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2003年2月師のおはなし

『氏神さまにお参りに行っている人は「後光」を頂きに行っている…。
問題は「楽」と「喜」を勘違いしている…。
本当の楽は苦しみの中から生まれる。本当の苦労をしないと本当の喜びは得られない。
そうやって頑張っていると諸天が守ってくれる。
神様のお守りというのは「人知」を超えたところにある。
何事も「短気」にならないように。
「こんな人が…」という人が大ホームランが出るのです。
相手が私の先生→相手が鏡である。
相対する人はすべて自分の先生であり審査員。
0.6秒で決まってしまう→下でに出て行けばいい。
それが本当の姿。先生ぶると反感を買うのだ。
値打ちがあれば、引いてくれるし高めてくれる。
みんなの良さを出す。
とまどい…何かが心配させる(業)→事柄を書き出していく。
神様はものを欲しがっていない。人を欲しがっている(天使)。
良い種をまけば眠っている間に神様が育ててくれる。
理屈は効能書き。薬は実践。』
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師のMessageより…。【良くなる為の方法】◎好かれている自分か…「好かれる為には何が大事か…気遣いが大事。誰にでも好かれる事“仲の良い友達になろうね”相手の感情を乱すような事をしない事。人は人を嫌う資格なし。」
◎他人事が身内以上に思える。親類以上の付き合い。
◎自分が勉強して本当に生かされている事を知って、本当に生きる道を知って、天命も判って、それが確信できる事が一番自分の生き甲斐であり喜びである。
そうすると全て整えられる。これが理想の生き方。
この世もあの世も往生。自分で自分が好きになり惚れるようになり自分を信じられる。
すると多くの方々がついて来る。
不安が無くなり観自在。
この世の男・女キラキラすべてに通じ合う。
と学びました。

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『光明をつかむ7-正義の基礎-そこで私は申し上げたいのです。個人あっての人類であり、人類あっての個人であって、単なる個人だけの個人というものは、現在の社会では通用いたしませんし、個人のない人類というものもあり得ないのですから、個人がまず立派に業(かるま)や原罪を超えて生きて行き得れば、それだけ人類の業(かるま)、つまり誤った生き方が減るわけなのです。一人ひとりの個人というものほど、会社にとっても社会にとっても、国家にとっても、人類全体にとっても大事なものはないことになります。そして自分自体にとっても、自分ほど大事なものはないことになります。自分を大事に成長させることほど、自分にとっても世界にとっても大切なことは他にないのであります。その原理がわからなくて、いたずらに会社の在り方に反抗したり、政府の施策にいちいちたてついたり、他国の在り方を非難攻撃して、革命まがいの暴力沙汰を起こしたりすることは、幼い子供の類(たぐい)のすることでしかありません。自己の正義感を満足させるために、会社の在り方に常に反抗する従業員というものは、全体の調和を破ることになるので、その会社では必要
としないことになります。その従業員は速やかに自己の正義感を満足させる職場を求めて去るべきです。国家においてもその通りです。正義正義というはやすいのですが、一体何が正義なのか、会社にしても、国家にしても枝葉のことでは各自の見解の相違があって、よほど大きな立場、つまり神のみ心のような大きな立場からみないと、その正邪の判定はつきかねます。ただはっきりいえることは、その集団の調和をはかること、これが最大の正しいことなのであります。調和なくして仕事が発展することも、その国家が栄えることもありません。いくら議論しても言い合っても、その心が、まっすぐ会社の発展を願い、国家の安泰を願っての事なら良いのですが、自己の正義感の満足とか、自己顕現のためのものであってはならないのです。もっと純粋な、生命そのものが現われている清らかなものでなければならないのです。』

感謝