第6話 社内教育 社内研修
21年間慣れ親しんだマイカンパニーにおいて、「教育」あるいは、「研修」というと、通常業務からひととき離れて、『自分を見つめなおす』だとか、『自分を磨く』だとか、何かわくわくする『発見との出会い』をイメージするのが普通であった。
私が在籍する外資帝国軍においては、「教育」あるいは「研修」というと、それは「破壊と造り直し」もしくは「自己の徹底的見つめ直し」あるいは「第三者からの客観的な修正」をストレートに意味するのである.。
研修イコール「通常業務をこなしながら乗り切るタフネスサバイバル」である。間違い無く自分の時間が全く無くなり、切羽詰るのが目に見えている。そうゆう過酷な状況に自己を追い込んでおいて、「火事場の馬鹿力」を発揮させるメンタルトレーニングであり、ロジカルシンキングをフィジカルにも叩き込む場でもある。
相当な覚悟が必要であり、教育に甘い香りは皆無であるのだ。
これが、本来の教育なのだと最近はやっと解ってきた気がする。(何せ、頭と体と双方で覚えるものだから嫌でもタフで賢くなる)ことに、この1年半かけて身をもって理解した。
今日、(昨年の)新入社員の方が、たまたま私が受けた「営業向け研修」と同じコースを「受講する」との事で、講義内容、事前の学習のヒント、ずばり提出物のサンプルなどを尋ねてきた。
一昨年までの、ジャパニーズマネジメントライクな私であったなら、「ここはこうだよ」と教えてあげるところであったが、『ふと待てよ』と我に返った。
あぶない、あぶない、ここで簡単に研修のアウトプットを教えてしまうと、この新人君は、実力がつかない訳で、遅かれ早かれ、諸先輩、講師、マネジメントに切り刻まれ、滅多打ちに会うのが見えているわけだから、少しでも成長のお手伝いをするのであるなら、ここで私ができる最大のお助けは、「ヒント」としてアウトプットは見せてあげる。 だが、『自分でよく考えた上で作成する気構え』が無いと、後々、辻褄が合わなくなる旨を伝える事であった。
よってもって、一日2時間、週10時間、月40時間、3ヶ月で120時間の自習が必須であることを、私の学習プランを参照しながら伝えた。
それにしても、ついこの間大学を卒業したばかりだというのに、何たる学習意欲の高さと、先輩から何でも学ぼうとする意識の高さかと、少し新人君に驚いている。確かに「すぐ答えを欲しがる」のだが、明らかに私たちが22歳のときとは、今の社会人は意識の点で、その熟成度がだいぶ違うようである。
明治時代の早熟な、学生達もきっとこうだったのかな、とふと思ったりもする。
インターネットが切り開いた文化は、一部の学生においては、明治時代の文明開化と同様の光明を与えているのかもしれない。影ばかりに目が行きがちだが、新人君達の光の部分は実に眩い。

