安保法制が憲法違反にならざるをえないわけ | 気になる映画とドラマノート

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 朝鮮戦争のさなか、現在のリベラルで良心的な「戦後民主主義」思想を継承する朝日・毎日・テレ朝報道ステーション・TBSニューズ23・報道特集系ジャーナリストたちの大学時代の思想的支柱をつくりあげた一群の文化人がいた。

 彼らは岩波書店「世界」を中心に論文を発表しつつ、平和問題談話会という党派を結成した。彼らこそ、いわゆる「進歩的文化人」の元祖である。

 学修院大学学長安倍能成、東京大学法学部長丸山真男、京都大学文学部教授桑原武夫、立命館大学総長末川博、東京大学の久野収らが主なメンバーであり、彼らは、朝鮮戦争について、おおよそ次のような見解を持っていた。

 朝鮮戦争は、北朝鮮のはじめた韓国に対する侵略戦争であり、これに対して国際連合の手続きを経たアメリカ・オランダ・英国などの国連軍が参加する平和のための国際的機関が、武力によって北朝鮮の侵攻を抑えようとすることは、正しいことであり、本来、日本が国際連合の共同行動に参加するべきところを、国際連合の好意によって、日本の参加をう免除してもらっているということに感謝しなければならない、と。

 この認識は、彼ら進歩的文化人の太平洋戦争、日中戦争の解釈が、中国に対する日本の侵略に対して、逃げず屈せず、日本に抵抗した抗日戦争であり、アメリカはこの中国の抵抗戦争に助力を与えつつ、やがて、朝鮮民族の奴隷状態から、朝鮮人を日本軍国主義から救出するために、正義の戦争を自国民の血を流すことをも厭わずに戦った。

 そして、日本の天皇制ファシズム・軍国主義・帝国主義を打ち破り、ついに、日本に戦後民主主義と平和憲法をもたらした。

 そして、日本は、今後、武力の放棄と交戦権を否定する憲法を堅持しつつ、もし、万が一、侵略されるような場合には、国連軍に助けを求める。その際、各国は武力を持ち寄って国連軍を形成するわけであるが、日本は、持ち寄る武力自体を憲法によって、禁じられている。国連軍を肯定しながら、国連軍にひとり日本だけが、武力参加しないという矛盾をどうするかといえば、それは、国際社会に好意を期待するのだ・・・とこう、彼ら「平和問題談話会」は言っていた。

 この時、平和問題談話会は、憲法9条の交戦権の否定を素直に読み取り、憲法は自衛権さえも否定しているのであり、ただ、それはもちろん屈従を意味しはしない。国連の助けを求めて、屈従を回避するのだ、と一応の理路を通した。

 だからこその朝鮮戦争における「北朝鮮の先に手を出した戦争への国連軍の制裁」に対する肯定だった。彼らは国連軍に「感謝」の言葉さえ述べたのである。なぜなら、国連軍の兵士が、北朝鮮の侵略を止める正義と公正の応戦のため、命を落としているのであり、そういう正義と公正の応戦に、日本が参加しない状態について、なぜ、日本は参加しないのかと非難しないでいてくれる国連に「感謝」したのである。

 ちなみに、三島由紀夫は、平和問題談話会と同様、正しく、憲法9条第二項を「自衛の否定」と解釈したのだが、三島由紀夫の場合は、日本の防衛を「国連軍による防衛」にゆだねて委ねられるものとは考えなかった。

 その結論が、自衛隊市ヶ谷総監部における自衛隊員への、呼びかけだった。
 すなわち、君たち自衛隊の諸君は、憲法によって否定された存在であり、日本が侵略されても、実際には、動けないのだ。日本を守ろうとする気持ちがあるならば、ともに国会議事堂に行って、この我々の主張を突きつけようではないか。そうしないことには、憲法の改正手順である国会議員の3分の2以上の賛成を必要とする改正手順では、諸君は、日本を守りうる存在には、なれんぞ、と。

 この三島の主張は無視され、三島は半ば無視されることを予期してか、予定通りの自決を遂げた。

 それはともかく、現在、護憲派(民主党・社民党・公明党・自民党左派)は、この平和問題談話会の憲法観を、いつのまにか、すっかり修正してしまって、次のように主張している。

 9条は、個別的自衛権を否定してはいない。したがって、自衛隊は合憲である。違憲なのは、集団的自衛権と海外PKOだ、と。

 なぜ、護憲派は、「平和問題談話会」の言う「自衛権はない。だが、滅亡や屈従はできないから、国連軍に防衛を託する」という考えを変えたのだろうか。

 そこには、変えざるを得ない次のような事情があった。

 公明党も社会党も、長い間、あたかも、政権与党になる日は来ないかに思われた日々が続いた。しかし、ついに、自民党金権政治が国民の不信を買い、自民党、社会党の連立政権が成立する日が来た。

 その時、社会党の党首、村山富市を首相に推すから、その代わり、政権を自民党と社会党の連立という形にしてほしいという申し出に対して、社会党は、この機会を逃せば社会党は永遠に、国民に国政担当能力が社会党にも有ることを示すことができなくなる、と自民党との連立を受け入れた上で、党首村山富市を首相とした。

 この時に、持ち上がったのが、自衛隊を違憲と解釈する社会党の党首が首相になった場合に、重大な矛盾が出来することに気づいたのである。

 というのも、戦前の日本は、軍の最高指揮権は、名目上、天皇にあり、実質上はその天皇の統帥権の代行者は、首相ではなく、陸軍、海軍そのものであった。これを、戦後日本は、アメリカ大統領が国軍の最高指揮官であるのに、ならって、内閣総理大臣が自衛隊の最高指揮命令権者だとしていた。

 そうなると、いつ何時、国家存亡の危機が起きないとも言い切れない以上、「自衛隊の存在自体を否定する人物が自衛隊の指揮官である事」は、ありうべからざる矛盾になる。

 この矛盾を前に、社会党は、村山富市を首相にすることを諦めて、従来の自衛隊違憲論を死守するか、それとも、自衛隊違憲論を放棄して、首相に社会党党首をつけるかの究極の選択を迫られた。

 その結果が、従来の自民党政権が、憲法を改憲したくても、護憲派が多いために、改正できない、それでも、自衛隊は必要だ、という矛盾を前に、苦し紛れに編み出した「憲法9条」といえども、自衛権は否定してはいない論の取り入れだった。

 ここに、平和問題談話会の「憲法9条は自衛も否定している。だから、われらは生存を国連軍に委ねる」という論理の放棄が起きた。

 こうして、福島瑞穂は、いまでは、「憲法は個別的自衛権は否定していません。わたしたちが違憲だと言っているのは、集団的自衛権と、自衛隊が海外に行く事が違憲だと言っているのです。」と広言するようになったのである。

 現在非暴力にして極左といいいうる護憲派の考え方は、共産党、社民党、公明党ともまた、違う。極左の護憲平和というのは、「戦争の場合は、指揮官が前線に行くこと」という憲法を作れば、政府は戦争をできなくなる、という主張である。

 現在この考えを採用している国会議員は皆無だ。そりゃそうだろう。北朝鮮や中国が暴発した時に、日本の総理大臣、官房長官が真っ先に最前線に行く、などというルールを作れば、敗けるに決まっており、敗けるに決まっているなら、侵略に応戦する意味がない。結局、侵略されたら、服属しましょう、と言っているのと変わらないことになる。

 香山リカの「侵略されたら逃げましょう」論もまた、これと同じで、国連軍に頼むということとともちがって、犬が腹を出して仰向けになって、媚を売って助かろうとする護憲もたしかに世の中には存在する。

 国会議員の護憲派というのは、辻本清美を含めて、自衛隊による応戦という個別的自衛権だけは認めるということになった。(政権を担う可能性を信じない日本共産党だけは、気楽に、自衛隊を違憲と主張し続けているのかもしれない。)

 ただ、これもまた、大きな矛盾が生じるのである。
 集団的自衛権を否定して、個別的自衛権を肯定するということは、究極的には、次の事態を意味してしまうのだ。

 1.個別的自衛権を認めるということは、当然、国防の備えを必要とする事を意味する。

 2.国防の備えは、周辺の軍事情勢によって、増強を迫られたり、減らしたりすることになる。

 3.集団的自衛権のある場合、脅威が100なら、二国で、60と40の協力をして、120の効果をあげて、抑止力に替える事が可能だ。

 問題は、集団的自衛権を否定すると、二国で、60と40の協力をして、120の効果をあげて、抑止力に替える事が不可能になり、その結果100の脅威に対して一国で、100の抑止力を用意しなければならなくなる。これは、なにを意味するかというと、40の国防力を持つ国が、残りの60の軍事力を同盟国にカバーしてもらうおかげで、40の軍事力んぽ保有国にとどまっている事が可能だったものが、孤立して、100の軍事力を保有する国に変化せざるを得なくなることを意味するのである。

 以上のように、集団的自衛権の否定は、一見、平和主義のように見えて、その実、国防の必要を認める前提に立つ以上、他との協力を考えず、単独で防備するということは、それだけ、大きな武力を備える状況に突入することを意味するのだ。

 なにもそこまで説明するまでもあるまいが、危険な場所に行く時、二人か三人で行くなら、役割分担して行けばよく、各人は、なんでもかんでも準備して行く必要はない。

 ところが、ひとりひとり、わたしはわたし、あなたはあなた、遭難してもてんでに勝手に帰りましょう、となれば、各自が皆、あらゆるサバイバルグッズを携行しなければならなくなる。この道理が「個別自衛肯定・集団的自衛権否定」論者には、この道理がわからないらしい。集団的自衛権否定こそ、日本を単独で中国の核攻撃に対抗する規模の巨大重武装国家に導く論理なのである。

福島瑞穂、辻本清美、香山リカをはじめ、護憲派は、「憲法があったから、日本は朝鮮戦争に参戦しなくて済んだ」と言っている。

 だが、この認識は間違いなのである。
 なぜなら、「朝鮮戦争」とは、「参戦しなくて済んだ」というような性質のものではなく、進歩的文化人の「平和問題談話会」が考えたように、共産主義統一という目的のためには、戦争という手段をもいとわないという悪魔の選択を、「逃げたり、屈従しての平和」ではなく、国連軍による応戦という抵抗をしたという正義の戦争だったのであるから、「参戦しなくて済んだ」という性質の戦争のものではなかった。

 この北朝鮮による侵略を「平和が一番大事」という論理で、抵抗せずに、また、国連軍も助力していなければ、今頃、朝鮮半島全域は共産主義国家なのだから、「参戦しなくて済んだ」は、あるまい。

 あらゆる戦争が悪だというなら、インドネシア独立戦争もインド独立戦争もキューバ独立戦争も皆、悪だということになり、なんのことはない、「黙って英国に支配されていればいいじゃないか、平和が一番なのだから」ということになる。あげくの果ては、朝鮮の独立闘争も、抗日戦争も皆いけない、平和が一番、侵略者といえども、話し合いが大事、ということになる。ならば、中国の抗日戦争も、平和の破壊者で、黙って日本の言う事を聞いていれば、戦争にならなかったに、という事になる。

 また、事実、アメリカが石油禁輸しようとどうしようと、平和のためには、アメリカにしたがっていればよかったんだ、そうすれば、死者は出なかった、というのが究極の平和主義なのである。

 冗談はともかく、日本が朝鮮戦争に参戦しなかった本当の理由は、「憲法が禁じたから戦争に参戦したくても、できなかった」からではない。当時も今も、日本国民は、「戦争はこりごりだと思っていたために、」はっきり言えば、良く言って、「戦後まもなくで、国際協力のもと、韓国国民を助ける共同行為に参加できないから勘弁してほしい」ということであり、悪く言えば、「他国の危機などかまっていられない」という国民の意思を無視すれば、自民党政権は選挙で国民にそっぽを向かれることを吉田首相が知っていたからなのであり、「憲法が止めた」のではなく、止めたのは、「戦争はこりごりだ」という国民の意思の実在なのだ。

※実際には、朝鮮戦争に韓国側が敗北すれば、朝鮮半島全域が「戦争をはじめた金日成共産主義政権におおわれて、半島に設置されたミサイルがまともに日本に向かう事態を意味したので、これを恐れた当時の日本政府は、昭和25年9月、国連軍の要請に応じて、日本の海上保安庁の掃海艇を朝鮮半島沖に派遣して、日本人8千名が掃海部隊として参加。そして、約60名の日本人が犠牲になった。その犠牲者は、日本の目と鼻の先に狂気の独裁国家が出現する事を阻止するための戦いの過程での、犠牲死だった。
 にもかかわらず、福島瑞穂は、平和憲法があったから、日本は朝鮮戦争にまきこまれずに済んだ、と言っており、愚かな朝鮮民族の紛争のせいで、60人の日本人が死んだことを忘れてしまっているのである。

憲法学者が、安保法制を違憲とするのは、当然であって、なぜなら、アメリカ合州国憲法は、アメリカ政府に、アメリカ国民の生命、財産を国軍により、保護することを命じており、そのサボタージュを禁じて、政府を縛っているが、日本国憲法は、それとはまったく逆方向に政府を縛っている。すなわち、日本政府は、他国からの武力侵略に対して、国民を武力応戦によって、守ってはならぬ、という形で政府をしばる。もともと、そういう憲法である以上、安保法制が憲法違反であることは、当たり前なのである。

 この日本国民を政府は守るな、守ってはならぬ、という自殺法を制定したマッカーサーは、その憲法を1946年2月21日に書き上げた。

 中華人民共和国建国は、1949年であり、日本国憲法をアメリカが考えた時点で、アメリカは、中国が蒋介石という、アメリカの大富豪でクリスチャンの宋ファミリーを後ろ盾とする親米政権の中国と認識しており、世界に敵国の懸念があるのは、ソ連と日本だけであった。日本に対しては、その時、アメリカは、二度と、アメリカに楯突く可能性のない憲法を与えて、改正の困難な改正条件を付加してやれば、あとは、世界にアメリカのいうなりにならないソ連だけという認識が、1946年2月の状況だった。

 その状況下で、アメリカは、日本という国が、二度と、アメリカにとってやっかいな存在にならないように、日本政府は日本国民の生命財産を守るな、という縛りをかけたのである。アメリカ合衆国憲法の場合は、政府にアメリカ国民を他国の武力侵略の脅威から、武力によって守れ、政府の不作為を戒める縛りがかけられている。したがって、日本政府が安保法制を策定しても、それが憲法違反になるのは、まったく当然至極で、
不思議でもなんでもない。その上で、アメリカがその憲法の改正のハードルを高くした。

 戦後70年が経過したが、憲法は改正されていない。つまり、アメリカは、日本を100年ごろしにかけたことになる。こうなっては、日本は、中国、韓国、北朝鮮が自滅することを願うしかない。安保法制が、アメリカの作った憲法によって阻まれるということは、カギのかからない家が、強盗が病気になって倒れる事を期待しながら、暮らす事に相当する。それが、超大国アメリカに敗北した結果であり、それでも、日本はソ連に敗けるよりは、アメリカに敗けて運が良かった。アメリカは、日本が技術大国になることだけは容認する国家だったのだから。