地獄の夏が終わった。
講習の準備の段階で憂鬱だったけど。
でも終わってみれば、「いろいろあったなー」くらいで、講習が始まる前に予想してた苦しみは覚えてない。
「やだな、やだな・・・」
って気持ちでやって、それが終わったから、達成感というか、開放感の方が大きくて、きっつーだった記憶が打ち消され始めているのかもしれない。
そもそも実際に授業が続いて、それらがキツかったのかどうかさえ分からなくなってきた。
実際に授業は大変じゃなかったのか、体が慣れてきたのか、「やだな」って思ってたから、実際にやってみたら「意外と大丈夫だな」って思ってたのか・・・
どうでもよくなってきた。
地獄の夏が終わった。
今はそれがたいせつなこと。
クソだと思ってたことがクソじゃなかったときの心の救われようったらない。
じゃあその逆が起きたら?
わくわくして、ハフンハフン!って期待してて、実際にわくわくすることじゃなかったら?
期待が裏切られたら?
心はダメージを食らうはずだ。
だれだって心にダメージを負いたくないはずなのに、期待してしまうことって多い。
そもそも明日に期待が持てなければ、生きてはいけないだろう。
『期待』は、生きるためにそもそも必要なものなのかも。
ばかみたいな金額払って子どもに夏期講習受けさせる親も同じ。
子の成績向上とか、子の将来、つまり自分のこれから先を期待している。
まぁ、子に期待しないってことは、自分に期待しないってことよりも難しいのかもしれないけど。
人によるか。
期待して金額を払い続ければ続けるほど、親は塾をやめにくくなる。
期待してアホナンピン買いして、ナンピンすればするほど売りにくくなるのと同じ。
中には損切りが早い親もいる。
1回の定期テストの結果が思惑通りじゃなかったら、「はい、カットー!」っていう親が。
もちろん根底には子への期待があって転塾を考えてるんだろうけど、ただ、自分の子どもそのものを『カット』できる親は基本的にはいない。
「このガキあかんな。じゃーねばいば~い」とはできない。
よほど親がポンコツか、親が人間じゃないかぎり、親は子の将来に責任を感じる。
子の期待のために生きる。不思議な循環だ。
『期待』というのはやっかいで、無限に成長する危険な性質をもっている。
期待の成長が人間の歴史をつくってきた。
安い賃金でも家が買える!家具をそろえよう!車も欲しい!庭にプールも造っちまえ!
そうやって成長した期待をサブプライムローンが支え続け、結局はその期待を実現できなくなり、手にしたものを失った人がいっぱいいた。
期待が実現されると、満足して終わり、、、ではなく、次の期待が生まれる。
『次の期待』は自然に発生するので、これはどうしようもない。
人が選べる選択肢としては、
●『期待が実現されない可能性がある』と理解すること
●『期待』を実現しないこと
の2つだ。
子どもの場合も同じ。
どうしても自分の子には期待をしてしまう。
才能の発掘にいろんなクソみたいな習い事をさせる。バカじゃねえのかなと思う。
そんな期待、いずれひっくり返されるのに。
そういう親に限って、「やってみなくちゃわからないでしょ?」とかまたバカみたいなことを言う。
損切りが遅い。
成績が全然上がらない超絶ポンコツガキを塾に通わせ続ける。
「ビリギャル」とか「シンデレラ」とか、ポンコツほど夢見たがる。
デブスにダンスを習わせる。
何年たっても英語が話せないのに英会話習わせる。
ピアノとかサッカーとか書道とか水泳とか。
そんなもんやらせて何になんの?
その金で株買って長期投資した方がよほどリターンを期待できる。
勉強もスポーツも趣味も、そんなの学校とか家でできんだろ。
子に期待すればするほど資産を失う。
そうではなくて、まずは、自分の子がポンコツである可能性をしっかり受けとめること。
そして、子にアホな習い事をさせないこと。
これが自分の、そして子の心を守るたいせつなことだ。
『期待の成長』にも注意してなくちゃいけない。
今回の合宿で、英語の長文読解が少しできるようになった!と勘違いちゃんたちが発生。
合宿後は生徒と講師の距離が近くなり、生徒が不思議なテンションになるのも特徴。
合宿後の講習で、「先生、〇〇教えてくださーい」とか勘違いちゃんが調子に乗るので、こっちはいなさなくちゃいけない。
自分ができる子だと思ってんのか?
もっと頑張れば、もっとスキルが上達すると思ってんのか?
こんだけ生徒を見続ければ、どんな子がこれからどうなるかなんて、もうわかってんだよ。
できるやつはそんなアホな質問してこねぇんだ。
親は子に『期待の成長』について教えなくちゃいけない。
まちがっても、「あなたは、やればなんでもできる!」とか嘘を教えちゃいけない。
それは、子のメンタルを、そして自分のメンタルを破壊することになる。
本当の幸せ・達成感・開放感は、期待の実現とは対局の方向にある。
期待すれば、期待が裏切られて傷つき、
期待が実現されれば、同じことがまた起こっても満足できず、次のレベルを期待するようになり、
次の期待が実現されないどころか、前の次元の期待もぶち抜かれることもある。
幸せを感じるためには、これからの人生がクソであると受け止め、憂鬱の準備をしておくことだ。
そうすれば、ちょっとくらいクソな出来事があっても、「これくらいで済んだ。よかった」って思える。
そもそも今何事もなく生きていられることを幸せと思える。
子が健康でいることを幸せと思える。
それを、『期待の成長』から親は守らなければならない。
地獄の夏が終わった。
シャバの空気はうまい。