大きなクライアントを失う


 3月末でクライアントの契約が1つ終了する。
継続するとなるとそれはそれで困るのだが、大きいクライアントだ。
もう少し何か別な方法は無かったのか考えてみるのだが
やはりこうするより仕方無かった。

  今、私は大阪を拠点に動いているが
どうしてもクライアントは東京が中心になる。
将来的なことを考えるとやはり東京に戻ろうかとも考えてみる。

  この時期、色々なことを考える。
人材育成や支援をビジネスとしているが、時にそういう自分でも
幾たびか立ち止まり悩み苦しむときがある。

  今がそんなときかも知れない。
そういうとき、私は立ち止まらない。
ひたすら動くことにしている。 

   日常にある真実


 今週は上海に行っていた。
打合せのためだが、刺激を受ける。
アンテナを張り巡らせることは大切なことだ。

 上海は喧騒の街だ。
交通ルールはあるのだがあってないようなもの
だから街はクラクションの音ばかり。
うるさくてたまらない。
日本人はぼやぼやしていると車にひかれてしまうだろう。
実際、交通事故は半端じゃなく多いらしい。
実際、私も上海で乗っているタクシーとバスで、
それぞれ1回ずつぶつかっている。
来るたびに必ず1度は、事故を見かける。

 今回も事故を目撃した。
それも目の前で人が車にはねられたのだ。
自転車にのったおじさんが、車にはねられひっくり返った。
一瞬のことだったが、まるでスローモーションフィルムの
ように自転車がグニャリと曲がり、おじさんは不自然なのけぞり方で
宙を舞った。

  地面に叩きつけられる。 
一瞬の静寂があった後、周りに居た人たちがいっせいに駆け寄ってきた。
おじさんをみんなで抱き起こすと、おじさんは笑顔を浮かべる。

  大丈夫なのだろうか。
腕は完全に曲がっているし肩からも血が滲んでいる。
おじさんはよろよろと立ち上がり、グニャグニャになった自転車を
押しながら歩き始める。
 
 どうみても病院にいったほうがいいし、運転手はどうしたんだ。
車はもうなかった。 また集まっていた人たちも
おじさんが立ち上がるやいなや、何も言わずいつのまにか去っていた。

  日本なら救急車を呼ぶだろう。
動くなと言うだろう。  ここは上海だ。
医療費もかかるのだろうし、どうみても貧しそうな身なりだ。

  おじさんは血を流しながら、本当にヨロヨロと歩いていく。
腕は、片腕がダランとしている。
足もやばそうだ。  見ていて涙が出そうになった。

 この国は これが日常、そしてこれが人生なのかも
しれない。 所詮、傷ついても本人しか痛みは分からないもの。
同情することは出来ても、誰も痛みを変わってあげることは
出来ないだろう。 またそうしたくもないのだ。

  大きな企業が倒れるのも、ほんの日常
逆に小さな企業がチャンスを掴み上がって来るのも日常だ。
ライブドアとニッポン放送? 小さな日常の事
そう他人事は小さな日常なのだ。
みんなそう思っている。 でも日本人は外野でも騒ぎ立てる。
大変だと言って、評論家が出てきてあーだこうだと言う。

 それが自分のこととなると話はより深刻になる。
ライブドアの一件など良い例だ。
ニッポン放送の社員たちを見ていれば良く分かる。
署名だとか意見書を出したり労組を作るなどという。

僕はそういう光景を幾度も目にしてきた。
自分自身がそういう立場になったこともある。

  でも所詮、日常のことなのだ。
平常心とは こういうことを言うのではないだろうか。

 上海の日常の光景を見たとき、僕は気づいたことがある。
事故にあったおじさんも周りの人間も誰一人騒がなかった。
おじさんも瀕死の状態なのに当たり前のように受け止めている。

  日本なら大騒ぎだろう。
中国4千年の歴史と13億の民、大きな事でも日常と
受け止めることが出来る国民、彼らは強くなるだろう。

  不安もチャンスも日常のこと。
焦らず、そしてスピーディに行動したいものだ。