雑記 失敗恐怖症 | こまあんにゃ ネガ・ネガ 生死確認

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幼い頃から考えれば、切りがないくらい辛かった。

私だって、もっといろいろ挑戦したかった。
だけど、挑戦しなかったのは、失敗が怖かった。

「白石さんになら委せられる。」
とか
「優美恵ちゃんに委せた。」
とか言われて、嫌だったけど、クラス副委員長もやった。文化祭とかイベントのクラスの実行委員会の委員もやった。
嫌で嫌で嫌で嫌で仕方なかったのに、他に他薦すれば恨まれるのは確実だし、他薦を止めて、その任に徹することにした。
だけど、クラスメイトは非協力的。先生や別のクラスの実行委員からは、圧力はあるけど、フォローアップも何もない。失敗すれば、クラス委員・実行委員としての私の責任だった。
学生時代は、いつもそんな感じ。学外でやってた事でも、変わらなかった。

そこから、失敗恐怖の芽は、確実に芽生えていたのだと思う。

家庭環境でも、常に… … …失敗しないように気を張りながら生きてきてる。


ずっと、失敗しないようにって、自分の気持ちを隠して、協調路線をずっと維持し続けて、口出ししないで他の人の意思には耳を傾けていた。

幼い頃からのそんな経験は、私自身が言うのもおかしいけれど、おとなしくて手のかからない『良い子』だった。
自己主張はしないけど、『聞き上手』だったと思う。

ただ、私自身は解っている。抑制人生だったから、何をするにも慎重過ぎて、怖がって、何もしない子になったんだって。

失敗恐怖症…通院の精神科の先生からは、その診断を受けた訳じゃないけど、失敗を過剰に怖がっている時点で、きっとそうだと思う。