お昼寝日記
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振り返り③

おはようございます。
スマホを買い換えました。
なので、端末のデータが消えていますので、ブログの内容が重複するかも知れませんが、お許し下さいね。

さて、昨日の続きです。

凜が産まれて、いづみちゃんと僕に一瞬だけ抱っこさせてもらえて、凜はマッハで小児科の先生の元へ。
産まれてすぐに泣き声もあったし、大丈夫だろうと思って見ていました。

先生がすぐに凜を連れてきてくださり、ちょっと小さめ(2090g)ですが、元気な男の子ですよ、と。
その後に言われた言葉が今でも胸につっかえて忘れられません。

お顔も正常なので大丈夫ですよ。

お顔も正常?大丈夫?
それって、ダウン症じゃないから、大丈夫って事だよね?
いや、先生は仕事の流れでこう言わないといけないんだろうし、なんの気なく言われたんだろうけど。


安心した、というより、なんか胸に突き刺さる言葉でした。
傷ついた訳ではなく。

僕はダウン症の友人が何人もいてるので、かも知れません。

複雑な気持ちが交錯した先生の言葉。でした。

では、次は初詣までの怒涛の子育て編へ。

新年初の書き込みですが。

絶望とはこういうことなんだな。

仕事に行きたいのに、体も心もついてこなくなる。

それを上司に気づかれ、休職、もしくは退職を考えたほうがいいといわれる。

もちろん、かじこのことを第一に思っておっしゃってくれたということは重々承知なのに。

絶望している。

横には愛する彼女もいる。

でも、絶望している。

贅沢な悩みかもしれない。

ほかには一人きりで苦しんでいる人や、もっと重病で悩んだり、苦しんでおられる方はごまんといるから。

でも、自分のことだけを考えたら、やっぱり絶望してしまう。

仕事が好きなんだなって思う。

でも、病気になる。このままでは直る見通しもない。

薬を減らすこともできない。

いまや、効いているのかそうでないのかすらわからない。

まわりから取り残された気がする。

いや、自分でそうなったのだ。

自分で自分の首を徐々に絞め、こうなったのだ。

周りのせいではない。

みんなは心配してくれている。それも痛いほどわかる。

周りの暖かな愛情に包まれている。それもわかる。

支えようとしてくれている人がたくさんいる。それもわかる。

でも、絶望している。

生きることに、明日が来ることに、そして、決して自殺できないことに。

明日もかじこは生きています。

絶望したまま。。


年末ですなあ

今年も残すところ、あと数時間です。

いろいろあった1年でした。本当にいろいろでした。

前半にはかけがえのない出会いがあって、それでこの1年ずっと救われていました。

これがなければ、今頃ここにいたかどうかも定かではありません。

9月に鬱病を再発して、それからずっと闘病生活を続けています。病院に通いながら、

よくなったり、悪くなったりを繰り返しています。

何をもって、良くなるかがわからない、また、周りにわかってもらえない病気なだけに

もどかしい日々を過ごしています。

落ちたときは、家中にある薬をすべて飲んで楽になりたいとか、急行電車に飛び込みたくなったり、

細いものを見れば、首をくくりたくなったり、このまま死んでしまえば自分はどれだけハッピーかと

思っているような感じです。

でも、彼女を含め、家族や友人、職場のみんなやかじこを治そうとしてくれているお医者さんたちに

ささえられて、いま、こうして生き延びています。

この病気はなかなか治らないけれど、のんびり生きていきます。

周りの皆さんに感謝を込めて。