「生きてるってかけがえのないものを失うことの連続で、それをどう悲しむかがとっても大事。」
喪失感を抱えながらも悲しみに正々堂々向き合いやがて前に進む一歩を踏み出す人々の姿を通して、「失う」ということの本質をまさにハレやかに描いた作品。
そもそも演題からしてこの作品の主軸に誰かしらの「死」が関わっていることはあらかじめ明示されていて早々に察しがつくものの、すぐに全容を明かすことはせず、不可逆なはずの時の流れが遡ったり(一人だけ)止まったりしているような演出でもって何が起きているのか考える時間をくれる時系列の組み方が巧い。家に「いるはず」の息子に何度も呼びかける時のミミの声色。「ひかるー、ひかる、ひかる、いるんでしょ?出てきてよ、ひかるちゃーん」。なんてことない日常の一コマのようでいて、祈りのような切実さを孕んでいる。それが、どこか言いようのない違和感をもって静かな客席に響く。直後「なんだよ、いるよここに。何回も何回も呼ぶなよ」なんて言いながら登場して軽口を叩くひかる、親子の微笑ましくも軽快でユーモラスなやり取りに胸の中の漠然とした不安を忘れそうになった矢先、それはさらに大きな音を立てはじめる。「上着持ってきな」と言い残して部屋を出ていった母親を追いかけず、何か言いたげに、寂しげに見送るひかるの背中。数段登った階段の上で小さくうずくまって、シン、と気配を鎮める彼を舞台に残したまま場面が変わり、楽屋に入ってきた翔子が開口一番放った「あれ?誰もいないね」。胸が激しくざわつく感覚。さながら傑作ホラー映画の巧みさだ。のちに、ひかるはミミの息子であり約1年前に事故死していることが説明されるが、それ以前にこうした伏線、そして何よりあの部屋の空気の中でミミとひかるが醸し出すどこかウェットな質感(百名くん演じるひかるの、あのもの悲しい瞳の色もその空気感をつくりだしているパーツのひとつだ。彼のあの不思議な透明感はどこからくるのか。確かにそこにいて、笑っているのに、触れられないようで不安になる感じ。※1)があったからこそ、事実を知ることになった瞬間、単なる衝撃や驚愕ではない、もっとぐっと胸が苦しくなるようなやりきれない悲しみが一気に広がってより自然に感情移入できたように思う。
それにしても、この舞台、セットは可動の椅子やテーブルが数脚あるくらいで首尾一貫ほぼ変わっていないはずなのに、母子のシーンが始まった途端に、あの二人が、二人きりで、二十年間暮らしてきた空間そのものになってしまうんだよなぁ。さっきまでスタジオの防音室だったはずの壁に思春期のひかるが暴れた時の傷が見えるような、昨日二人が食べた夕飯のにおいがまだ部屋に残ってるような感覚。舞台の隅のひかるの部屋、細部まで作りこまれた様子から、石丸先生の登場人物への愛情がこれでもかと伝わってきて、開演前や幕間にじっくり見てしまった。無遠慮にべたべた貼られたポケモンシール、流行ったよなぁあれ。椅子の後ろの特等席はチコリータで、机の上には恐竜がいて、引出からはみ出したぬいぐるみの数々の中にもとかげのような子が。ひかるくん爬虫類好きでしょうと、思わず心の中で語りかける。春山の木陰で見つけたイモリだかヤモリだかを手のひらに乗っけて笑う、そんな姿を想像して、胸の奥がじんわりあったかくなったりする。こうした些細なマテリアルのひとつひとつが、登場人物をいきいきと、そして物語をみずみずしくさせるのだと強く感じる。そんな空間で繰り広げられる母子のコミュニケーション。何気ないやり取りの中にも、いたるところに他人の知りえないルールやノリが存在していて、それはまるで彼らが重ねてきた時の蓄積を見ているようだ。そして、それらを時系列順に並べると、母が息子を「自分の一部」から一人の自立した人間として認め尊重するように、息子がありのままの母を理解し受け入れるようになるまでの軌跡が、限られたいくつかの場面の中にはっきりと描かれているのが見て取れる。ひかるの合格祝いの夜、「自分の都合で家空けてたんだろぉ」の言い方のまるっこさ、味が紛れるようにチーズ入れてベーコンで巻いて目玉焼き乗せてくださぁい(なんだその業の深い食べ物、おいしそうだな…)のあとの「いいよぉ、普通ので」の、女の子を甘えさせるような優しい響き。そして、最後に言葉を交わした朝の「お互いがんばろうぜ」。(時系列を正した場合の)終盤の彼らの空気感というのは、もうごく短い一言にさえお互いへの思いやりが溢れているようで、それはいっそ切ないほどで、なんだかその場面だけ切り取って見ても泣けてしまう気がするほどだ。家族・母子という関係性以前に、人と人が絆を紡ぐ過程、その美しさを見た。
そして、ミミの夢の中。彼女が「生きてる人と生きる」ために、眠りの中で息子の記憶を辿る「幸福な巡礼」を終わらせようとするひかる。思い込んだらすごいパワーを出す強烈な母を果たしてどう説得するか、彼の見せ場だ。少し話がそれるが、この「説得」のシーンというのは、多くのドラマに登場する、物語を起承転結の結へ導くための重要なパートである。個人的に、作品の出来というのはここの書き方に大きく左右されると思っていて、そこまででどんなに良いエピソードが書けていてもこの部分がありきたりで説教くさいと一気に興ざめしてしまう。その点、「悲しみのボスキャラ」に立ち向かうひかるの台詞がよかった。ミミがひかるの居ない未来を避けるため現実を捻じ曲げようとする場面。事故の原因になった映画の専門学校の受験を反対する。ここ、ひかるにとっては苦しかったはずだ。少なからず迷いが生まれたはずだ。母親の言うとおり、もう一度大学を受験することにしたらどうなるのか。もしかしたら、自分の生きている未来がどこかにあるんじゃないか。そう思ったんじゃないだろうか。しかし、数秒黙り込んだのち、彼はこう返す。
「ぼくの本当の人生では、あなたはこう言った。『映画?いいじゃん!なんかそんなこと言いだしそうな気がしてたんだよね。だってひかるほど映画館好きな子今なかなかいないもん。うれしいねぇ、自分のやりたいことちゃんと自分で見つけてくれて。やったね、わたしの子育てイケてたね!応援するよ。』……違うだろ?いまのとは違うだろ!」
母を想う気持ちがあるからこその理性的な言葉は、これまで二人が築いてきたすべての時間を礎にした残酷ながらも美しい見事な「説得」だ。生き写しのように、テンポ感から声の掠れる具合まで彼女の話し方にあまりによく似てたひかるの口調がそれを裏付る。うれしかったんだなぁ、ひかる。お母さんに進路について自分の考えを話した時、こんなふうに背中を押してもらえたこと。一言一句、しっかり覚えてるくらいに。いつからか「俺」になってた一人称が、ここにきて「ぼく」に戻っているのがいとおしい。しかし、はっとさせられつつも尚、息子と共にいよう、ついて行こうとする母。なんでわかんないんだと暴れそうになったひかるを止めたのは、机の上の二人の写真だったのだろうか(死角でよく見えなかったのだけど、写真立てのように見えたから、その向うで笑うちいさいひかると若くてファンキーなミミママを想像してた。)「生きて悲しんでくれよ。時々でいいよ。ぼくの生きた時間を全部抱えて生きてくれよ。」そして、ふっと柔和な表情に戻って、母親の瞳をまっすぐ見つめて遺した、彼の最期の言葉。「ハレの日だって、思ってくれる?」…独りきりで産んでくれた、ハレの日みたいに。ランドセル背負って一緒に入学式に行った、ハレの日みたいに。映画の学校に受かって一緒にハンバーグ食べた、ハレの日みたいに。(ここの、「独りきりで産んでくれた」という言い回しがシンプルながらものすごく良くて必ず嗚咽が漏れてしまう。)自分の死んだ日を、ハレの日だと思ってほしい。最期の瞬間まで、夢をもって、幸せに生きていた自分のラストシーンを。例えそれがバッドエンドでも、期せずして死ぬっておまけがついてきたとしても、「僕は生まれてきてよかった」から。「佐藤初美の息子に生まれてきてよかった」から。誰よりもミミのことをよく知るひかるが、誰よりも深く彼女を想って、何よりも大きな感謝と共に贈る言葉である。そして、この儚い時間は森さんの美しいイントロ演奏によって続くナンバーへと昇華する。正直もうここまでくるとエモりすぎて観劇者としての冷静な思考というのはなくなっている。ただ、ピアノの旋律に身を任せて、まさにミミと同じ夢の中にいるような感覚で、彼女が繰り返してきたひかるの「生まれてから死ぬまで」を見つめる。そしてそれはたしかに、このまま醒めなくてもいいと思えるほどの、幸せで満たされた夢なのだ。「はじめまして」のあとギュッと抱きしめられるあかちゃんのように無垢で屈託のない笑顔(思わず生唾飲むほど愛らしい)から、思春期の葛藤を胸に抱えた苦悶の表情(あの心の叫びそのものであるような、つんざくような歌声がまだ耳に残る。「やっぱりどうでもいいややっぱりどうしてありがとうごめんねありがとうごめんねでも口には出せない」!)まで、ぐるぐる回る年月を辿るようにしながらころころと変わっていく表情。成長していく二人。そしてしかし、過ごしたいくつもの季節の果て「最期の5月」でその幸福感は立ち消える。柔らかなメロディーを切り裂くような落石の轟音。(この瞬間、何度見ても精神的にきつかった。目を閉じてしまう。)でも、その絶望感に光を射してくれるのはやっぱり、その名の通り、ひかるなのだ。彼の死んだ日、最期の時間、それは決して辛くて痛くて苦しかっただけのものではなかった。5月の青い空、葉っぱの隙間から差し込む白い光、仲間たちと笑いながら食べたおにぎり、いつか撮る映画のワンシーンを夢見て撮った写真。ひとつひとつが、母親の知らなかった息子のラストシーンを彩る。彼にとって間違いなく、未来への希望に満ちた、夢のかけらに手が届きそうな、輝かしいひとときであっただろう時間を。その事実が、どんなにか母親の心を救うだろう。※2 そしてとどめの一発、「大丈夫、ぼくはもうもらったから。」「無条件の愛!」かくして、悲しみのボスキャラは最愛の息子の手を離す。
今までいろんな舞台を観てきたけど、こんなに愛に満ちみちた場面ってあっただろうか。ここでは佐藤家にフォーカスを当てて書いているので他の登場人物について詳しくは後で触れたいが、後ろに控える彼らの一生懸命さとコミカルさがまた、ものすごくいいのだ。何が起きているか見えても聞こえてもいないはずなのに、汗だか涙だかわからない液体を迸らせながら「やさしい言葉いっぱい用意して下さい!!」と叫ぶ篠原。自分が己の悲しみでいっぱいいっぱいな時、知らないところで誰かがああやって自分のことを想って必死になってくれてたりするんだな。そしていつかその頃を穏やかに振り返ることができるようになった時、きっとどうしようもなく救われるのだ、その事実に。
それにしても、あの感動的なナンバーから余韻に浸る間もなく展開するラスボス戦。息子が死んだ女を慰める場面という風には到底見えないのだが、あの喜劇だとか悲劇だとかステレオタイプな性格づけをしない演出こそが、「生きていける」という感覚、この作品を通して私が一番強く感じたことの源であったように思う。死、悲しみ、別れ、喪失というフィーリングが常に漂う空間の中で、それでも彼女たちは、また私も、本当によく笑った。ぐすぐすと漏れ聞こえる嗚咽の余韻が残る劇場が、数秒後にはおならの話で吹き出す笑い声で満たされる。その空気感のなんと健全なことよ。生きていくって、実際には、こういう感じだと思う。深刻な話の途中でも可笑しいことがあれば笑ってしまうし、大切な人を亡くした後だってお腹は空くのだ(ラスボス戦で焼肉、寿司、ラーメン、餃子!がヒットしたように。)そんなふうに、幸福と不幸も善と悪も簡単に白黒つけられない人生の、ミステリーもサスペンスもコメディーもラブロマンスも包括する混沌とした複雑さ。だからこそ生きていけるのだという、光の方にしっかりとした足取りで進んでいくような生命力がこの作品の根底に息づいていたように思う。
そして、冒頭に引用したすみ絵の台詞。生きていく中で人は絶えず何かを得て、失うことを繰り返す。歩いているうちにまたどこかで見つけられるようなものもあれば、二度とは得難い、何にも代えがたいものもあって、だけどどんなにずっと大切にとっておきたいと願っても為す術なく指の隙間からこぼれ落ちてしまうことがある。そんな時は、現実にちゃんと向き合って、悲しいことはちゃんと悲しんで、気が済むまでそうすればいい。それでも時の流れはいつも不可逆で、だから、私たちは前に進む。いやおうなく。時に振り返って、どんなに名残惜しくてもその場所に戻ることはできなくて、いつしか遠く離れて見えなくなって。でも、過去の栄光や、亡くなった人との時間や、終わった恋や、そういう「喪失」したものの存在って、決して消えるわけじゃないのだ。どこかで今は落ち目の歌手のヒット曲を励みに一人の青年が心を奮い立たせるように、あるいは泥酔して転んで死にかけて見た夢のなかで昔の恋人達が元の世界への道を教えてくれるように。きっと、すこし気が重い仕事へ向かう朝、それでも車のキーをぎゅっとを握りしめて玄関へ向かう背中に「お互いがんばろうぜ」と声をかけてくれたりする。愛された記憶も、愛した思い出も、その人のなかにずっと息づいて、どこまでも一緒に生きていく。そうやって、自分の手を離れた後も、ゆるやかに、自由に繋がって、どこかで誰かの心に咲いたり、行く道を照らしたりしているのだ。そんなどこまでも優しくて晴れやかなメッセージをこの作品からもらった気がする。
とにかく、観劇できて幸せだった。ボクハレに出会えてよかった。そんなふうに思える素晴らしい公演でした。
”It's so wonderful. I’m so happy!”
※1
これはひとつの仮定だけど、表情のサブリミナル効果とでも言うべきか。要は、人がはっきり視覚できないほどほんの一瞬の、例えば憂いを帯びたまなざしや何か言いたげに震える口元。そんな微細な仕草があの雰囲気を演出しているんじゃないだろうかと、今作でじっくり拝見する中で思ったりした。意識して演じられているのか、あるいは天性のものなのかわからないけれど、彼のお芝居には(ときにそれ以外の場面でも)一貫してそうした趣があり、そしてそれがとても魅力的に映る。
※2
亡くなったひとの、最期に過ごした時を想う場面としてここ最近でもっとも印象に残っているのは「いつ恋」7話における、音による練のおじいちゃんのレシートの音読だ。何を買ったかを読むだけですごく感情を掻き立てられる。無味な記号の羅列から、練のおじいちゃんが誰にも知られずに繰り返していたささやかな日常の跡、そして居なくなってしまった人の感触を見事に蘇らせる坂元裕二の手腕に心が震えた。そして、思えばこれも説得だった。言葉ではない様々な要素、本来説得にならないようなものによって、心が強く揺さぶられるということが確かにあるのだよな。
このような感じで、今後俳優の百名ヒロキくんのファンブログとして、舞台を観劇した感想などを残していく場所にしたいと思います。
最後に余談をひとつ。以前、彼とよく似たアイドルを応援していたことがある。瞳のきらきらした、おひさまのような笑顔の、そして、誠実で実直な踊り方をする、すごく素敵な人だった。好きなアイスの種類とか映画のタイトルとか、そんな他愛もない話すらひとつひとつ大事にしまっておいてたくらい、一生懸命すきだった。
冬枯れの頃にどこかへ行ってしまったその人は今もきっとどこかにいて、私の中にも、色んな人の中にもいて、 懐かしい曲で踊ったり聞こえるか聞こえないかの声で小ボケをかましたりしているのだけど、桜の咲く日に見つけたこの人をこれからは応援していくのだと、今回の舞台を観て感じた。感じたし、思ったし、解った。
ステージに立つ姿、側転した時のちらっと見える白くて締まったおなかも、虹を描くような弧の軌道も懐かしくて。それから、母親の再婚の話が出たとき相手に不安があるからと結婚を反対してすねる時の、心配と悔しさが入り混じったような表情。その中に、大好きだったジムの面影を見た気がしたり。(あの瞬間、私の目に映る彼の首にはたしかにシロツメクサの花輪がかかっていた。)
これからこうやって、彼の演じる色んな役を見ていきたいな。彼が演じた色んな人たちが、輪廻するみたいに、彼を通して繋がって共鳴するのをずっと見ていきたい。
改めておめでとう、百名ヒロキくん。
・・・追記 劇中歌について・・・
M1「はじまりのララバイ」
もう泣かないで うちへおかえり
大事なだれかを待っているんだね
きっと訪ねてきてくれるから
ゆっくりおうちでまっていようよ
美しく重なり合うハミングによって日常からドラマの世界へと手を引かれる。柔らかくていいにおいのするタオルケットに包まれてふっと眠りに落ちるように心地いい導入だった。いつか自分の子どもができたらこれを子守唄にゆりかごをゆすってあげたい。
M4「あなたをまもりたい」
生まれてすぐに笑顔覚えて わたしの胸で眠ったあなた
おそらく唯一の、100%佐藤初美が歌うナンバー。だと思っている。冒頭のワンフレーズでもうすでにぐすぐす泣けてしまう。切ないほどに愛おしいという感情が溢れている。「すねた横顔 膝を抱えて」なんて劇中のひかるの仕草そのものな歌詞が、前述の箇所と同じメロディーに乗っているのがまたよい。産まれたての無垢で屈託のない笑顔や寝顔と同じくらい、わがままや涙、怒り、そんな困らせる姿もかわいいのだという感じ。最後の「守りたい」という言葉が祈りのような切実さをもって響く。
M6「あなたと歌を歌いたい」
ここにきてではあるが、上野さんがめちゃくちゃ素敵な声であることに驚く。そして、こじんまりとしたスタジオの控室で歌うのは不似合なほどのスペクタクル感。大船の帆をあげて大海原へ繰り出すかのようだ。帝劇で聞きたい。また女性陣もいいのだ。ハレハレの三人ももちろん最高だけど、すみ絵・翔子・かおりの三人娘の感じもすごくすきなんだよな。きゅっと集まってテーブルに頬杖ついて歌ってる絵面がめちゃくちゃキュートだった。
女が年を取るってね しわが増えるだけじゃない
愛した時間が重なって 女の底力増すばかり
体力筋力落ちたって ハートの代謝は上がっていく
どんなちいさな幸せも キャッチする
最高じゃないか。美しくて、たくましくて、愛情深い。この人たちみたいな年の取り方をしたいな。
M7「こどもの世界」
曲が始まる前の一連の流れ含めてすごくぐっとくるシーンだった。若干ハタチのくせに、ひとまわり上のかおりにナチュラルなタメ口で、それもまるでお兄ちゃんのように接するひかるがさすが二十年間年上の女と二人暮らししてきただけのことはあるな…という余裕っぷりで心憎い。こどもの世界について言及したかおりに対する「たとえば?」のまるっこい響きとかめちゃくち
ゃ萌えてしまった。シーンを通して他の場面と空気感の違い、流れにメリハリを与えている。映画一本くらいの上演時間なのに、連ドラのスピンオフ回みたいなものまで詰め込まれていて(しかも傑作。決して気まぐれな寄り道という感じでなく、物語に奥行きを与え作品をより立体的にしている。)かつ最後まで書き急いだ感がないって、よく考えたそうそうないよなぁ。普段の抑制の効いた物静かな佇まいとは別人のような自由でのびのびとダイナミックなかおりの表情、動作、そして歌声はすべてが魅力的。
だれもが忘れてしまうから 永遠に美しいの?
最後には疑問符がつくだろうか。歌い方のニュアンスから完璧には聞き取れなかったけれど、ここはそうだと思いたい。だって、この物語はこのクエスチョンに対し、ノーという答えを導きだしているはずだから。たとえもう見えなくても、それぞれの中にたしかにある。羽があって、ひれがあって、飛んで行けたあの日々が、間違いなく今の自分をつくっているのだから。
M9「ボクが死んだ日はハレ」
先に触れたので細かくは割愛するが、もう音符のひとつひとつ、歌詞の一言一句、ひかるとミミの一挙手一投足、すべてが心を直接揺さぶる。たった数分のナンバーの中にふたりの人生の起承転結が瑞々しく描かれている。森さんの紡ぐメロディーの上では、なぜこうも言葉が自由に踊るのか。歌っているのに、空気感は普段の母子のかけあいそのままなのだよな。ゴジラのテーマや小さなサルでくすっと笑ったあとの、
私の目を見て笑った 天使が笑った
ここで毎回どうしても涙があふれる。M6の「生まれてすぐに笑顔おぼえて…」という歌いだしもそうなんだけど、初めてわが子の笑顔を見たときの感動とか、愛おしさのこみ上げる感じが、自分はまだ経験していないけどなんかわかるような気がするような、あるいは愛されて生まれた記憶が無意識的によみがえっているからなのか。母親の愛情の深さというものが短いフレーズの中にぎゅっと詰まっている。また、これに対するひかるの
ぼくは天使じゃないけどね だけど生まれてきたら独りじゃなかった
母さんが笑ってた だから笑い返しただけ
というアンサーが泣ける。直前にひかるからミミへ「独りきりで産んでくれた」という言葉があるが、彼女もまた、ひかるに会えて独りじゃなくなったんだな。独りで生まれてきたひかると、独りきりで産んだミミが出会って、二人になって、、命のつながりって尊い。「~けどね」「~だけ」という照れ隠しっぽい言葉尻がひかるっぽくってヒロキっぽい。そして季節を辿る中で、くるくると変わっていく表情、成長していくひかる、走馬灯のように、それはほんの数分間のはずなのだけど、ずっと近くで見てきたみたいな気持ちになるのだ。そして、「最期の5月」。鮮やかな彩りでもって描かれるひかるのハレやかなラストシーンに、ミミだけでなく、自分の心が救われていくのを感じる。ぼくは消えたんだ、のあと繰り返される「この世界から」の余韻。そう、消えたのは、この世界から。ミミの、それだけじゃなく今まで関わってきたすべての人の中に、彼はずっと生き続けていくのだ。
M11「僕のラブソング」
あなたが生きて歌っていれば
あなたが笑って踊っていれば ただそれだけで幸せだから
どうか泣かないで笑って
あなたの歌を聞きたい あなたの歌を聞きたい…
ヲタクの推しへの気持ちを代弁した曲って言ってる人がたくさんいて笑った。なるほどまさしく、である。しかし、一つだけ篠原に言いたい。あとでいい、じゃだめだ。気持ちはわかるよ、でも、あなたはただのヲタクじゃない。もう何年も、SHOKOさんの一番近くで、彼女を支えてきたんじゃないか。「大事にしたくてじっくり構えてたら、ちょっとしかできないまま死んじゃった」。こんな実体験を基にしたアドバイス聞けること、なかなかないんだぞ。あとでいい、いつかでいい、そう思ってたら、その「いつか」は永遠に来ないかもしれない。それを知っているはずなんだから、「もっと幸せになればいいじゃん」!!案外向こうも待っているのでは、とヤフー知恵袋の恋愛相談系トピックでベストアンサーになってそうな助言を残しておきたい。
・・・追記 登場人物について・・・
◆会田すみ絵(高橋紀恵)
こういう人が幸せになれないようでは、この世界は生きるに値しないどうしようもない場所だとしか言いようがない。そう思わずにはいられないくらい、豊かな知性と深い愛情を兼ね備えたスーパーウーマンだ。働く姿があまりにかっこよくて5億年ぶりにドラマの登場人物の口調や動作を真似するという誰かに勘付かれたら死ぬほど恥ずかしいことをしてしまったくらいだ。自分のことも周りのことも全力で愛している感じがたまらなく好き。そして何よりあの包容力、これは「肯定力」と言い換えることができるんじゃないだろうか。どんな話にも目を見て、「そうだね」と相槌を打ちながら耳を傾け、自分の意見や持てる知識を提供した上で、「ばかみたいに信じよう」としてくれる。こんな人が身近にいたらどんなにか心強いだろう。響きだけならJKアイドルでも想像してしまうような、「ミミちゃん」という彼女だけの呼び方、本人がいる時にもいない時にも何度も名前を口にするその声。「そうだね、ミミちゃん、幸せだから寝ちゃうんだね」「いない人のいる世界が幸せすぎて寝ちゃうんだね」「あたしたち、ばかみたいに信じた上でミミちゃんのこと連れ戻そう。」彼女たちの出会いから今までの経緯について舞台上で説明されることはないが、たしかな絆がそこにあるのが見える。すみ絵のように、やりきれないことが毎日のように身に降りかかるこの世界までも肯定し、愛情で包み込み、笑って、自信をもって前に進むことのできるパワフルな女性になりたい。とりあえずベビーピンクのジャケット買おうかな…。
◆高木翔子(小野妃香里)
妃香里さんは他の作品でも何度か拝見したことがありましたが、いやまじ…スタイルが…良すぎるだろ…という心のぼやきが止まらなかった。厚みが自分の半分だった。あの美貌に、祥子という女性のストイックな生き様が映し出されているんだなぁ。だけど、そんな芸に対するひたむきさ、追求心がSHOKOを輝かせているのだとすれば、彼女の、高木祥子の本当の魅力というのはひとえに優しさと素直さだ。ここについては篠原と一晩語れると思う。あんなクールビューティーな風貌なのにけらけらとよく笑うし、ちょっとかっこわるいところも人に話したり見せたりできる。不安な時は不安だと言い、不安そうな顔をする。そんな自然体な振る舞いがとてもチャーミングなのだ。(絶対的な味方がいつもそばにいるからなのかな、と思ったりする。)そして、あの器用じゃない優しさ。優しいから、どうにかしてあげたくて、みんなでちゃんと解決したくて、怒る。それはきっと、何もできない自分に向けた怒りなのだ。にも関わらず、いざ具体的な方策をもってミミを連れ戻そう!となったら今度はひかると彼女を引き離していいものかと心が揺れる。この繊細さが、篠原がそばで支えたい、守りたいと思う所以なんだろうなぁ。ミミについてかおりと話してる時の、「真面目な人ほど危ないよ。周りが気を付けててあげないといけない。」みたいな言葉が印象に残っていて、それが祥子にとっては彼なんだろう。いやもう本当、二人はやく付き合って結婚してもっと幸せになればいいじゃん…。
◆三田村かおり/歌織(笠松はる)
私には天才子役の過去も第六感もないが、一番シンパシーを感じた役だった。「一歩は一歩の大きさでしかないからたくさん歩くしかなくて、振り返ってみてこんなに歩いたって満足するガリ勉タイプ」だなんて、自分のこと言われてるみたいだ。かおりは、黙っている時間が長い。ずっと輪の中にいるのに、「あ、ひさしぶりに声聞いた」って度々思った。でも、自分でそう言っ
てたけど、「無口」とは違う気がするんだよな。話すべき時を見計らっている、という感じ。お姑さんのこともそうだけど、きっとまだほんの幼い時から大人の世界に身を置いていたからこその癖みたいなものなんだろう。それでいて、自意識の捻じれみたいなものを全然感じさせず、ちゃんと優しくて正しい配慮ができて、言うべきことは凛とした態度で言い切れる人柄にすごく魅かれた。「生きてる人と生きてほしい!」力強いこの言葉に、ひかるを含めその場にいた誰もが深く納得したはずだ。彼女がいなければひかるとミミは永遠にあのループの中から脱出できなかったかもしれないんだよなぁ。そしてあのシンクロナイジング。毎回違うひかるのリズム・抑揚・声のトーンに完璧に合わせてくる彼女はもはや本当に第六感の持ち主であるとしか思えなかった。音だけでなく、動作や表情まで。だからこそ、「見えていない」人たちにも、ひかるの想いが正しく伝わったのだ。ひかるとかおりが、そして百名ヒロキと笠松はるが無意識の領域で共鳴する、そんな奇跡を見ているようで、コメディータッチな場面ではあったが何度もドキっとした。ときに、冒頭のはじまりのララバイのハミングで客席に向いた時のかおりは、普段の一生懸命気を浸かっている時とも、のびのびと自由に歌ってる時とも違う印象的な表情と雰囲気だったな。椅子の背に身体を預けるようにして、なんかとてもニュートラルな、それこそ何の先入観も持たない小さいこどものような。彼女の中の「こどもの世界」がまっしろなワンピースにくるまれてずっとその胸の中に美しく在り続けることを願う。
◆篠原哲(上野哲也)
何度この人に救われたことか。コメディーリリーフとして100億点満点すぎる。ただの慌ただしい三枚目ではなく、実はものすごく周りが見えていて、それでいてしっかりした自分の軸、本当に大切なもの、すべきことをちゃんとわかっている人だ。憧れの翔子が堕落して自己破産寸前まで追い込まれた時毎晩財布の中身をチェックして倹約させたエピソードもすごく好きなんだけど、普段さんざん大声で叫んで喚いて情けない顔を見せてみたりいじられキャラに徹してたくせに、ひかるとサシ(いや、かおりちゃんがいたけど)で話す時にしっかりお兄さんの顔をしているのがもうめっちゃずるかった。誰にも話せなかったひかるの嘆きをちゃんと受け止めてくれる。相手の悲しみに過剰に同調したりせず適度な距離感を保ちながら(しかし物理的な距離はゼロ)発した「せつないよ」の一言のなんと爽やかなことか。そして「俺はアップスウィングのSHOKOを抱くぞ!」のなんと清々しいことか。それから、ミミが自分に起きていることを告白しようとした時の「いや、外すのはぼくだけでいいと思います。」あれに痺れた人は多いはず。言葉を発するや否やもう行動しているところがデキる男っぽくてかっこいいのだ。いやぁ、彼のあの芯の強さに裏付けられた明るさ、「見習いたい」っていうかおりちゃんの気持ちわかるなぁ。