私が初めてスウェーデンに来たのは、24歳の時。小学生に日本の文化を教えるという目的で、インターンシップ・プログラムスという機関を通して、スウェーデンの田舎にやってきた。今でもこの田舎のすぐ近くに住んでいる。

 

大学4年生の時、私は同級生と一緒に普通に就職活動をしていた。周りの友だちがどんどん就職先を決めていく中、私は一人残されるように「どこにも」引っかからなかった。私は自分の能力のなさ、魅力のなさに落ち込んでいた。その時の私にとって、将来はとても暗かった。

 

もう逃げ道としか思えないような方法だったけれど、両親の勧めで海外留学をすることになった。本当は「(海外留学を何度もしている優秀な)姉と同じ道は歩きたくない」という想いがあったから、海外留学はずっと避けてきていたのだが、もうそれしか私には道がなかった。

 

大学の同級生には、「それは逃げだ。3年間は日本で頑張らないと、社会で認められないよ。」と諭されたりもしたが、でも私にはもう他に道がなかった。開いていたのはその扉だけ…という感じだった。

 

インターンシップを斡旋してくれた機関が、色々な国を提案してくれた。ドイツ、ポルトガル、ハンガリー、スウェーデンなどだったと思う。その中でもスウェーデンを選んだのは、周りにたくさんサインがやってきたからだ。姉が付き合っていた人(現在の夫)はデンマーク人で、スウェーデンを勧めてくれたこと、それから当時のバイト先が、まだ日本に上陸するよりうんと前にIKEAと繋がりがあって、IKEAとお仕事する機会があったこと、ほかにもスウェーデン帰りという日本人女性に出会ったりと、立て続けに周りがスウェーデンで固められ、「スウェーデンに行きなさい」と言われている感じだった。

 

私を迎えてくれたホストファミリーは、私がお世話になった小学校の校長先生の家族だった。ホストファーザー、ホストマザー、ホストシスターの3人家族。上のお兄ちゃんたちはもう自立して家を出ていた。

 

インターンシップは1年の予定だったから、もともとは1年経ったら帰る予定だった。でも日々を過ごす中で、このゆったりしたペース、建物に邪魔されない大空、大きな二重の虹、大自然、おおらかな人々、とにかく全てに魅了されてしまったので、もう少し滞在を延長してみたい…と思い、学生ビザを取るために、スウェーデン中の大学に申請書を出した。

 

英文学部を卒業していたので、英語のコースに申請すればどこかには引っかかるだろうと思っていたが、トフルの証明書がなければだめ!との理由で、どこも断られてしまった。実は1年目の後半にホストファミリーと少し問題があって(これについてはまだ後日)、どこか遠くの町の大学に行きたいと思っていたのだが、最後に残された道は、地元の大学のみだった。

 

それまでの経験から書類だけではダメかも…と思って、直談判的に、英語科の先生のオフィスを訪ねてみたら、即オッケー!無事に地元の大学の英語コースに入ることができることになり、半年の学生ビザをもらえることになった。不思議だけれど、地元の大学に入れたのは、またしても最後に残された一つの扉だった!(きっと私は相当この町に縁があるらしい。)この大学に入学してから半年後、私は今の仕事に出会うことになるのだが、それについては、次のブログで!

 

この当時はまだ「引き寄せの法則」なんていうのも知らなかったし、今考えても、自分が引き寄せた…というよりは、見えない力に導かれた…という感覚が強い。なぜ私がこの地に呼ばれたのか、実はいまだにわかっていないので、近々わかるといいなーと思う。

 

読んでくださって、ありがとうございます。