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【語り継ぐ陸軍桶川飛行学校】 (2)空への憧れ乗せた「赤とんぼ」

 ■「戦争に勝つ」励まし合った兵舎

 戦時中の写真や資料が掲示されている桶川飛行学校の資料室。木造の建物はかつての兵舎で、歩くとミシミシと木の床が鳴り、壁やガラスなども当時のままに残されている。ここに1室20台ほどのベッドが並べられ、航空兵たちが寝起きを共にしていた。

 「日本が戦争に勝つのであれば、命ぐらい落としても構わない。訓練に疲れたときは、そうやって仲間同士で気持ちを高めていましたね」。昭和19年10月に少年飛行兵として入校した大塚清さん(87)、東京都世田谷区=は、兵舎の中で同志らと励ましあった日々を昨日のことのように思い出す。

 ◆1500人を養成

 桶川飛行学校の開校は昭和12年6月。10年に開校した熊谷陸軍飛行学校(現・航空自衛隊熊谷基地)の分教場で、荒川を挟んだ河川敷に幅300メートル、長さ2千メートルの滑走路があり、20年2月に閉校するまで1500~1600人の航空兵を養成した。終戦間際には特別攻撃隊の訓練所として使われたが、戦況が悪化する前は、パイロットを夢見る若者が厳しい訓練に汗を流す場所だった。

 「ゴルフ場みたいにきれいな大草原に、格納庫代わりのテントがあった。パイロットは憧れの職業だったので、収納された“赤とんぼ”が勇ましく思えた」

 桶川市在住で「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」会員の天沼一さん(81)は、母親に手を引かれて開校間もない桶川飛行学校を見学したのを覚えている。赤とんぼとは、飛行学校の前期課程で使われた複葉機「九五式乙I型中間練習機」のことだ。鉄の骨組みに布張りの翼を持ち、識別しやすいようにオレンジに塗られた機体から、そんな愛称が付けられた。

 ◆命を共に

 「ここに来れば飛行機に乗れると、わくわく希望に満ちた気持ちは今でも忘れられません」(大塚さん)

 訓練には、ほかの兵科から航空兵を希望してきた召集下士官や少年飛行兵、学徒出陣で集まった特別操縦見習士官らがやってきた。前期5カ月、後期6カ月の基礎課程を通じて1人で飛行機を操縦できるまでの技術や知識を習得。後期課程では偵察機を改造した単翼の「九九式高等練習機」を使い、単独飛行でさらに高度な技術を学ぶ。基礎課程修了後は全国各地の飛行隊や外地の部隊に配属され、実践機の訓練に励んだ。

 前期課程では、赤とんぼの前部座席に教官、後部座席に学生が乗り、水平飛行や宙返り、旋回などの特殊飛行や編隊飛行などの訓練を行った。

 滋賀県大津と熊谷の飛行学校で航空兵としての基本訓練を受けた後に入校した大塚さんは、「初めて雲の上を飛んだときはまるで夢を見ているみたいだった。訓練は厳しいが、…続きはリンク先でお読みください。


産経ニュース記事より引用
産経ニュース 5月12日(火)16時24分配信

産経ニュース記事リンク


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