スタツアにいってきました。本当に感謝につきる。
ありがとうございます。
様々な協力があって僕たちの活動が有り、
僕らが存在できている事を痛感しました。

このブログでは時の流れの経過とともに感じた事などつづります。
小学校訪問をしていた19日までの流れとともに。
自分のメモなどを参考に今だから感じることも含めて更新。

僕がきたのは、
生活により近く。自分からキョリをおかないこと。
そして、何よりラオスを好きって気持ちをいっぱいつくること。
沢田先生なしでもなんとかできるってのの試しなど。

【15日】
移動日。日本→ハノイ→ラオス。
ハノイではみんなでフルーツバスケットをして遊んでました。空港で使ったお金は0円。
空港につき、ビトゥーンさんと合流。
相変わらず。やっとルアンパバンにつき、通訳・運転手・宿をとれていたことに安心。
宿のおばちゃんは陽気なママ。
受付の高校生は3ヶ月程出稼ぎにきている。
ヒマな時間には勉強している。
ラオスの人の勉強へのモチベーションを都会にいてもいたく感じる。
とりあえず疲れたので、その日はすぐ寝た。

【16日】
コン村に行く。
途中でパクモンのいつものレストランでご飯。家のこどもと早速仲良くなったり、
本当に三叉路だなーってみんなで確認したりした。
そして、午後からコン村へ!
新しい橋が出来ていて、学校の裏の道から入れた。
道で登校中の子供達がいて、窓にへばりついて変顔したらめちゃくちゃわらってた。コミュニケーションは言葉だけでとるわけじゃない。
来たときはやっぱり鳥肌もんで、興奮がすごかった。
団体に入って、これほどテンションあがったときなんてあったっけ?って思えるくらいテンションがあがった。
この日は何よりもとりあえず子供達と遊ぶ事。
興味津々におそるおそる集まってキョリをおいている子供達に走って突っ込んだ。
生徒達はぎゃーぎゃーいって逃げてった。
そうなればこっちのもん。遊びの開始!

途中には村人20人程に対するアンケート。
字の読めないおっちゃん、それでも丁寧に教えてあげる周りの大人。
ラオスはラオス人はみんな友達って印象が強くなったひとつのこと。村人はみんな仲良しで、
誰かが困ってたら助ける。そんな当たり前だけど、日本で最近感じれないようなことが守られてる気がした。
ありがとうを伝えたり、あいさつするたびに見せる村人の笑顔も忘れられない。

途中で1年半前にホームステイした家にいった。
行った瞬間、お母さんが覚えてくれていて、父さんも、息子もみんな元気だった。もう一人の息子はパクモンにいっているみたいだった。
なんども何で今回は家で寝ていかないんだ、俺の家で寝ていけって父さんがいってくれた。
ボランティアとかそんなもんじゃなくて、人としての付き合いがそこにはある。
彼らと過ごしたのは3日間だけだったけど、そこにはつながりがしっかりできていて、
そんな人として大切なものを再認識させてくれた。
ありがとう。

返ってから遊んでると、あのラコステがいた!
ちょっとお兄ちゃんになってて、前より積極的に俺の元にきた。
ってか、俺をおちょくってきたw
元気そうで何より。

学校にはやっぱりゴミがおおい。
習慣付けってこんな訪れ方じゃどうしようもないのかな。

そして、何よりも印象的だったのがみんなの笑顔。
メンバーがやっと会えたラオスの人々。
なにか報われたようなそんな気持ち。
ほんとうに嬉しかった。

【17日】
ワンヒーン村。
車を降りた瞬間に小学生が並んでた。ありがとー!って気持ちと、よっしゃみんなあそぶぞーって色んな子供と握手して、ハイタッチして、手をとりあってたら気づいたら後ろにいっぱい子供がいた。みんなも遊びたいんだよな!
けど、並んでいたのはきっと教育省のブンタンさんがいたのもあるかもね。
ラオスでは権力がものをいう。

また、村人へのアンケートをした。ここでも感じたのはコミュニティとしての村人同士のつながり。
みんなが教え合う、よくしゃべる、仲がいい。最後にお礼を言ったときの一人一人の真剣な目、
もっと一緒に村をよくしたいと思っているし、村の人たちも一緒にがんばろって言ったときのうなずき、
反応。とっても嬉しかった。もっと村と一緒になんかやんないとな。

その日は先生とゆっくり話をした。
やりたいことはたくさんあるけど、何かをするためにはお金が必要になること。
他の村とも会議などで教育についての話をしたり、新しい事への挑戦をしたり、先生の研修を行っている事いっぱい教えてくれた。やっぱり先生のモチベーションは高いし、何かしたいって想いは強かった。
ただ、日本でも同じで何かしたいときに出てくるのがお金。
この村はカム族が多いから、副業を先生すらしていて、じゃないと生活が成り立たない。
全ての援助をするつもりはないけど、先生達の気持ちってのはお金のことだけでなくしたくはないな。
民族とかそんなこと意識せず、みんな人として生きているのにな。
自分と関わりをもった人を見過ごしてしまうなんてことはできない。
ハードルがさがったといわれても、とっつきにハードルが下がっただけで、俺らにはやっぱりここでの活動が一番大切なんだとまた感じた。
先生自体のモチベーションは高かったり、生徒数が少ないので先生がたりていないけど、他の学校よりも先生一人に対する生徒の割合は少ないように感じた。

その後はみんなで川に入ったり、田園の中を手をつないであるいて、みんなを家まで送ってった。
いろんなとこに連れていってもらったり、村にはそんなにいけなかったけど、学校の周りのいいところをたくさん見れて、ワンヒーンの人たちの優しさにふれられたことよかった。

【18日】
パクモン村。
次の予定地のパクモン。生徒が歓迎してくれて、歩いていたら、一人の男の人が目に入った。
おい!!
って思ったら、それはコン村の俺が泊まってた家の父さん。
先生してるって聞いてたけど、ここにいたんかい!って思った。
なんだか嬉しい出会い。

ここの1年生は悪ガキだらけで、たくさん遊んだなー。
怪獣ごっこみたいな追いかけっこをひたすらしいた。
いつものレストランの家のこどももこの学校に通っていたよ。

4・5年生の教室はまだわらぶき屋根の雨風しのげぬ校舎。
1~3年生までコンクリの校舎から変わった環境はどんな風に影響を与えているんだろう。モチベは下がってしまうんだろうな。
ルアンパバーンから3時間の道中の学校で見たとこは全てコンクリの建物だった。
あの地域でのわらぶきはきっとパクモンくらいで、大きな村、バスのターミナルもあるし、三叉路だから交通量もある。これからの楽しみな場所なだけに力になりたいと思えた。
将来的にはこの場所には中学校も政府の手によってつくられる予定があるそうだ。
移住政策地にもなってるし、人がまだまだ増えるこれから楽しみな場所。
他の団体や国からも支援が多く来ている様子で、コンクリの建物がおおかった。イスやボールなどもそういった人の手によりとどいたものらしい。

そして、この日にペタングをした。
sivio対ブンタンさん・先生チーム
スポーツには本当に言葉がいらない。ルールを守ればそれだけでみんなが楽しめる。
そして、心のキョリがちぢまる。
今までなんとなくキョリを感じていたブンタンさんとも仲良くなることが出来た気がした。
これからの活動をするにあたってこの人との繋がりをなくしてはいけないし、
仲良くなったことは大きかったと思う。

みんなでゴミ拾いをした。
ゴミってものの定義みたいなのがちょっとかわってて、
みんなデッカイごみしか拾っていなかった、
ごみ拾いって行為もしっていたけど、意味付けをもっとする必要があるんだなって思った。

【19日】
鹿児島のライオンズさんが支援しているポンサワン小学校へ。
元はJICAの支援していた場所みたいです。

着いた瞬間に学校の裏の様子を見に行った。ゴミを燃やした後で、まだ火がのこっていた。
そしたらこどもたちがごみ箱をもって、ちゃんと燃やしにきた。
すげぇ。

そして、謎にみんながグランドに走りだしてきた。
どうやら朝は全校生徒で体操をする模様。
体を伸ばせている体操は4種類くらいしかなかったけど、文化として残っているものみたいだ。
でも。生徒達が自分たちで並ぶ様子にびっくりした。他の村は人数もっと少なくてもなかなか並んだりはしなかったけど、ここは自分たちで並べていた。

幼稚園の授業に午前中はずっと参加。
歌をうたって、数字をかぞえたりしていた。ラオス語の授業も有り、全員で発音の練習。
その後にひとりずつ前に立って、発音をするって授業。
そんで、ノートにすうじや文字を書いて先生にみてもらう。
小学生の授業も、班ごとに音読をして、先生が各班の様子をみてまわったり、
前にでて発音させたり、
ラオスの授業のイメージは一方的だとばかり思っていたけど、全然違った。

生徒だけで農園も行って、野菜を育てていたり、
夜には電気をつけて塾のようなものをひらいて勉強したり
特進クラスをつくってみたりしていた。
ずっと各学校で夢をきいたりしていたけど、特進クラスの方が職業の種類がおおかった。
頭がよいと情報量もちがうのか?
都会なのか?

ハード面での支援基準がみれたような、そこから先生達のレベルをあげることも大切棚とかいろいろ感じられた。
団体とかは関係なくって、みんな同じラオスが好きでもっとよくなったらなって思って動いている人たち。
その人たちともっとつながりをつくることが何よりも大切だと感じた。

たくさんみるところがあって、いろんなことが参考になる。

日々勉強。


とりあえずざっとかいたけど、
かき忘れている事もたくさんあるかも。

でも、いいや。