専門卒、資格なし

40過ぎだった私が

アメリカの会社で正社員として

働くことになった経緯や

アメリカ就活で使えるかもしれない?コツを記します。

 

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再面接

 

面接には、二人の弁護士の他に、

若い日本人の女性がいた。

 

こういうソフトウェアを使ったことがあるか?

どんな方法でミスを防ぐか。

日本のクライアントの扱いは慣れているか。

などの質問が来た。

 

ミスの防ぎ方として、

常にお手製チェックリストを作っていると話す。

 

面接はそのくらいの軽い内容で終わる。

 

ここから先はとんとん拍子。

 

翌日キムからの連絡で内定をもらった。

内定というか、

電話で採用決定の連絡を受け、

この後3人のリファレンスに連絡を取って

私の人となりを確認し、

それから正式契約となると聞いた。

 

とうとう、アメリカで正社員に採用が決まった瞬間だった。

 

淡々と書いているが、本当は

飛び上がるほど嬉しかった。

 

リファレンス

 

以前お話しした通り、

リファレンス(リファレンスチェック)とは、

アメリカで就活時に、

雇用主が採用予定者をよく知る過去の上司などから

その人の素行や働きぶりを確認する作業である。

 

この法律事務所では、

そのリファレンスチェックする人を

3人教えてほしいと言われた。

 

リファレンスになってもらってよいですか?

新しい会社から連絡が行ってもいいですか?

と昔の上司に了解を得てから名前を使わせてもらう。

 

私はアメリカでの仕事経験は短いため、

アメリカには2人しかリファレンスがいない。

 

そのため、15年前に働いていた、

日本の会社の先輩女性へお願いすることに。

「英語しゃべれないけどいいのー?、

まあ何とかなるよ、いいよー」とOKしてくれた。

良い先輩である。

 

そしてキムに彼女の連絡先を伝えた。

伝えはしたが、本当にキムは日本まで

連絡するとは思っていなかった。

きっと電話が繋がらず、

まあ、二人いるからいいや、

となるだろう、と鷹をくくっていた。

 

が、彼女はしぶとかった。

いや、きっとそういうルールだったのだろう。

こういうところに、なあなあは無いらしい。

 

キムから、

やはり日本の先輩とは連絡が上手く付かない、

そしてもう一人リファレンスが無い限り

この先の採用手続きを進められない、

と電話が来た。

 

結局いろいろ考えたあげく、

超短期プロジェクトで働いた地元の会社の

CEOにダメ元でお願いしてみたところ、

意外にもOKと言ってくれた。

 

短期でも、いろいろやっておいて本当に良かった

と心から実感する。

私の仕事ぶりを保証してくれる人が3人いないと、

これだけ近づいたこの正社員の道に

一歩及ばずとなっていたわけだから。

 

無事に、三人の元上司が

私の働きぶりや人間性に太鼓判を押してくれ、

採用の契約が進められることになった。

 

リファレンスでキムにどんなことを

聞かれたのかと

後で元上司に聞いてみると、

一言、「また彼女を雇いたい?」

だけだったらしい。

 

 

超えなきゃならないもう一つの壁

 

オファーレターというものをもらい、

それに同意するサインをし、

いつから働くかを決めた。

正式な雇用契約が結ばれた。

 

さて、在宅仕事とは違い、

これからは子供を預けなければいけない。

 

通常アメリカの保育所(デイケア)では、

預ける週の初めに一週間分を前払いする。

 

この仕事をスタートする時点で、

我が家の口座には100ドル(およそ一万円)も

残っていなかった。

物価の上昇、在宅翻訳の当てにならない収入、

そして思いがけない車の修理で一気にこの状態。

主人のお給料もまだ先だ。

 

一番安いデイケアでも、当時一週間最低150ドル。
仕事は決まったが、デイケアにお金を払えない。

どうしよう。

 

救世主

 

この保育所プラス家計問題を、

ブラジル育ちの日本人の友達に話すと、

彼女は

「私が見ようか?」

と助けを申し出てくれた。

 

結局超格安で、しかも私のお給料が入ったらの

後払いという約束で見てくれることになった。

その家の子と長男は仲良しなので、

子供たちも大喜び。

 

天使のような人だ。

彼女のサポートが本当にありがたかった。

 

思えば、他にもたくさん助けてくれる人がいた。

他の専業主婦のママ友も、

仕事終わったら寄って夕飯たべにおいでー、

と誘ってくれ、

帰りには次の日の夕飯まで

包んでもたせてくれたり。感謝感謝だ。

 

皆自分の家族に頼れない環境で暮らしているので、

家族のように助けて合うことが

海外だからこそ多くあったのだと思う。

 

コツ?

 

結局私流の正社員への道は、

コツとかいえる程のものは

あると始めは思ったが

実際これを書いてみて、

大して無いことが分かった。

 

ただひとついえるのは、

波に乗りながら次の波を待つ、

ということだ。

 

波に乗るのは、つまりまず働き始める。

そして次の機会を待ち、探す。

 

はじめから正社員狙いで行くのは

良い学歴や経歴のある人には

上手くいくかもしれないが、

私のようなタイプなら、

短期でも派遣でもいいから

まずは現場の感覚と履歴書に書ける経歴を

アメリカで培うのは最初のステップとして

良いと思う。

 

そこから人も機会もどんどん広がる。

 

短期契約で働いていても、

その契約が切れたら失業保険をもらえるので、

その後の生活も安定に向かう。

 

現在の仕事

 

私がこの法律事務所で働き始め、

8年が経った。

実は一度この事務所を辞めてしまったが、

すごく後悔してたら、

弁護士さんの一人が戻ってきてほしいと

声をかけてくれ、戻ることができた。

その時私は別の州に引っ越す予定だったのだが、

この弁護士さんがトップに掛け合ってくれ、

この事務所で初の、完全リモートのアシスタントとして、

再雇用してもらえた。

 

先輩の日本人女性は、私に丁寧に仕事を教えてくれたのち、

別の事務所へ転職したが、

今でも個人的に連絡を取り合っている。

 

面接で、目がキラリとした弁護士さんは、

働き始めた後で、

「チェックリストが決め手だったんだよ!」

と教えてくれた。

彼は日本市場に関して、

私に絶大な信頼を寄せてくれ、

私の意見を戦略に取り入れてくれる。

私に価値を見出してくれている。

 

シャイな弁護士さんは、案の定

どんなときでもSounds goodが口癖。

仕事ではちょっと頼りないが、

とにかく優しいし、同じく私を信頼してくれる。

 

二人とも仕事を私にかなり任せてくれる。

それを私が快く受けられるのは、

もし私がミスをしても、この二人は絶対に

私を責めないと信じているから。

 

 

10年後の自分

 

最後に、話は若いころにちょっと戻るが、

27歳の時に、

「10年後にもこの仕事をしていたいか」

と自分に初めて問いた。

答えはNo,でそこから転職人生が始まった。

 

そこから20年以上、

何度もこの質問を問い続け、

Noならばまた別を探してきた。

 

今この法律事務所の仕事をしていて、

とうとう、この質問にYESと答える自分がいる。

嫌なことはもちろんあるが、

70過ぎても働きたいと本心で思っている。

 

また別の記事で、いつか、

なぜそう思うかとか、

職場事情などを詳しく書いてみたい。

 

大変長くなりましたが、

このシリーズはこの回で終了します。

お付き合いいただきありがとうございました!