1年のインターンシップが終わり、その後は地元の大学の英語コースに入学した。今はEU圏外の学生からは学費を取るようになったが、当時はまだその制度が導入されておらず、外国人でも無料で大学のコースを受けることができた。私は日本の大学で英米文学科を卒業したし、英語は普通に得意なほうだと思っていたけれど、スウェーデンの大学の英語のレベルは相当高かった。なんとか付いてはいけたが、毎週クラスで冷や汗をかいていた記憶がある…。


それはともかく、英語を学んでいる時、何人ものクラスメートから「日本のアニメが大好きだから、日本語を教えてほしい!」と言われた。その他、「僕たちは日本語を勉強したいから、50人ぐらいの署名を集めて、大学に提出したんだ。でも先生がいないからって断られたんだ」とか、「ストックホルム大学の日本語科は、定員60名のところ、応募が300人もいたらしい」といった情報があちらこちらから耳に入るようになった。

 

今考えるとサインが送られていたと思うのだが、見えない存在から「大学に持ち掛けてみなさい」というメッセージをもらった気がして、大学のスタッフに「こんなニーズがあって、私は日本の大学で教職課程を取っていたから、日本語のコースを始めさせてもらえないか」とメールを送ってみた。一週間後ぐらいに当時の英語の先生からメールがあり、「あなたのメールの件で話がしたいから、来週の水曜日に私のオフィスに来るように」と返事があった。

 

私はてっきり面接だと思っていたのだが、その先生が私を信頼してくれて話を進めておいてくれたらしく、「次の学期から日本語コースを開講することに決まったから、シラバス、教科書、スケジュールを考えておくように」ということだった!それから話がとんとん拍子に進み、学生だった私は次の学期から先生になることになった。もちろん教師経験なんてなかったから、ドギマギしたが、新しいことにチャレンジすることがとても楽しかった。どうやったら学生が日本語クラスを楽しんでくれるか、ワクワクしながら計画を立てた。

 

日本語クラスが始まったのは2005年の秋。最初は友人を中心に15人のクラスでスタートした。2006年の春学期には25人ほど。噂で聞いていたより、人が集まらなかったため、学内のメーリングリストで宣伝をしたところ、教室からあふれ出るほど予想以上の学生が日本語クラスに申し込んでくれた。それからは毎学期、二倍、三倍と、どんどんどんどん学生が増える一方だった。スウェーデンにアニメブームが到来していて、その波にうまく乗っかれていたのだと思う。


当時、日本語コースを始めてみたものの、上司はそれほど期待はしていなかったそうだ。日本の経済成長は止まっていたし、むしろこれからは中国だろうと見込んで、私の日本語コース開設のあと、一年後ぐらいに中国語コースを開設した。

 

それでも日本語ブームは上司の予想をはるかに超え、毎学期すごい人数の学生だったため、小さな日本語コースは2年後に日本語学科となり、日本語で博士課程を終えたばかりのスウェーデン人も採用され、晴れて私に初めての同僚ができた。その後、大学がオンライン教育を始めたのもあり、学生数はさらにうなぎのぼり。二人では到底回せない学生数になっていたため、同僚もどんどん増え、今では7人の日本語教師がいる(大学が潤っていた全盛期は11人!)。


あの時の私は、本当に見えない力に背中を押してもらっていたというか、大いなる力が私を雲の上に乗せ、運んでくれていたような感覚しかないのだが、考えてみると、2005年から2020年までの間、ざっと計算して3000~4000人の学生に日本語学習の機会を提供できたことになる。また、日本語コースの成功を受け、その後、中国語科、ロシア語科、アラビア語科、ポルトガル語科と、次々と新しい言語学科が開設されることになったのだが、採用された教員数(20名ほど)、受講した学生数(10,000人近く?)を考えるとすごいことだ。

 

私の力以上の何かが確実に動いていた。でも、私は今でも「あの力は何だったのか」ととても不思議である。そして、うまく流れに乗っていたという感覚はあったけれど、でもどうやってその流れに乗ることができたのかもいまだにわからない。いわゆるワクワクが引き寄せたものだったのか?

 

でも、不安はずっとあった。雇用は半年ごとしかもらえなかったので、毎学期ビザの延長ができるか不安だった。学生が来なければ、クラスは成り立たないからだ。でも、どこか、絶対にニーズがある!だって、私はサインを受け取ったんだもの!という自信はあったので、そのサインを信じ、毎回のクラスを精一杯こなしていた。とにかく学生に楽しんで学んでもらいたい!の一心で作っていた教室。その思いが伝わったのか、もしくは、スウェーデンで日本語を教えたい!という強いが伝わったのか、宇宙が応援してくれたのかもしれない。


まぁそんなこんなで、日本語教師の仕事に巡り合え、早15年。今でも学生がワクワクしながら日本語を勉強できるようサポートするのが私のワクワクである。

 

宇宙の流れに乗ると、とんでもないことをスイスイスイーっと達成できてしまうものである。自分で体験しておいて、そのコツはまだつかめていないのだけれど!