まずreggaeにおいて大事なものを紹介
はいreggaeとはいくつ物ジャンルの集合体で構成されてます
まず前に乗せたようにSKAです
後R&Bも合体しますね
ここからなんですが、聴きなれないジャンルですが(メント)、ジャマイカにおいて、スカやレゲエ以前にあったフォーク音楽の一形態ですね
楽器は、アコースティックギター、バンジョー、打楽器、ルンバボックスに加えて、手作りの竹のサックス、クラリネット、フルートなどによって演奏されます
次に必要なのがSKAの時にも紹介したナイヤビンギです
また聴きなれ無いかもしれませんが(カリプソ)ですね
何じゃと思われる人も多いかもしれませんがreggaeのルーツの1つでもあるといわれるぐらい重要です
ざっくりと(カリプソ)を紹介
リズムは4分の2拍子。カリブ圏内においてはもっとも波及した音楽の一つですね
細かくいくと
1800年代のアフリカ人奴隷たちはお互いに言葉が通じず困りました、で音楽でコミュニケーションを取り出したのが始まりです
カリプソの歌詞は、島の生活に関連するあらゆる話題をニュースにしていたため、カリプソニアンたちは、政治腐敗に対してもはっきりと歌い、言論の自由を押し進めた。結局イギリス当局は検閲を実施したが、それでもカリプソはなくならなかった。検閲が厳しくなるほど、比喩や暗喩を用いたり、批判の視点も鋭くなっていったためである。このようなカリプソの歌詞の攻撃的な批判性をピコン(picong)と言います
カリプソはソカになる訳ですから、reggaeのルーツに間違いないでしょう
しつこいようですがまだコレだけではreggaeは完成しません
ロックステディ
これを忘れたらだめですね
流行った期間がわずか2年とかなり短いですが、勘違いしてる人も多いかもしれませんがロックステディはreggaeじゃないです
ジャマイカのPOPです
でもコレだけじゃないんです
他にもコンゴ発祥のクミナや西アフリカ発祥のジョンカヌーなど様々なジャンルが合体して完成したんです
それら全てのジャンルをMIXして今現在のreggaeがあります
まず (reggae)」と言う名前の語源ですが、「ぼろ、ぼろ布、または口げんか、口論」という意味を表したりします
他にもジャマイカ英語のスラング「レゲレゲ ("rege-rege")」が転じたものという説もあります
語源にはいくつかの異説がありまして、歌手の(デリック・モーガン)は以下のように述べてます
私たちは「ロックステディ」という名前が気に入っていなかったから「ファット・マン」の新しいヴァージョンを作ることにした。
オルガンを使って地を這うようなビートに作り直すことにしたんだ。
プロデューサーのバニー・リーはその変化を気に入ってくれた。
そして彼はオルガンとリズムギターで「レゲッ、レゲッ」と聞こえるサウンドを創り出した。
バニーはそれを「レゲエ、レゲエ、レゲエ」と呼び、他のミュージシャン達もそう呼ぶようになったみたです。
また、「都合のいい女」を意味するジャマイカ・クレオール語(パトワ)のスラング「ストレゲエ ("streggae")」をクランシー・エクルズが略語化したという説もあります
1968年に史上初めて「レゲエ」という語をタイトルに取り入れた楽曲「ドゥ・ザ・レゲエ (en)」を発表したメイタルズのリーダー、トゥーツ・ヒバートは以下のように語っています
確かに当時ジャマイカで「ストレゲエ」という言葉はあった。
例えば女の子が歩いているとき、誰かがその子を見ながら「なあ、あの子はストレゲエだな」なんて言ったりしたみたいです
彼女はあまりお洒落じゃなくぼろっちいっていう意味
まあ、女の側も男達に対して同じ事を言っていたんだろうが。ある日の朝俺と友人達で遊んでいるとき俺はこう言ったんだ。「オーケー、レゲエをやろうぜ (Let's do the reggay)」って。それはただ単に口をついただけの意味のない言葉だったんだが、俺達はすぐに「ドゥ・ザ・レゲエ、ドゥ・ザ・レゲエ」と歌いだして、ビートを作っていった。人々は後になってそのサウンドと名前は神から与えられたものじゃないかって言ったね。それ以前にはそういうスタイルの音楽のことを「ブルー・ビート」とか色々な呼び方で呼んでいたんだがね。この話は今ではギネス・ワールド・レコーズにも載っているって訳だ
レゲエは普通の人々が作ったということだ。判るか?日常を語った音楽であり、ゲットーから生まれたものであり、大衆のものということだよ。毎日の飯のように、ダンスするための音楽としてレゲエが必要だったのさ。レゲエは日々苦闘し、欲しいものも手に入らないレギュラーな人々 (regular people) という意味なんだよ
また、ボブ・マーリーはレゲエの語源は「王の音楽」を意味するスペイン語であると主張していたさらに、「王のために (to the king)」を意味するラテン語「regis」に由来するとする説もあります
これまでは前振りです
ここからが本番になりますので(笑)
音楽的特徴
狭義におけるレゲエのアンサンブル、及びレゲエバンドにおいて使用される楽器は、ドラムセット、ベース、ギター、キーボード、パーカッション、そしてトロンボーン・サキソフォーン・トランペットによって構成されるホーンセクションです
最も特徴的な演奏様式はドラムとベースによるリズム隊によって形作られる特有のグルーヴを中心に、リズムギターやキーボードが第2、第4拍目にアクセントを置きオフビートを刻むものであります
これはクラーベをリズムの基本にするドミニカ共和国のメレンゲやマルティニークのズーク、セントルシアのビギン (en)などの近隣のカリブ海地域の音楽とは全く異なる演奏様式
レゲエのリズムはしばしばレギュラービートとシャッフルビートを同居させ、ポリリズム(パフュームじゃないですよ)を形成
BPMは72から92の間であることが多くて、音数は少ないものの隙間でグルーヴを感じさせるように演奏します
またレゲエのリズムのことをジャマイカ英語で「リディム」と言い、しばしば曲名だけではなくリディム自体にも名前がついていたり
1970年代におけるボブ・マーリーの世界的ヒットなどを経て、レゲエの演奏様式はヨーロッパ、アフリカ、アジアなど世界中の様々なポピュラー音楽でも演奏されるようになった。また、ジャズ、ロック、ヒップホップなど異なるジャンルとのクロスオーバーやレゲエ風アレンジも多く見られます
楽器と奏法
ドラムス
標準的なドラムセットが使用されることが多いです
スネアドラムはしばしばティンバレスのような非常に高い音にチューニングされ、演奏ではリム・ショットが多用されます
また、ロックやポップスなどと異なりシンバルを使ったフィルインはあまり用いられず、ハイハットを叩く際はアクセントをつけず平板なビートを刻むことが多いかなと感じます
レゲエにおけるドラムビートは、大きく分けて「ワンドロップ (One Drop)」、「ロッカー(Rockers)」、「ステッパーズ (Steppers)」などに分類することができますね
ワンドロップ
1拍目にアクセントがなく、3拍目のみがスネアドラムのリムショットとバスドラムによって強調されます
カールトン・バレットが開発したとされるこのリズムは、レゲエを特徴づける要素の一つであります
代表的楽曲は(ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ)の「ワン・ドロップ (One Drop)」
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フライング・シンバル
ワンドロップのドラムに、通常はギターやキーボードが強調する2拍目、4拍目をハイハットのオープンショットによって強調する奏法です
1974年にカールトン・サンタ・デイヴィス (en) が開発し、1975年まで流行した
代表曲はジョニー・クラーク (en)「ムーブ・アウト・オブ・バビロン (Move Out of Babylon)」
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ロッカーズ
ルーディメンツを下敷きにしたマーチングバンド風のフレーズをスネアドラムで叩く叩く
その戦闘的にも聞こえるビートから「ミリタント・ビート」とも呼ばれています
スライ・ダンバーによって開発された代表的楽曲はマイティ・ダイアモンズ (en)「アイ・ニード・ア・ルーフ (I Need A Roof)」(1976年)
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ステッパーズ
スライ・ダンバーが開発した4拍子の4拍すべてに固い4つ打ちのバスドラムを打つリズムです
代表的楽曲はなボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ「エクソダス」
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この曲でカールトン・バレットは、4分の4拍子を刻む4つ打ちのバスドラムに8分の6拍子を刻むハイハットの3連打を絡めていますね
ベース
ロビー・シェイクスピア(1978年)
標準的なエレキベースが使用されるが、極端に重低音を強調した音にチューニングされます
レゲエにおいてベースはうねるようなベースラインを繰り返し、転調も少ないのが特徴です
ギター
アール・チナ・スミス(2009年、スウェーデン)
標準的なエレキギターが使われることが多いが、アコースティックギターが使用されることもあります
レゲエにおいてギターはカッティング奏法で2拍目・4拍目のオフビートを強調することが多いかなと感じます
カッティング奏法といってもファンクのように空ピックを多用することはなくて、所々で空ピックや実音で引っ掛けるフレーズでスイングを演出すしたりします
バンドによってはカッティング奏法を担当するリズムギターとブルース風やロック風のメロディやリフの演奏を担当するリードギターの二本を用意することもしばしば
パーカッション
パーカッションとしては、ボンゴ、カウベル、シェイカー、ビンギ・ドラム、ギロ、クラベス等が使用されてます
1990年代以降ではAKAI MPC等のサンプラーが使用されることもあります
ボーカル
知ってのように、レゲエには多彩なボーカルスタイルが存在します
ソロ・シンガー、ボーカル・デュオやボーカル・トリオやディージェイやシンガーとディージェイのデュオ更にディージェイ同士のデュオとかですね
なお、レゲエ特有の歌唱法としてはディージェイによるトースティング、ディージェイとシンガーの中間的歌唱法であるシングジェイ (en) があります
レゲエの歌詞
レゲエは「レベル・ミュージック (rebel music、反抗の音楽)」であるといわれてます
その理由はレゲエの歌詞はしばしば社会、政治、物質主義、植民地主義などへの批判や反抗を主題とするからでありHIPHOPに近いです
これにはちゃんとした理由がありまして、はジャマイカ国民の90%以上が黒人奴隷またはマルーンの子孫であることにより醸成された疎外感や抵抗の歴史、ラスタファリ運動とキリスト教バプティスト派の宗教的影響が大きいです
しかし、全てのレゲエ・アーティストがラスタファリアンというわけではなく、全てのレゲエの歌詞が反抗的というわけではないですよ
ジャマイカの伝統音楽であるメントと同様のコミカルな歌詞や、フォークロアや諺に基づく説話的歌詞、ゲットーの貧しい暮らしへの嘆き、男女の愛、人生の機微、音楽への陶酔、新しいダンスの方法など、レゲエにおける歌詞の主題は多岐に至ります
他にもレゲエを語るにはラスタファリ運動や大麻も重要ですね
この辺りはSKAの日記にもかいてあるので気になれば見てくださいね
非一貫性/意識の二重性
レゲエの歌詞には「ルードボーイ」、「ラガマフィン」、「ギャングスタ」、「バッドマン (en)」など不良や悪漢を意味する語がしばしば現れてきます
ルードボーイとラスタは必ずしも対立する概念ではなく、実際には多くのアーティストがルードボーイであり同時にラスタでもあるりますが、そのような非一貫性はレゲエの歌詞に頻出する主題の一つでもあると言われてます
例えばジミー・クリフの楽曲「ザ・ハーダー・ゼイ・カム (en)」
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この曲の前半で生ある内の救済を希求しながら、後半ではむしろ死による救済を願う内容になっていたり。また、ボブ・マーリーはあらゆる人種間の平和を願う「ワン・ラブ/ピープル・ゲット・レディ」
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と同じ黒人であってもラスタファリアンでないものを非難する「クレイジー・ボールドヘッド (Crazy Baldhead)」という相反する内容の楽曲を発表
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しかしながら、アフリカン・ディアスポラと植民地時代の奴隷経験によって培われたこの非一貫性、二重性は必ずしも(特にジャマイカの)レゲエアーティストの中で矛盾として受け取られておらず、レゲエの歌詞の特徴の一つとなっています
サウンド・チューン
ジャマイカの音楽はサウンド・システムでダブ・プレートというそのサウンド・システム独自のレコードをかけ、互いに競い合う文化があります
そのため自分のサウンドを称えたり、相手のサウンドをけなしたりする曲が古くはレゲエ以前の時代からリリースされていました
そのような曲のことを「サウンド・チューン (sound tune)」、または「サウンド・アンセム (sound anthem)」と呼びます
最古のサウンド・チューンはプリンス・バスターによる「Three Against One」
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他にも「The King, The Duke And The Sir」(ともに1963年発表のスカ楽曲)
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一番大事な言語
特にジャマイカでは、レゲエの歌詞はジャマイカの公用語である英語ではなく、ジャマイカ・クレオール語(パトワ)で歌唱されることが多いですね
エレファントマンとか分かりやすいかも
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、これについて、ダブポエットのオク・オヌオラ (en) は「パトワとレゲエは同じリディムを持っている。人々のリディムだ。英語をレゲエのビートに乗せたとしても上手くいかないと言ってます
そのときはリディムが変わってしまうだろう」と発言しています
日本のNAHKIや、ドイツのジェントルマン、イタリアのアルボロジー (en) ら、ジャマイカ出身やジャマイカ系でないアーティストがパトワで歌唱するケースも少なくないです
一方で、パトワは英語を母語としている者にとっても聴き取りが難しいため、シャギーなどはジャマイカ人であっても、国際的市場を意識し主に英語で歌唱しています
1930年代までのジャマイカではジャマイカのフォーク音楽であるメント、カリプソやアメリカ合衆国のリズムアンドブルース、ジャズ、ビーバップが親しまれていました
サウンド・システムとは
ジャマイカではDJ[が野外ダンスパーティを提供する移動式の音響設備、および提供する集団をさします
ジャマイカの音楽史、とりわけダンスホールレゲエにおいては欠かすことのできない要素であり
また、ジャマイカのサウンド・システムという形式および言葉から派生して、現在ではテクノやレイヴ、ヒップホップ、カリプソなど、レゲエ以外の音楽ジャンルでも使用されています
前述のような音楽をサウンド・システムと呼ばれ 移動式で巨大なスピーカーを積み上げた音響施設でプレイし、路上や屋内で楽むことが1940年代以降ポピュラーになっていき、サウンド・システムは当時のキングストンの人々にとって娯楽の中心であり、出会いの場であり、情報交換の場であり、商売の場でもありました
1950年代に入ると後述するようにキングストン市内にもレコーディングスタジオが開設されはじめ、以後ジャマイカ産のR&Bやジャズをプレイできるようになった各サウンド・システムはダブ・プレートを量産し、互いに激しく競い合うようになった。特に1952年に稼動開始したデューク・リードのトロージャン (Trojan) と、1954年に稼動開始したコクソン・ドッドのサー・コクソンズ・ダウンビートはライバルとして1970年代までジャマイカ音楽を牽引する存在となったわけです
これらのサウンド・システムとそこに集まる観衆の音楽的嗜好は、スカ誕生からダンスホールレゲエ期に亘る全てのジャマイカ音楽の変遷、流行に影響を与えています
また、その後サウンド・システム文化はジャマイカからの移民によってイギリス、アメリカをはじめ海外にも持ち込まれていき、1967年にニューヨーク市ブロンクス区へ移住したジャマイカ人DJのクール・ハークは当地でハーキュローズというサウンド・システムを立ち上げ、ヒップホップ音楽の誕生に大きな影響を与えたのはとても有名な話です
そうなんですHIPHOP好きならまずレゲエからが基本です
1951年にはスタンレー・モッタ (Stanley Motta) がジャマイカ国内初のレコーディングスタジオMRS (Motta's Recording Studio) を作り
1957年にはケン・クーリ (Ken Khouri) が後にタフ・ゴング・スタジオとなるフェデラル・レコーディング・スタジオ (Federal Recording Studio) を設立し
1958年には後にジャマイカ首相となるエドワード・シアガのWIRLが、1959年にはデューク・リードのトレジャー・アイルとクリス・ブラックウェルのアイランド・レコードが、さらに1963年にはコクソン・ドッドのスタジオ・ワンが操業を開始すると、その後ジャマイカには録音スタジオとレコードレーベルが次々に誕生していきレゲエの基盤であるSKAが出来始めます
ここからSKAですがこれも日記に書いたので
簡単にジャマイカは1959年に自治権を獲得して、1962年には英連邦王国として独立を果たします
これを機にジャマイカのミュージシャンが自らのアイデンティティを象徴する音を模索し始めたことや、サウンドシステムやプロデューサー間の競争が激化したことによって生まれた音楽がスカでです
スカは、カリプソ、メント等の従来のジャマイカ音楽に、ジャズやリズム・アンド・ブルースなどのアメリカ合衆国の音楽が融合し誕生し、ウォーキングベース (en) がリズムをリードする点、ホーンセクションが主旋律を担当することが多い点などはジャズと類似しているが、ビートがジャズのようにシャッフルせず、1小節の2拍目と4拍目にイーブンにアクセントを置くアップテンポな裏打ちのリズムはスカ特有のものであります
スカ誕生によってジャマイカ音楽は新たな時代を迎え、ヒッグス・アンド・ウィルソンが1959年に発表した「マニー・オー (Manny Oh)」
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Manny Ohは2万5千枚を超える売上を記録し、ジャマイカの音楽産業における最初のヒット曲
ここでSKAと言えば(The Skatalites)
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しかし1966年に人気は終わります
この後ロックステディもでてきますが僅か2年の1968年に終わりやっとレゲエの登場です(笑)
実に長かったです
ロックステディ二代わり1968年にはレゲエの時代
「レゲエ」という言葉が最初に用いられた曲はメイタルズ「ドゥ・ザ・レゲエ」
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最初にレゲエの音楽的特徴が取り入れられた楽曲ははっきりしていませんが、メント風のリズミカルなギターにブールーやクミナ風のパーカッションを取り入れたリー・ペリー「ピープル・ファニー・ボーイ (People Funny Boy)」
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とか電子オルガンとディレイのかかったギターが特徴のラリー・マーシャル (en)「ナニー・ゴート (Nanny Goat)」
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などの1967年から1968年に発表された、作品群はロックステディからレゲエへの変化が顕著に現れています
ゆったりしたワンドロップ・リズムこそロックステディ期と同一だったものの、シンコペーションのある裏打ちを刻むギター・オルガンと、ベースラインの対比よりによってそれ以前のジャマイカ音楽とは異なるレゲエ特有のアンサンブルが完成します
この変化について1962年から1968年までジャマイカで活動したトリニダード・トバゴ出身のギタリストリン・テイトは「ロックステディはコモンタイム、レゲエはカットタイムフレージングが全く違う」と証言しています
この変化の要因としてはリン・テイト、リコ・ロドリゲス、ローレル・エイトキン、ジャッキー・ミットゥらスカ、ロックステディ期に活動したミュージシャン達が国外に移住したことや、各種エフェクターや録音機器の進歩と、それに伴うリー・ペリー、キング・タビー、バニー・リーら新興プロデューサー達の台頭があったり、遂に自前のスタジオを持つことがなかったバニー・リーをはじめ、彼らの多くは楽曲制作において一層経済性を重視したため、コストのかかるホーンセクションの出番はスカ時代より減っていきます
同時に歌詞の内容もアビシニアンズ 「サタ・マサガナ (en)」やエチオピアンズ (en)「エブリシング・クラッシュ (Everything Crash)」をはじめとする黒人としての誇りや社会問題について歌うものが多くなっていっき、その背景には1966年のハイレ・セラシエ1世ジャマイカ訪問や西インド諸島大学に在籍したガイアナ人講師のウォルター・ロドニー らの活動によってよりさらに勢力を増しつつあった、ラスタファリ運動や、同年独立を記念しジャマイカ政府によって創始された「フェスティバル・ソング・コンテスト」による文化的ナショナリズムの高揚
さらにジャマイカ労働党による経済政策の失策による景気・治安の悪化や、アメリカ合衆国で高まりを見せつつあった公民権運動やネイション・オブ・イスラムの流行などの様々な要因がありました
サウンドシステムのDJは1960年代中期までは所属サウンドシステムで選曲をしながらイントロや間奏部分で曲紹介をするだけの存在でありました、ヴァージョンが発明された1960年代後期以降は、ヴァージョンに乗せたトースティングを歌手のようにレコーディングし、作品として発表するようになったり、この手法を使いディージェイのトースティングはレゲエ特有のボーカルスタイルとして定着していきます
1968年頃には、レコーディング・エンジニアのキング・タビーは楽曲から「ヴァージョン」を作るだけではなく、原曲に極端なディレイやリヴァーブなどのエフェクトをかけ、ミキシングを施すことによって、アブストラクトなサウンドを生み出すダブという技法を発明
ダブはリミックスやマッシュアップなど後年発明されていった音楽技法にも影響を与え、特にヒップホップ、ハウスなどのクラブミュージックに広く取り入れられていきます
タビー及びタビーが発明したダブについて、クラブミュージックDJでありミュージシャンのノーマン・クックは「1980年代以降のダンス・ミュージックやクラブ・ミュージックのほとんどすべては、キング・タビーの影響下にあると言ってもいい」と証言しているぐらいです
1972年にはジミー・クリフ主演映画『ザ・ハーダー・ゼイ・カム』が公開され、翌1973年にはボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズがメジャーデビューしました
1974年にはエリック・クラプトンがボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」をカバーし、レゲエ楽曲としては初めてBillboard Hot 100チャート1位を獲得し、これらの出来事を期にレゲエは西インド諸島とイギリス以外の諸国にも認知と人気を拡大しました
特にボブ・マーリーは第三世界出身の歌手として最も大きな商業的成功を収め、多くの国々の音楽家に影響を与えたのは有名ですしまずレゲエの神様ですね
1972年頃は、バーニング・スピア、カルチャー、ピーター・トッシュ、バニー・ウェイラー、オーガスタス・パブロらはロッカーズやステッパーズの重厚なリディムにラスタファリのメッセージを乗せた楽曲を多く発表したり、これらのレゲエを特にルーツロックレゲエ、またはルーツレゲエと呼びます
その一方で、クリフ、デニス・ブラウン、グレゴリー・アイザックスらはルーツロックレゲエだけではなく欧米のポップ・ミュージックのカバーや多くのラブソングを発表してました
1970年代後半に入ってもルーツ・ロック・レゲエの作品が次々と発表されしかし、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズやジミー・クリフ、ブラック・ウフル 、スライ・アンド・ロビーらの世界的ヒットは彼らの海外公演を増やすと同時に、ジャマイカ国内での活動を減らす結果に繋がり、その音楽的空白を埋めるように登場したのが1978年に結成されたルーツ・ラディックス・バンドであり、同年ユーツ・プロモーションを設立したシンガーのシュガー・マイノットであり、1980年ヴォルケイノ・レーベルを設立
ヘンリー・ジュンジョ・ローズらダンスホールレゲエ期を代表する新興プロデューサー達であります
また、人民国家党の失政により政治、経済がさらに混乱すると、ジャマイカではルーツ・ロック・レゲエの硬派なメッセージへの失望感が広がて、さらに1981年5月にはボブ・マーリーが死去。そうした状況はレゲエからラスタファリズム色を薄れさせ、イエローマンらのディージェイによる「スラックネスと呼ばれる下ネタを中心とした歌詞や「ガントーク (gun talk)」と呼ばれる自分の銃や力を誇示する歌詞を流行させた。ダンスホールレゲエ(単にダンスホールとも呼称される)の誕生です
これが細かすぎたレゲエの歴史ですね(笑)
この後今のレゲエと言うスタイルが確立していく訳です
この長たらしい日記を最後まで見てくれた方有難う
次はHIPHOPでも又書きますね
最後のこの曲を(Sizzla)
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以上クマでした![]()