こんにちは。くまさんです。
最近、メルさんからのお題を頂けないので少し寂しいですけど、お任せいただいたと勝手に解釈して進めて行こうと思います。
くまさんの方は、本日よりカレンダー通り大型連休突入です。
この週末辺りから、ようやくじんわりと汗ばむように陽気が上がってきています。
ま、昨日は八十八夜でしたしね。いつまでも肌寒い陽気では、本当に異常気候(?)になってしまいます。
さて、またおかしな騒動が巻き起こっています。
お笑い芸人ナインティナイン岡村隆史さんの失言に対しての炎上騒動です。
武漢肺炎感染拡大対策としての自粛が長引くことで、経済活動にきしみが出つつあります。
その影響で生活に困った女性は、自粛騒ぎが治まるころ風俗で働くようになるから、それを楽しみに今はこの自粛を耐える。。。。
とまあ、こんな内容を深夜ラジオ番組のオールナイトニッポンで発言したというのです。
この発言に対して賛否両論が巻き起こっています。
この状況について、今回はあえて「火中の栗を拾う」リスクを負いながら、検証を進めてみたいと思います。
賛否両陣営ともそれぞれ思うところはあるでしょうが、くまさんの感じたのは自粛生活でどこもかしこも、相当フラストレーションが溜まっているな、ということでした。自粛疲れどころの表現で表せません。
そんな甘いものじゃない。
この状況はヤバいです。
かつて、ドイツが第1次世界大戦で大敗を期し、その賠償金の支払いのため、とんでもないインフレの窮乏生活が国民に強いられた結果、そのフラストレーションがドイツ労働者党(ナチスドイツ)の台頭を許し、ヒトラーという全体主義の求心力によって、再び戦時に向かっていくという歴史がありました。
国民のフラストレーションは、一気に国家体制を変革させるエネルギーにつながります。
でも、現状況はこのフラストレーションの矛先が現政権に向かっていない。
いや、向かっているのかもしれませんが、それを束ねるモノがない。
だから、散発的な個人攻撃でガス抜きをしている状況で済んでいます。今はね。
今回の岡村隆史さんの失言についても、世相を斬る風刺として笑い飛ばしてしまえる。。。。とご本人は思ったのでしょう。
ちょっときつめの毒を入れて、面白おかしく世相を風刺し、自身がピエロになることで、自粛、自粛で沈鬱する状況を少しでも明るくしたかったのでしょう。コメディアンの存在意義は視聴者に笑い飛ばしてもらい、元気を与えることです。
この様にうまくいけば世間の耳目を集め、人気を博することが出来る!!との計算が働いたかもしれません。
折も折、NHKの大河ドラマ「麒麟が来る」では家康を守る「忍び」として、重要な役割を果たしていくポジションを得ています。
同じく「チコちゃんに叱られる」では、少しとぼけた3枚目のポジションで視聴者の受けも悪くない。以前のド突き漫才やっていたころの印象がくまさんは強いのですが、何か「おとなしくなっちゃったなぁ。。。」というのが偽らざる視点なのです。
ですから、彼の失言がニュースフィードに出た時に、「あぁ、毒吐いてるなぁ。でもちょっと攻めすぎじゃね?それでもどこかでさらに笑いをかぶせてフォローするでしょ。」と思ったのです。彼はお笑い芸人ですからね。
ところがまさかの謝罪。
コメディアンが正気に返り、謝罪することほどシラケることはありません。
彼らは毒を吐きつつも絶妙なバランス感覚で、怒りをかわし、おちゃらけて見せながら、次の笑いにつなげ、視聴者に一時とはいえ、生きていくことのつらさを忘れさせるのがその存在意義だとくまさんは思います。
長年、芸人をやってきた彼に、その呼吸、距離感が分からないはずがない。
しかし、今度の騒動では違った。
その上、所属の吉本興業も擁護せず非難に回った。
彼の視聴者の見切り、視聴者との距離感の捕捉に失敗したのです。
この状況はまずい。
何故なら、お笑いであっても武漢肺炎に触れることは「禁忌」というレッテルが確定してしまったからです。
この状況がどうしてまずいのか、もう少し検証を進めてみます。
続きます。