺さんの声に思わず
「○○(本名)さんのお宅ですか?」
と聞いてしまった。
先方は
「そうやけど。どちらさん?」
と言う。
「○○(KUMAの本名)やけど?」
相手は親父だった。
改めて15年の月日を感じた。
今回の自身の病気のことより両親や姉妹のことが気になり尋ねたが今ひとつ要領を得ないので
母親に代わってもらった。
母親の話では
父:重度の糖尿病で目がかすみ、耳が遠くなった。
母:3年前に脳梗塞で倒れ、左半身不随に。現在は父親が介護している。
妹1:子供二人、上は中学生、下小学生。
妹2:子供二人、上小学生、下保育園。
祖母:100歳を超えてなお健在。昨年市より感謝状を貰ったらしい。
だそうな。
そして今回のKUMAの病気のことを説明し、担当医から親族を呼ぶよう言われたことを伝えると
母親は毅然と
「自分の息子が体にメス入れる時に行かない訳にはいかんわぁね。」
今まで散々心配、迷惑をかけ、不義理の数々をし、何の連絡もよこさず生きてるか死んでるか
判らない状態だった息子なのに。
自分は半身不随でまともに立って歩けないのに、息子の為に上京すると。
今まで自分の中で扉を閉め、鍵をかけていた感情が心の中にあふれ出した。
元々我が家は家族同士の繋がりは希薄だった。
KUMAが中2の頃には両親とは離れていた。
高校生の頃は祖母と二人暮らしをしていた。
18歳で北九州へ行き、20歳で上京した。
金のむしんや援助を頼んだこともなかった。してはいけないのだと思っていたから。
齢44歳にしてはじめて親の有り難味を知った気がした。
今回の病気になった意味がここにあったのではと思った。
全開して経済的な建て直しができたら帰省してみようかと思う。
両手、両足、下腹部の痺れ継続中
最近はこの状態にも慣れてきて、キーボードを打つスピードも上がってきた^^
ただし、歩行は前より辛し><
箸もうまく使えなくなってきた。
11・6朝に村山医療センターへ検査入院、精密検査とCTを撮る。
そのまま入院か一旦帰宅かは症状を見てからの判断になるらしい。
11・15手術
その後約1ヶ月で退院予定。
自宅でリハビリ、および通院。
今回の手術にあたり、親族の同意書ならびに病気や手術内容の説明の為
親族を呼ぶように担当医に言われた。
かれこれ15年連絡を取っていなかった実家に電話をした。
留守電になるはずがならずに呼び出し音が鳴り続けていた。
時間を空けて何度か電話してやっと出た。
知らない爺さんの声に思わず
「○○(本名)さんのお宅ですか?」
と聞いてしまった。
先方は
「そうやけど。どちらさん?」
と言う。
「○○(KUMAの本名)やけど?」
相手は親父だった。
改めて15年の月日を感じた。
今回の自身の病気のことより両親や姉妹のことが気になり尋ねたが今ひとつ要領を得ないので
母親に代わってもらった。
母親の話では
父:重度の糖尿病で目がかすみ、耳が遠くなった。
母:3年前に脳梗塞で倒れ、左半身不随に。現在は父親が介護している。
妹1:子供二人、上は中学生、下小学生。
妹2:子供二人、上小学生、下保育園。
祖母:100歳を超えてなお健在。昨年市より感謝状を貰ったらしい。
だそうな。
そして今回のKUMAの病気のことを説明し、担当医から親族を呼ぶよう言われたことを伝えると
母親は毅然と
「自分の息子が体にメス入れる時に行かない訳にはいかんわぁね。」
今まで散々心配、迷惑をかけ、不義理の数々をし、何の連絡もよこさず生きてるか死んでるか
判らない状態だった息子なのに。
自分は半身不随でまともに立って歩けないのに、息子の為に上京すると。
今まで自分の中で扉を閉め、鍵をかけていた感情が心の中にあふれ出した。
元々我が家は家族同士の繋がりは希薄だった。
KUMAが中2の頃には両親とは離れていた。
高校生の頃は祖母と二人暮らしをしていた。
18歳で北九州へ行き、20歳で上京した。
金のむしんや援助を頼んだこともなかった。してはいけないのだと思っていたから。
齢44歳にしてはじめて親の有り難味を知った気がした。
今回の病気になった意味がここにあったのではと思った。
全開して経済的な建て直しができたら帰省してみようかと思う。