うみにゃんのブログ

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久しぶりの投稿!

前回の投稿から全然、投稿できなかった😭

色々と忙しく、ブログを書く時間も無くて󾭛

本当は明るい記事を書きたいんですが
今日は辛く悲しい記事になってしまいます。

ですが最後まで読んで頂けたら嬉しいです。

今月2日の深夜

大好きな叔父が亡くなりました。

母の兄弟(長男)から連絡があり
朝まで持つか...。

という内容でした。

直ぐにでも叔父の所へ行きたかったのですがあいにく、電車も通らない時間で車も持っていなかったので

始発で行くつもりでした。

でも、母のすぐ上の五男から電話があり
車で私達の家まで来て乗せて行ってもらえることに。

夜中3時に大慌てで叔父の所へ向かいました!

片道2時間ちょっと掛けて行きましたが
病院の駐車場に入る為
駐車券を発行する機械の前に着いた途端

また長男から連絡があり

最初の電話を掛けてきた時点で亡くなっていたと告げられました。

オチがオチだけに、母は泣いてる
私や弟は唖然。

何がなんだか...って感じ。

車を止めて病院の中へ入って
そのまま霊安室へ。

流石に叔父の亡くなった姿、顔を見た瞬間
涙が溢れました。

「なんで?なんで?」「看取れなかった」
「間に合わなかった」「これが最後なの?」

目の前の現実が受け入れられない。

それから霊安室には1時間程
居て徐々に冷静さを取り戻し現実を受け入れました。

冷静になって考えると
最初の電話の時点で亡くなっていたにも関わらず医者は

朝まで持つかどうかと言った。

何でだろう。

そう考えて居たら

もしかしたらコレは
叔父が1分でも早く顔を見に来て欲しかったからなんじゃないか。

と思えました。

いつも叔父は家へ迎えに来る時
早くしろ、遅くなるから急げ!

と口癖の様に言っていたのを思い出し

私達が早く会いに行くのは
最初で最後になってしまった。

そう思うと胸が苦しくなりました。

それに、最後を誰も看取れなかったし
ありがとう と言う感謝の気持ちも伝えられなかった。

もどかしくて もどかしくて。

元気になって帰ってくるのを信じ心待ちにしていたので余りにも辛い現実でした。

そして今月4日に通夜があり

叔父が大好きだった地元の囃子方(はやしかた)の皆さんが来てくれて

本当はいけない事ですが

持参した笛と棺の前に置いてあった
もくぎょや鐘を使って

お祭りで良く聞くお囃子を演奏してくれました。

囃子方の人達の演奏する姿を見て
母も私も泣きじゃくりました。

でも本当に良いお通夜でした。

そんな囃子方の皆が居たから
記事を書いてる今この瞬間も、冷静で居られます(癶ω癶)

それにしても、病気が病気なだけに
人工呼吸器を着けて居たので

飲み物は飲めず、ご飯も食べれずで

叔父の体は見る影もない程
痩せ細って居て

見るのが辛かった。

手や足は元気だった頃のガッチリ感は完全に無くなり

可哀想に思える程。

最後に飲み物を飲ませて食べ物も食べさせてあげたかった。

まぁ、亡くなってしまった今
そう思っても仕方ないですが。

でもほんと、後遺症や死亡のリスクが高い病気が何故 世の中の人に知られていないのか不思議です。

とりあえず、書ける所はここまでなので
コレで終わります。

いつか私が叔父の元へ行く時が来たら
叔父が私の顔を見飽きたと思うぐらい

一緒に居たいです。

最後まで読んで頂き

有難うございました。