高橋健二のゴルフな日々

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高橋健二のゴルフな日々




高橋健二のゴルフな日々


 球磨カンの薩摩コース8番グリーン奥に咲く「さざんか」が、いまを盛りと咲いています。さざんかの先には葉っぱを落として丸裸になった渋柿がたわわに実っています。


 いよいよ本格的な冬将軍が襲来する季節になりましたね。






 さて、突然ですが、このたび12月20日付で球磨カントリー倶楽部を退社させていただきました。




 球磨カンでの1年半は、私にとってこれまでの60年間に匹敵する人生勉強の日々でした。こんな人生勉強をしたのは初めてです。いい経験をさせてもらいました。


 もともとフリーランスのライターとして、私は必要とされるところで働いてきました。


 球磨カンにも、私は必要とされて入ったつもりでした。入社前に社長に面談したとき、「球磨カンはコースはいいが、知名度が低い。高橋さんのいままでの経験や企画力、マスコミでの人脈を生かして、球磨カンを知名度の高いコースにしてほしい」といわれたからです。


 だから在任中はいろいろありましたが、最後の最後に「全日本エージシューターマスターズゴルフ大会」という大きなイベントを企画して全国に球磨カンの名前を広められ、気持よく退社できました。




 それにしても、このイベントが成功したのは、すべては球磨カンの女性スタッフが素晴らしかったからです。彼女たちの献身的な協力なしに、成功はおぼつきませんでした。彼女たちと一緒に仕事ができたことは、私の人生の一番の宝です。エージシューターマスターズが本格的に動き出してからは、本当に毎日が楽しく、充実した時間を送ることができました。みんなが私を必要としてくれたからです。




 人は何のために働くのか?


 働いて充実感や生き甲斐が得られるのは何によってか?


 必要とされるところで働き、それを人に評価してもらったときに、仕事が生きがいになり、働く喜びや満足感が得られるのだと思います。


 エージシューターマスターズゴルフ大会は、みんなが私を必要としてくれ、それに応えて、自分にやれることを一生懸命やっていったら、「楽しかったよ」「来年もぜひやってくれ」と高い評価を受けました。これ以上の喜びがほかにあるでしょうか。これだけで、私はもう十分に満足です。




 ただ一つ思い残すことがあるとすれば、エージシューターマスターズの第2回大会を来年開催するかどうか、まだ正式に決まっていないことですが、もしやると決まり、「やはり高橋が必要だ」となったら、そのときはまた呼んでほしいと申し入れました。球磨カンのスタッフともう1度一緒に仕事をやれる機会がくることを願ってやみません。


 また社長からは「理事になってほしい」という要請もありました。


 なので、ゴルフ場はやめますが、球磨カンはずっと側面から応援していく所存です。




 球磨カンは、女性スタッフとともに、コースが本当に素晴らしい。グリーンの仕上がりは、たぶん日本のメジャートーナメント開催コースに匹敵するくらい、いいと思います。カートのフェアウエー乗り入れをやめてくれたら日本で100指に入るコースだと思います。ゴルフライターとして、あちこちのコースでプレーしてきて、そう確信します(ちなみに和合、太平洋御殿場、霞が関、我孫子、鷹の台などのほか、米西海岸のペプルビーチでもプレーしています)。


 だから、みなさん、もっと球磨カンに足を運んでください。そして一部の心ないメンバーにお願いします。もっとコースを大事にしてください。ロープの内側にカートを乗り入れるのはやめてください。


 あ、また余計なことをいいました。このへんでやめます。


 

 なお、このあとの仕事は未定ですが、再びライターとしてゴルフにかかわっていくことになると思います。


 ブログは別に引っ越します。新しいブログは、アメログで「シングルライター 高橋健二のゴルファーな日々」というタイトルです。ぜひ検索して覗いてください。


 1年半のあいだ拙い文章にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。皆様の新しい年のお幸せと、素晴らしいゴルフライフを心より願っています。




 12月4日、宮崎市郊外にある航空自衛隊・新田原基地の航空ショーを見にいきました。ゴルフつながりで親しくしていただいているOくさまに頼んで同行させてもらったのです。航空ショーは20年近く前に浜松基地で見ましたが、ブルーインパルスの妙技は20年のあいだに飛躍的に向上したように感じました。機体の性能アップもさることながら、やはり搭乗員のチームワークを重視した訓練が素晴らしいのでしょう。


 人間の能力は無限大です。ゴルフをしていると本当にそう感じます。

「おれにはできないよ」という人がいますが、それは自分で自分の可能性の扉にフタをしているようなものです。「たまたまできた」という人がいますが、それがは「たまたま」ではなく「潜在能力がさせた」のです。それを顕在化させると、プロ並みに飛ばすことは不可能としても、ボールを曲げたり止めたりは、思い通りにコントロールできるようになります。いや、飛ばしもプロ並みにできるのではないか・・。

 そんなことを思いながら、新田原基地をあとにしました。それにしても帰路の渋滞はすごかった。基地をでるまでに2時間かかりました。自衛隊は、この航空ショーを活用し、津波や地震も含めた有事の際の、いや有事の際には有無を言わさず出動するでしょうから、その一歩手前のときの交通整理のシュミレーションを、警察とも連携をとって、してみたらいいのになあ、なんて考えましたが、どうでしょうか。
高橋健二のゴルフな日々

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高橋健二のゴルフな日々

 長崎県の雲仙ゴルフ場にいってきました。このゴルフ場は神戸・六甲山の「神戸ゴルフ倶楽部」に次いで日本で2番目に古いゴルフ場です。神戸が明治36年(1903年)のオープン、雲仙が大正2年(1013年)のオープンということなので、2年後に開業100周年を迎えるわけです。

 なぜ雲仙に日本で2番目に古いゴルフ場ができたのか? それは当時の長崎が、上海航路の基点で、日本から中国大陸、はてはヨーロッパに向かって開かれた玄関口だったからです。そのため、夏になると上海在住の欧米人たちが、標高800mの雲仙に大挙して避暑に訪れたそうです。標高800mといえば日本の代表的な避暑地・軽井沢と同じ標高です。夏、涼しくて温泉がわき、風光明媚な雲仙は、上海に住むエスタブリッシュメントたちの憧れの地だったのです。


 ところが、それだけ由緒あるゴルフ場なのに、近年はすっかり忘れられた存在になりつつあります。

 理由は、数年前の雲仙・普賢岳の噴火以来、雲仙への観光客が激減しているせいです。また、このコースはオープン当時のままの9ホールでの営業のため、昨今の「18ホール、パー72」でないゴルフ場を軽視するゴルファーの好みから取り残されているという側面もあるように感じます。

 でも、私は初めてラウンドしましたが、ティーグラウンドとグリーンを2つずつ作って18ホールにしたレイアウトは、なかなか手応えのあるゴルフ場でした。距離もアウト3015Y、イン3118Yと6000Yをしっかり越えるうえ、グリーンがほとんど砲台で小さいため、なかなかパーオンしないし、パーオンしても下りはトーナメントグリーンのように速いためです。18ホールでなくても、こんなに楽しいゴルフ場がある。しかもここは日本の「ゴルフ遺産」ともいうべに歴史を持っています。だいいち100年前のたたずまいが、そのまま残っているなんて、すばらしいと思いませんか。私は実際にティグラウンドに立って、鳥肌が立つような感動を覚えました。

 建物やコースはお金をかければいくらでもいいものができます。でも歴史だけはどんなにお金をかけても作れません。そのどこにもない歴史を持ったゴルフ場がいまもラウンドできる状態で営業しているのです。


 さて本題に入ります。この日本の「ゴルフ遺産」ともいうべき素晴らしいゴルフ場が、ピンチに陥っています。理由は前述したように、やはりお客様が少ないから。で、なんとかしてこれを後世に残したい。そのためには、もっとみんなに知ってもらいたい。知ってもらって遊びにきてもらい、過去の歴史に触れてもらいたい。そんなことを考えながらラウンドしました。

 なんとかして応援したい。そのためにも2年後の100周年にむけての企画が大事です。みなさんもぜひ雲仙ゴルフ場に関心を持って下さい。
高橋健二のゴルフな日々 妙見岳の麓に広がる雲仙ゴルフ場

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高橋健二のゴルフな日々 熊本―島原のフェリーと群れ飛ぶカモメ。

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