昨日、デューク・エイセスの最後のコンサートに行ってきた。
“ラスコトンサート”は行けなかったので、
東村山のクリスマスコンサートに。

ずーっとずーっと、いつかコンサート行きたい、生でデュークの唄を聴きたいと思っていて、
気づいたら、もう、本当に最後の最後。
滑り込みで、念願が叶った。

「立ち見ですが」と入れてくれた主催者様には、本当に感謝しかない。
ありがとうございます。

デュークを好きというと、
年上の方々からは
「なぜ知っている」「若いのに珍しい」と言われる。
同年代の面々からは
「ん???」「誰それ?」「なんで?」という反応が返ってくる。

とりあえず、同年代の人には、
「女ひとり」とか、母親が鼻唄でハミングしたりしてなかった?
「いい湯だな」は、ドリフだと思ってない?
それ、デュークだから!!!!!
と、ブルゾンちえみ風に伝えたい。

そんなこんなで、子供の頃から存じ上げてはおりましたが、
熱心に聴くようになったのは7、8年前。
ロシア語を覚えたくて、カチューシャとかカリンカとかロシア民謡をYouTubeで聴きまくってた時、
デュークとか、ダークダックス、ボニージャックスの動画も見てみたのがきっかけ。
なぜか、デュークだけか特別だった。
自分の中のロシア語ブームも去ったのに、デュークはずっと聞いてた。
気付いたら、デュークの動画や情報を探してネットサーフィンしてた。
CDや動画サイトで唄を聴いては、泣いたり笑ったりしてた。

背筋が伸びてて、声が美しくて、笑顔が素敵で、
私にとっては、本当に強くて気高い“デューク”のような存在。かっこよすぎる。
なんていうのか、職人気質?
デュークの唄を聴いていると、
働くとか、生業への責任とかプライドとか、そういうことをすごく考えさせられる。
人生の師匠みたいな存在。

私が、心身ともに一番辛かったとき、
一緒に落っこちてくれたのが、たま。
生きてていいんだって思わせてくれたのが歌舞伎。
厳しいだろうけど難しいだろうけど、こんな風に生きたいという気力を与えてくれたのがデューク・エイセス。

デュークの唄に支えられて、いま、生きていられていると思ってる。
そう考えるともうね、恩人なの。私にとっては。
そう、恩人たち!

これからは生の唄は聞けないけど、ずっとずっと大切に聴き続けていく。
これからも私は、何度もデュークの唄に救われるんだと思う。

あー、やっぱりさみしい。
昨日もいっぱい泣いたけど、今日もずっとポロポロ泣いてるんだな、実は。

デューク・エイセスのみなさま、ありがとうございました。
ずっとずっとデューク・エイセスが大好き!!!