九九太郎
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初投稿です

一人ぼっちで寂しいので、ブログを書いてみようと思います。



まずは自己紹介を。



時は第二次世界大戦、その男はまだ赤ん坊で母親に背負われ戦火に服を焦がされながらも、何とか生き延びることができました。

ナイス母親です。

いつまでもあると思うな親と金、と言いますとおり、その母親も3年前に静かに息をひきとりました。

たまたま子供夫婦3組と孫たちがお見舞いに来ていた時でした。

その顔はとても安らかな表情をしておりました。

享年93歳。

現在よりも男尊女卑の色が強かった時代に、女手1つで6人の子供を育てるのは並大抵の苦労ではなかったと思います。

命を削るような思いをしながら93歳まで生きることができたのは、もしかすると子供達がしっかりと親孝行をできていたからかもしれません。

しかし、単に寿命が長かっただけなのかもしれません。

それでも私は、きっと前者だったんだと思っています。

死人に口なしって言いますしね。



さて、戦争を生き延びた赤ん坊は、その後成長し少年となりました。

当時はまだ父親が健在で、よそ様より多少裕福でしたので、毎日何かを食べることができました。

他人より多く食べ他人より大きくならないという反比例の法則を体現してしまった少年は、同い年の子供達の中で1番身長が低かったのです。

現在もそうかもしれませんが、当時の若者の社会は暴力による弱肉強食の世界でした。

性格のいい子や女の子にモテる子もしくは勉強のできる子よりも、喧嘩の強い子を中心に彼等の世界は回ります。

話し合いなど通用しません。

背が低い人間は弱者と見なされ権利などなく、文字どおり見下されて生きていかなければならなかったのです。

少年が偉そうにできるのは、前へならえ!の時だけでした。

少年は考えました。

少年の出した結論は空手を習うことでした。

師匠の名は牛殺しの大山倍達。

カレーライスをおごってもらったのが1番の思い出という間柄です。





文章を書くのって疲れますね。

本当はこの後、修行をつんだ少年がチビながらも逞しい青年となり、山椒は小粒でもピリリと辛いんだぜって感じの学生生活を送った武勇伝とか、その青年の精子として誕生した私、九九太郎が、競争率1億倍の超難関を奇跡的に乗り越えこの世に生を受けたサクセスストーリーとかを展開させようと思っていたんですけど、もうダメです。

精子といえば2年くらい前にテレビで、小学生が性教育の一環として、自分を精子に見立てて子宮という名のゴールを目指し大勢で障害物競争をやっているのを見ました。

競争後にかわいい女の子が笑顔で「精子の気持ちが分かりました!」とかカメラに向かって言ってるの。

昼間からNHKでね。

白昼夢かと思いましたよ。



ではまた。