こんばんわ。
前回の投稿から時間があきすいませんでした。
親子共々順番に体調を崩していました。
やっとみんな体調が戻ったので、これからまた投稿していこうと思います。
では、クマさんの人生を見ていきましょう![]()
検査薬をしてもらっていると5分くらいででてきました。
神妙な面持ちで帰ってきて
彼女「陽性だった。たぶん赤ちゃんお腹の中にいると思う。」
マジで!!!!????
↑こんな感じでびっくりでした笑
そのあと二人で話し合おうとしましたが、二人共答えは決まってました。
俺達のところに来てくれた命を必ず大事にすると。
答えはこれ以外考えられませんでした。
そして次の日産婦人科に検査にいきちゃんと妊娠していることを診断してもらいその日の夜に自分の親に話しに行くことにしました。
夜になり彼女はスーツをきて話をしにきました。
家に入るなりスーツを着てビシッとしている彼女をみて、何かを察したように頭を抱えていました。
なかなか切り出せず無言の時間が続く中、さすがに言わないと!って思ったので自分たちの気持ちを伝えました。
自分の両親は、少し考えて
「ふたりで考えて決めたのなら俺達は応援する。
でもな、一つ覚えておけ。結婚はするのは簡単。でもお互いを尊重して喧嘩をしても許し合っていかなきゃいけない。
それができないと、うまく行かないし産まれてくる子供がきつい目に合うんだからな?
それだけは二人共おぼえておきなさい。」
自分の親父がそういってくれました。
かっこいい親父だなと思いました。
次の日、彼女のご両親に話に行きました。
仕事が終わりスーツに着替えて彼女の家に向かいました。
彼女の家につきある程度の世間話をしたあとに彼女父から
「で?今日はかしこまってどうしたんだ?」
と言われ、子供を授かった事、結婚して二人で育っていこうと決めたこと、それを自分の両親には伝えたことを伝えました。
すると、彼女父が、
「そうだと思った。どうしたらいいか考えてたけど、俺は孫ができて嬉しいし、その命を覚悟決めて育てるとお前らが言ってくれたことが嬉しかった。もしおろすって言ったらぶん殴るとこだった。」
と言ってくれました。
でも彼女の母は少し反対していました。
そのうち、彼女の両親で喧嘩が始まりました。
反対の母、賛成の父。
すごい口論になり口論がヒートアップしたとき、彼女父が机をひっくり返し机に置いてあったお茶が自分にかかりそれに気づいた彼女母がめちゃめちゃ心配してくれて喧嘩は閉幕しました。
ちゃんと話し合い最後は彼女母も認めてくれました。
次の日、親同士の顔合わせのようなものを急遽しました。
そこでいつ籍をいれるか、どこに住むのか、結婚式も産まれるまでにはしないといけないなということを話し合いました。
籍は月記念日に入れることを二人で決め、住む場所は自分の会社の近くにアパートを借りることにしました。
入籍をし、それからは忙しい日々でした。(これからは彼女から嫁としていきます。)
アパート探しなどを急いで終わらせ無事同棲生活が始まりました。
最初はホントにラブラブで喧嘩は全くしなかったんですが次第につわりもひどくなり喧嘩が増えていくようになりました。
一緒に生活するようになり嫉妬が激しくなり、携帯チェックは毎日で会社の女性とも目を合わせるのもだめと言われるようになりました。ですが、自分は別にやましいこともないので携帯も普通に見せていましたし、女の人とできる限り話さないなど言われたと通りにしていました。ツワリがきついからしょうがないと思ってました。
月日は経ち、安定期に入りツワリもなくなり落ち着くかな?と思っていると、嫁はもっとひどくなっていきました。
浮気を疑うではなく想像で絶対してると決めつけて自殺行為をしたり、家出するようになりました。
このときは子供が産まれたら母親としての自覚が芽生えてそういうことはしなくなるだろう。と思っていました。
仕事が残業になると毎回浮気と言われ否定しても暴言を吐かれて結構我慢していました。
アパートは会社から歩いて3分くらいのとこにあり、毎回仕事終わりにタイムカードを写真撮って嫁に
「今から帰ります。」
とラインを送りタイムカードの写真も一緒に送っていました。
それでもなぜか想像で決めつけて暴言をはいて、包丁を振り回して、家出がお決まりになっていました。
結婚式どころじゃないなと思ってましたが親にも言えるはずもなく結婚式の話を進めていました。
2016年4月14日
結婚式の話をするためにいとこの家に行くことになりました。
いとこは自衛隊の旦那さんがいて、当時生後八ヶ月の赤ちゃんがいました。
その日はちょうど旦那さんが自衛隊の泊まりでいとこと赤ちゃんしかいませんでした。
21時26分。
ドオーーーーーーん!!!!!
熊本地震の前震がおきました。
その時はちょうど赤ちゃんを抱っこしていたので咄嗟に赤ちゃんに覆いかぶさりました。
電気は一瞬で消えて、停電し背中には食器棚が倒れてきて下敷きになりました。
テレビも倒れてきて頭に当たりました。
地震後から、三人の携帯に地震速報?のような大きい音が止まらず鳴り響いていました。
これが、また恐怖を煽ってきます笑
揺れが少しずつ収まってきて、食器棚から這いつくばってでて泣き叫ぶ赤ちゃんを抱きかかえました。
周りを見渡すと家の中のものがいっぱい倒れてぐちゃぐちゃになっていました。
嫁もいとこもうずくまって泣いていました。
男が自分しかいないと思い、どうにかしよう。と思いましたが恐怖で足が震えて立ち上がれませんでした。
立ち上がれないので、
「大丈夫?怪我しとらん?」
というと、それはこっちのセリフ!とツッコまれて少しみんなに笑顔が戻りました。
嫁といとこは食器棚とテレビが自分に落ちてきて下敷きになり最悪な状況を考えたようです。
でも、自分はなぜか無傷でした笑
どうしようかと考えてるときに携帯が着信が鳴りました。
携帯を見ると自分のお姉ちゃんからでした。
姉「いまどこおっと?大丈夫?」
自分「今いとこの家におる!みんな大丈夫!」
姉「なら早く実家に来なっせ!」
いとこの家は実家のそばにありました。
実家やいとこの家、自分のアパートは、震源地の地域にありました。
なので、すぐに実家に行くことにしました。
すぐに、嫁と赤ちゃんを外に出し、自分といとこで赤ちゃんの洋服やおむつなど準備をしてすぐに向かいました。
外に出て、車が出せるのか確認するために少し歩いてみると、ブロックが崩れていたり傾いている家があったりバイクが倒れてガソリンがこぼれていたりしていたんですが、車は通れると思ったので車で行くことにしました。
車では、実家までいつもなら5分くらいで着くのですが、地震の後は道路がひび割れてマンホールが盛り上がっていたり、ブロックが道路まで崩れてきたりしていて、通れないので遠回りしていき実家に着くまで結局30分かかりました。
実家に着くと、家族たちも近所の人たちもみんな外に出ていました。
家族も近所の方たちも嫁のお腹のことを気にしてくれました。
ちなみにこのときは妊娠7ヶ月でした。
(自分の実家は祖父母も住んでいたので八人家族でした。このときは+嫁、いとこ、赤ちゃんで11人いました。)
実家につき、余震がずっと続いていたし停電も続いていたのでみんなでどうするか考えたり、友達の安否を確認したりなどしていました。
みんなで話し合った結果、家の外にいても瓦など落ちてくるので、危ないということになり近所に人もみんなで近くの小学校が避難所になっていたので、車を出し合って行くことにしました。
小学校につき体育館が避難所になっていて、電気が体育館だけついていたので行ってみると人でごった返してました。
「こんなとこで寝るのか?嘘だろ」
って思いました。
もちろんみんなまだ地震の恐怖があり余震も続いていたので、小さい子供以外は寝てる人はいませんでした。
みんなで座って話しているときに、また下から突き上げたように
ドーーーーーーン!!!
と余震が来て電気が消えて、みんな揺れが収まるのを待ってました。
体育館なので上の電気が吊るされていて、その電気がめちゃくちゃ揺れて、ガシャンガシャン言っててこのときが一番怖かったです。
揺れが少しずつ収まってきて、子供の鳴き声やきゃー!!という声が収まってきたときに、自分の父が危ないと判断したらしく、
「すぐにここからでよう!」
といい、家族とそばにいた友達と近所の人でグラウンドに行き車中泊することにしました。
まだ、4月で少し肌寒かったので、自分の嫁や子供たちは車に乗り他の人は外に座って喋っていました。
12時が回ってもみんな寝れずに喋っているとテレビ局が取材にきたりして取材されて全国放送のニュースに何回も載りました笑
そのおかげで他県にいるの親戚や友達から、携帯何回もかけても繋がらず心配してたけどニュースで安否確認できて安心したと連絡が来ました。
夜中も余震が収まることはなくて余震に耐えながら、朝までみんなで話して朝を迎えました。
朝になり、ニュースを見ていると、
「14日の地震が本震のため1週間ほど余震が続きます。」
とのことだったのでその日からみんなでなにも倒れるところがないとこで寝るようにしようと言うことになり、片付けをすることにしました。
ちなみに自分のアパートやいとこの家は三階だったので今帰るのは危ないということになったので片付けもある程度落ち着いてからしようと思い実家に少しいることにしました。
実家に帰り、余震に注意しながら片付けをしていると、震源地から離れてて被害の少ないとこに住んでる親戚がカップ麺などいろいろ持って手伝いに来てくれました。
ある程度実家の片付けを終わったのが夕方で駐車場でごはんを済ませ、前の日はみんな一睡もできてなかったので早いけど家の中で寝ようとなっていたのですが、父親が
「なんかまたくる気がする。車中泊しよう」
と言い始め、それでも女性陣は家でゆっくり寝たいと言っていて少し口論になりましたが結局避難所で車中泊することにしました。
自分の家は家族が多いのもあり車が3台あり、自分といとこの合わせて5台あったのですべての車を避難所に持っていきフラットにして布団引いて寝ることにしました。
結構長くなったのでまた別で投稿しようと思います!
読みにくいと思いますが、読んでいただけると嬉しいです!!!
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