朴裕河パクユハ著 「帝国の慰安婦」を読む 2 | 気になる映画とドラマノート

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何日前にわたしが書いた集団安保肯定論について、「抑止力肯定は、 軍拡につながる」と言っていた人がいた。

 


 

 この「抑止論は軍拡につながる論」は、昭和40年1965年に岩波書店「世界」で坂本義和が言い出して、その後、長く人々に言い伝えられてきた。

 


 

 1964年10月、中華人民共和国の核実験強行の後に、それでも、日米安保による抑止力は、軍拡につながるから、いけないという結論の表明だった。

 


 

 しかし、大事な事は、日本もアメリカも、いつでも、その軍備はいらないじゃないか、と国民の大多数が思う自由も、そう思うように、マスコミが誘導する自由もあり、その軍備はいらないと思った国民が、軍備を減らさない政府を選挙で選ばないという形でリコールすることが可能だということだ。

 


 

 一党独裁国家では、マスコミが国民に反政府的な考えを広める事自体を許さないし、そのような選挙システムもない。

 


 

 したがって、軍拡を、ある時点で、もはや必要ないと判断して、縮小に転じる可能性は自由主義国の側にある。別の言い方をすれば、軍拡競争はいけないと、自由主義の側で国民が軍備を放棄したり、縮小を選択しても、一党独裁国家が軍縮する理由はなにもない。

 


 

 ましてや、尖閣が、台湾が欲しいというのに、まだ手に入れていない中国が軍縮するはずがない。

 


 

 抑止という軍拡には、もうひとつ平和と人権につながる効用がある。

 

 一党独裁国家というのは、情報を統制しようとするために、経済発展において、自由主義国よりもはるかに脆弱なので、アメリカの攻撃力充実に対抗して攻撃力を対等なものにしようとすると、軍事予算の負担に耐えかねて、国家そのものが崩壊してしまうのである。

 


 

 その兆候が、中国の富裕層の海外移住であり、実例がソ連解体だった。

 

 アメリカの攻撃力を可能にしているのは、対外債務によるとも言えるし、相当な部分は、日本がアメリカの国債を買っているからだが、日本がアメリカの国債を買う事のできる余力があるのも、米軍基地が中国、北朝鮮の暴発を思いとどまらせて、日本経済活動が盛んに継続しているからだ。

 


 

 つまり、軍拡競争の攻撃力と諜報活動はアメリカが負担するのであり、日本は防衛に徹しているのが実態で、軍拡は軍拡に違いないが、軍拡はやがて、一党独裁国家の軍事予算の過重負担に耐えかねた崩壊につながり、それは、長い目で見れば、中国の少数民族の解放につながるのである。

 


 

 もし、中国の軍拡に自由主義国側が、対応して軍拡しなければ、どうなるかといえば、中国は安いコストで、台湾を制圧できることになり、少数民族の抑圧を長期間にわたってできることになる。平和主義の理想が、逆に隣国の人権を否定された人々を見捨ててしまう結果になるのだ。

 


 

 坂本義和ら東京大学の良心派は、ちょうど今の安保法制とまったく同じく、日米安保条約締結は、戦争に巻き込まれることになる、と言ったのだが、結局、いまだに戦争に巻き込まれていない。巻き込まれるのではなく、日米協力体制に手を出せば、損だと思うから、口先で、歴史論争を続けるしかない状態に抑えられているのが、実態で、憲法が平和を守っているからではない。つねに、日本は抵抗する気があるか、と確かめるために接近が試みられているから、スクランブル発進が最近大幅に増えている。爆買いだけが、中國人ではない。


国会前でデモをしたり、県庁前で集会をしている人たちは、安保法制に反対する民主党を仲間だと思っているかもしれないが、民主党政権時代、当時の最新鋭戦闘機を自衛隊に導入しようと選定した事を忘れてはいけない。


 集団安保がダメで、自衛なら、戦闘機を増やしてもいいんだ、というなら、集団安保が実質的に機能しないような、自衛隊法を民主党時代に立法化したかといえばそれもしなかったのが、民主党なのである。


 今騒いでいる文化人たちも、民主党時代に、軍拡はいけないから、自衛隊の装備を増やすなと、求めもしなかった。


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26.朴裕河は、ウソが大きらいだということなのか、決着をつけようということなのか、朝鮮人の業者は、日本人女性の売買もしていたのだ、と書いている。40ページ

 


 

 27.朴裕河は、次のような慰安婦の例をあげている。民間人の客の中には、台湾人もいた。肌が日本人よりも黒くて、悪いにおいがした、と。

 

 (このようないたましい例は、おそらく、インド、南米、アメリカの開拓時代フィリピン、などに無数にある。これらがすべて並べて比べられたら、どんなによい事か。朴裕河の引用する森崎和江のルポルタージュを読むとどうしても、日本さえ、こうした女性に対する抑圧をしていなければ、世界は男女平等の理想社会であったかのような錯覚に陥ってしまうのだ。これは、正しくは貧しい時代のすべての人類の宿痾なのだ。朝鮮独特の問題でもないように、日本独特の問題でもない。

 


 

 28.朴裕河は、アジア全域にあった慰安所というのは、たいていは、元からあった遊郭なんだ、と言っている。46ページ

 


 

 29.朴裕河は、日本の、慰安婦プロパガンダに抵抗する人々の知っている事以上の認識を提供している。朝鮮の村長(面長)が、風俗業者に娘のいる家を教えたのだ、と。

 

47ページ この批判は痛烈だ。

 

「当事者である朝鮮人慰安婦は、日本は悪いが、その手先となった朝鮮人はもっと憎い」と言ったという声は重く受け止めるべきだ」朴裕河

 


 

 30。朴裕河によると、韓国人記者が、千田夏光に、「若い女は、慰安婦にし、中年女は、軍需工場へ送ったようです」と言ったことを勘違いして、千田夏光は次のように記述したのだという。千田夏光も韓国の記者も、日本で、戦時中に工場労働徴用の女子労働徴用を「挺身隊」と呼称したことをしらなかったらしい。「挺身隊の資格は、12歳以上、40歳未満の未婚女性で、総計20万人のうち、慰安婦にされたのは、そのうち、5万人から、7万人。」と完全に「徴用労働募集対象資格と慰安婦募集」を混同している。

 


 

 31.なぜこれが、明白な誤認かというと、挺身隊募集は、1944年からはじまったのだから、挺身隊募集の中から、慰安婦が出たのなら、慰安婦は1944年以降からはじまったことになるからだ。だから、まったくの混同なのである。

 


 

 32.史実は、男子対象の工場労働徴用が、1939年からで、女性対象開始が、1944年であり、「それさえも、朝鮮女性には、発動されなかった」(イ・ヨンフン教授)とされる。

 


 

 にもかかわらず、ソウル新聞1977年もまた、これを勘違いして、説明した。

 


 

 「この挺身隊は、事実上ナチスよりも残忍だった慰安婦」と書き、「工場と慰安所に別れた」と勘違いしている。

 


 

 33.このソウル新聞が、作家のハン・ウンサの解説を載せ、そこに「天皇の下賜品」というウソ、誇張があり、この証言が、現在のアメリカのリベラルな歴史学舎に採用されることになる。

 


 

 34.朴裕河によると、挺身隊というのは、中学在学生、卒業生が対象だったのであり、慰安婦とは、中学にいけない、貧困家庭の子女がなったものだという点でもまるでちがうという。

 


 

 35.日本の政府が、家事のさまたげにならないようにという意味で、「未婚の女性」としたものを、韓国では、未婚イコール処女と解釈して、処女をほしがる性的目的と曲解したと思われる、と朴裕河。(わたしは、そこまでは考えが及んでいなかったが、朴裕河の言うとおりだと思う。だから、現在でも、いたいけな乙女を性奴隷にした、と主張されているのだ)

 


 

 36.わたしたち自身、慰安婦の証言に誠実に向き合い、揺れ動く時、戦争末期の勤労動員令による工場へ旅立つ場面の事を言っているのか、風俗業者に連れて行かれる場面のことを言っているのか、つねに錯覚にさらされる。

 


 

 朴裕河によると、駐在所前に集められて、見送る家族が行かないで、と足元にすがり、泣くという場合、それは、公的徴用であって、警察が慰安婦強制連行に加担しているというのとは、まったく別の事態を言っているので、慰安婦というのは、単独で村を離れるのだ、と言う。(まったく、なるほど、と思わせる)