「本当に被災地に来たのだろうか」と思うほど、熊本駅前に到着した時は街が日常的に機能しているように見えましたが、益城町へ向かうにつれて風景が一変し、衝撃を受けました。
見えるほとんどの家は2階が1階を押しつぶす形で倒壊、道路は波打ち大きく陥没、倒壊を免れた理髪店の壁には「全国からのあたたかいご支援ありがとうございます」と書かれた張り紙。
「地震があってから運営や自宅の片付けでまともに休んでいない」と言う災害ボランティアセンターの職員さん。地震が来る前は普通の日常がここにあったのだと思うと、これが現実と捉えるのには時間がかかりました。
6月下旬から前任の三上を継いで活動することとなり、6月は主に益城町ボランティアセンターで運営のサポートをさせていただきました。
7月以降は益城町の中でも甚大な被害を受けた東無田地区、梅雨の豪雨被害も大きかった南阿蘇村で、それぞれ現地で継続的に活動されている団体に協力させていただく形で活動しました。
ワークキャンプは計4回開催し、瓦礫撤去作業を中心に仮設住宅引っ越しのお手伝い、農作業のお手伝い、夏祭りへの出店、こどもキャンプのスタッフなどを行いました。
定員4名という少数での活動は一人ひとりのコミュニケーションも図りやすく、被災地という不安定な日程でしたがスムーズな活動ができました。
・益城町島田(東無田)
益城町の中でも、東無田という地区は約120世帯中100世帯近くが全半壊し、「危険宅地」という調査結果の赤紙が貼られたお宅が大半でした。
この“赤紙”がある以上、一般のボランティアができる作業量ではないため、ボランティアが派遣できず、当初は地元の消防団が中心になり復旧作業をしてらっしゃいました。
以降は地元との話し合いの末、災害支援のNPO団体が活動していくことになり、NICEも協力させていただき、瓦礫やブロック塀の撤去作業を中心に活動しました。
5か月間の中で、東無田の人々は「前向きな人たち」だと強く感じました。
もちろん県内外から日々様々なボランティアが訪れるのだから、悲しい顔では迎えられない、ということもあるかもしれません。
しかし地元で「復興委員会」を立ち上げ、専門家を招き復興に沿ったまちづくりの勉強会を定期的に開いたり、県内では自粛ムードの中復興を銘打って夏祭りをしたり、企業向けに地震前後の状況を伝えるツアーを行ったりと、大変な状況でありながら「自分たちの手で立ち上がるんだ」とよく話してくださっていました。
・南阿蘇村
東西に広い南阿蘇村では、西と東では被害の規模が全く違います。
西は連日報道された東海大学農学部のキャンパスや、土砂崩れによって崩落した阿蘇大橋など大きな被害があった一方で、東に行くにつれて被害はあまり見られません。
また6月の豪雨では、緩んだ地盤の棚田が崩落し、至る所で川が氾濫、土砂崩れが発生し農業用の水路が寸断されるなど致命的な被害を受けました。南阿蘇を一望できる場所から見渡すと、山々に縦に爪でひっかいたような土砂崩れが多く見られました。
南阿蘇村では村民で作られた有志のボランティア団体に協力させていただき、田んぼに流れ込んだ流木の撤去や仮設住宅への引っ越しのお手伝い、南阿蘇鉄道の草刈り、夏祭りへの出店など、様々に関わらせていただきました。
夏祭りで出店した「おもちゃの金魚すくい」は子供たちにはとても好評で、閉店ぎりぎりまで景品を狙って「もう一回!」と夢中で遊んでくれました。
今回の活動にあたっては、NICEで長年ワークキャンプを開催している阿蘇市波野の方々に、ご厚意で事務所兼宿泊場所をお貸しいただきました。
とてもまとまりの強い地域で、ワークキャンプが始まる度に大勢の方にお集まりいただき、バーベキューで歓迎会をしていただきました。
お盆には10年前45年ぶりに復活させたという地元の盆踊りにも参加させていただきましたが、初盆のお宅を一件ずつ回り、唄の内容もお宅によってアレンジするという細やかな拘りで、日本の「お盆」の意義を感じられた深い時間でした。
私自身の話になりますが、活動当初は被災地という情報が毎日錯綜する中で目の前のことに取り組んで行くしかない状況で、とにかく求められているところに行って活動していました。しかし滞在が長くなるにつれて、地元の方との会話や、有明海に沈む大きな夕日、無数に湧き出る温泉と水、阿蘇カルデラの雄大さ、農業が盛んな土地にあって野菜はもちろん肉や牛乳、海の幸も美味しく、熊本の魅力に虜になり、全ての時間を楽しいと感じている自分に気づきました。
そう感じてからは、自分の役割はボランティアを「受け入れる側」として調整するだけでなく、参加者の方々に熊本の魅力を知ってもらうことも一つかもしれないと思うようになりました。
そして最後に「来てよかった」「また来ます」と言ってもらうことができれば、帰ってからも様々な「熊本」が会話のトピックになり、それが「行ってみようかな」というきっかけになったり、何らかの形で支援の輪が広がっていくのではないかと考え、活動後には温泉へ行ったり(手頃な値段で入れます!)、フリーデイを利用して観光に行ったり、熊本名物を食べてみたりと、メンバーが熊本を楽しむことを心がけてコーディネートしました。
参加者の方々は率先して行動するメンバーが多く、急な予定変更にも柔軟に対応していただき、いろんな場面で助けられました。
活動後の振り返りでは「自分で情報を得て判断することが大事だと思った」「来てみないと分からない」「帰ったら色んな人に熊本の話をしたい」「また来たい」など、“やって良かった”と思う声を多くいただきました。
現在避難所は閉鎖され、全申請者が仮設住宅に入居したとは言え、県外に避難されている方も多く、やっとスタートラインに立った段階であると言えます。
建物の解体もまだまだこれからです。しかし県外はおろか、県内でも温度差はあり、地震の影響はほとんど無い所もあれば、本当に大変な所もあります。
熊本産のものを買ったり、旅行に行ってみたり、他にも熊本に関わる機会はたくさんあると思います。
是非、会員の皆様にも色んな形で熊本に携わっていただければと思います。





















