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硫黄島からの遺品 玉砕70年 加須出身・籠宮さんの手帳など

返還された手帳を手にする間庭喜子さん(左)と籠宮昭子さん=加須市で
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 第二次世界大戦末期に硫黄島で戦死した加須市(旧騎西町)出身の籠宮(かごみや)一之助さん=当時(22)=の手帳など遺留品が戦後七十年を経て遺族に返還された。一之助さんの妹の間庭喜子さん(73)=熊谷市=と籠宮昭子さん(71)=加須市=ら遺族が二十七日、加須市騎西総合支所で記者会見し、遺留品を公開した。 (中西公一)

 一之助さんは一九四四(昭和十九)年に出征し、海軍に所属。四五年三月十七日に小笠原諸島の硫黄島で戦死したとされたが、遺骨や遺品はなかった。

 返還された遺留品は軍人手帳や未使用の絵手紙三枚、モールス信号が書かれた紙など。硫黄島で戦った元米兵が持ち帰った。元米兵の死去後、米ソルトレークシティー在住の義理の息子が見つけ、宗教団体「末日聖徒イエス・キリスト教会」に返還を依頼したのが発端だった。

 遺族が昨年五月、インターネット上に日本語で書き込まれていた「籠宮一之助さんの硫黄島での落とし物を預かっています。お返ししたい」との一文を見つけた。相談された加須市の騎西地区遺族会を通じ市が国や県など関係機関に問い合わせたが、手掛かりを得られなかった。そんな中、昨年十二月、一之助さんの遺留品であることを突き止めた米側から加須市に連絡があり、今年三月十八日に返還された。

 遺族は当初、ネット詐欺などを心配し、「あるはずがないと思っていた」(喜子さん)、「複雑な気持ちでいた」(昭子さん)。しかし、返還前に確認用に送られてきた遺留品のコピーを見て、筆跡から一之助さんのものと確信した。

 会見で喜子さんは現在の心境を「返ってきてホッとしている」と語り、「手帳には姉から聞いていたお兄さんが好きだった人の名前と住所が書かれていました」と明かし、…続きはリンク先でお読みください。


東京新聞記事より引用
東京新聞 2015年5月28日

東京新聞記事リンク

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