相続には単純承認、相続放棄、限定承認の3つの方法があり、いずれかを選択できます。単純承認はプラスの財産もマイナスの財産(借金)も全て相続する方法、相続放棄はプラスの財産もマイナスの財産も全て放棄して始めから相続人ではなかったと扱われる方法、限定承認はプラスの財産の範囲内でマイナスの財産を引き継ぐ方法です。ここまではよく知られていることだと思いますが、今回は限定承認について少し掘り下げてみてきたいと思います。

 

限定承認の利用者は驚くほど少ない。

「相続が発生したけれど、借金もかなりありそうだ。でも不動産などのプラスの財産もそれなりにある。どちらが多いかわからない。」なんていう場合は少なからずありそうですよね。特に故人が事業を行っていた場合なんかはそうですね。こんな時こそ限定承認の出番です。借金の方が多かったとしても、プラスの財産の範囲内で借金(マイナスの財産)を払えばよいので、最悪の場合でも差し引きゼロ、トントンで済みますからね。単純承認のように故人の借金を背負って苦しむこともありません。債権者は泣きますけどね。こんなに便利な限定承認ですが、実は驚くほど利用者は少ないのです。2022年(令和4年)の相続放棄の受理件数は260,497件だったのに対し、限定承認はの受理件数はたったの696件です。相続放棄の0.26%しかないのです。とっても便利な制度なのに、なぜこんなに少ないのでしょうね?

 

①相続人全員での申請が必要

限定承認には相続人全員での家庭裁判所への申述が必要です。限定承認のメリットを考えると反対する相続人などいないようにも思いますが、相続人同士仲が悪かったり、疎遠な相続人がいたりして意見の一致が難しい場合もあります。そもそも「ゲンテイショウニンって何?」「死んだお父さんのの借金をなぜ子どもの私が返さないといけないの?」という基本的なことから説明しなければならない場合もあるでしょうしね。それから限定承認の申述は相続放棄と同じく、相続発生からたったの3ケ月以内にしなければならないのです。故人の財産を調べて財産目録を申述時に添付資料として提出する必要もあります。これを3ケ月以内に相続人全員が足並みを揃えて行うのは至難の業です。また、1人の相続人が故人の預貯金を引き出して使ってしまった場合などは単純承認を選んだとみなされる場合ありますが、こうなると相続人全員での申述が必要な限定承認はできなくなります。以上のように相続人全員、というところが第一のハードルになります。では相続人の1人が相続放棄した場合はどうでしょう?相続放棄をすると始めから相続人ではなかったことになるので、残りの相続人で限定承認の申述は可能です。

 

②手続きが複雑で手間がかかる。素人にはまず不可能。

限定承認の申述が家庭裁判所に受理されたら、裁判所の指導のもとマイナスの財産を清算していきます。もちろんプラスの財産の範囲内で、です。この手続きを実際に行うのは相続人です。相続人が複数いる場合は、その中から家庭裁判所が相続財産清算人を選任し、この相続財産清算人が必要な手続きを全て行うことになります。

 

相続財産清算人がまず行うのは、債権者への通知です。「故人がなくなり、その相続人が限定承認をしたこと、一定の期間内に弁済の請求を申し出る事」を通知します。判明している債権者には個別に配達証明付き内容証明郵便で通知するのが一般的です。しかし限定承認は借金などのマイナスの財産がどれくらいあるかわからないから行うのであって、債権者が他にいるのかどうか?いたとしたらどれくらいの債権なのかなどはわかりようもないのでは?と思いますよね?ここで登場するのが官報による公告です。官報とは日本政府が発行する唯一の機関紙であり、内閣や各省庁が発表する文書や会社の決算報告、その他自己破産や会社破産の情報が実名入りで載ったりもします。この官報に先に述べた「故人がなくなり限定承認をしたこと、一定の期間内に弁済の請求を申し出る事」を掲載するのです。これを公告(広く告知すること)といいます。官報は各都道府県の県庁所在地にある官報販売所で売られていて、インターネット上でも過去30日分を無料で誰でも見ることができますが、官報を見る人は金融機関や信用情報機関で働く人など一部の限られた人たちです。故人の債権者が、故人が破産していないか?亡くなって相続人が限定承認していないか?と心配になって官報を隅から隅まで毎日見ているのはレアケースでしょうね。

 

いずれにしても2カ月の期間を設け、この公告を見て債権者が名乗り出てくるのを待つのです。名乗りでてきたらその債権者を含めて、名乗り出てこなかったら判明している債権者だけに対して債務の弁済を行っていきます。弁済の順序については民法で細かく決められています。

 

預貯金などはそのまま弁済にあてることができますが、不動産は競売により換金して弁済します。プラスの財産を使いきったら、弁済はその時点で終了、弁済を受けられなかった債権者は泣くことになります。全て弁済してプラスの財産が残ったら相続人が相続することになります。以上のような手順で精算が終わったら限定承認の手続きは終了、手続き期間は半年~1年くらいです。どこにいるかわからない債権者をあぶりだして家庭裁判所の管理のもと清算手続きを行うでのすから、これくらいはかかるのも致し方ないのかな、と思います。

 

このように限定承認はなんとも手続きが複雑で手間がかかりますし専門知識も必要です。果たしてこれを素人(一般人)ができるでしょうか?まず不可能でしょうね。弁護士などの専門家に手続きを代行してもらうしかないですが当然報酬が発生します。相続財産の額にもよりますが、数十万円~100万円、あるいはそれ以上になることもあると思います。

 

③不動産や有価証券に譲渡所得税がかかる場合がある。

相続財産の中に不動産や有価証券があり、故人(被相続人)が取得した時よりも値上がりして相続発生時に含み益がでている場合は譲渡所得税がかかります。税制上のルールにより、限定承認をすると被相続人から相続人へ時価で財産を売却したとみなされるのです。例えば、故人が5000万円で購入した不動産が、死亡時に8,000万円にに値上がりしていたとします。実際には売却はしていなくても、この含み益3,000万円を譲渡所得とみなし、譲渡所得税が発生するのです。所有期間5年以上の長期譲渡所得の場合、税率は20.315%となり譲渡所得税は3,000万円×20.315%=609万円、所有期間が5年以内の短期譲渡所得の場合は税率が39.63%になりますので、譲渡所得税は3,000万円×39.63%=1,189万円にもなります。なかなかの金額ですよね。でも何故この含み益に対し譲渡所得税がかかるのでしょうかね?いろんな説明がなされていますが、この含み益も故人のプラスの相続財産として、マイナスの相続財産を清算する原資となりえるからでしょうね。でも有価証券なら市場価格が明確なので納得感はありますが、不動産の場合はそもそも時価が明確ではないですし、実際には時価よりも安い競売によって換価したお金でマイナスの財産を清算するので納得感はないですが、あくまでも税制上の特殊な論理からくる制度なんでしょうね。

 

実際には限定承認の譲渡所得税は、元からあった故人のマイナスの財産にさらなるマイナスの財産として加算して精算するので、プラスの財産よりマイナスの財産の方が多い場合は払う必要がありません。しかし思ったよりマイナスの財産が少なく精算後にプラスの財産が残った場合は、この譲渡所得税はそのプラスの財産の中から納税しなければなりません。単純承認ならこんな譲渡所得税なんか発生しないので、限定承認なんかするんじゃなかった、と思っても後の祭りです。精算するまでどうなるかわからない限定承認にひそむ税制上の罠、とも言えますね。​​​​

 

以上のような3つの理由で限定承認の利用者はとても少ないのです。でも限定承認はメリットの多い制度なので、早めに専門家に相談して相続放棄と比較しながら検討すると良いと思います。