北朝鮮と日本の自称戦後民主主義者 3 | 気になる映画とドラマノート

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165ページに、驚くべき文章を小田実は書いている。

 

 「文学の目的ははっきりしている。「人びとを革命家として育てあげるということだ」(北朝鮮の方針がそうだ、と言う」

 


 

 この北朝鮮の言う「文学の目的」を聞いて、激怒しないで、たんたんと紹介できる小田実は、あたまがおかしいのではないか。

 


 

 文学、映画、は、自由な精神の恣意的な選択で空

 

想でも、実体験でも、なにを目的としても、かまわない。すくなくとも、目的がはっきりしている事がそれ自体、人間の抑圧になることが、文学芸術の逆説な特性だ。

 


 

 小田実がそのことにまったく無頓着で、「人びとを革命家として育てあげるということ」が、北朝鮮の文学常識だということに、なんの反駁もしない小田に憤りさえ覚える。

 


 

 なんたる間抜けか。

 


 

 小田実は、北朝鮮が、「ハムレット」が陰謀、策略、嫉妬がうずまいているから、きれいな心を持った青少年に向いていないから、教えない。と、平気で書いている。

 


 

 ふざけた話ではないか。

 


 

 202ページで、小田実は、中国の文化大革命を政治権力、経済機構、文化運動、風俗習慣の総点検だと書いている。

 


 

 ばからしい。文化大革命は、ほんとうは、中国の旧体制の学者をつるしあげて、毛沢東独裁体制を強化した政治思想闘争に過ぎない。

 


 

 小田実は、とにかく、キューバ革命であれ、北朝鮮のチュチェ思想であれ、マルクス主義革命を愛してやまないバカものだった。

 


 

 小田は、「スペイン市民戦争」の著者ヒュー・トーマスがキューバのカストロを批判したのに対してなんとも奇妙な感想を述べている。

 


 

 「西ヨーロッパは、まだ、実際に革命を成功したことがないくせに、いい気な事を言うな」と言うのだ。

 


 

 つまり、小田の頭のなかでは、まず、社会主義革命と名のつく建国があれば、それはなによりかにより、立派な事で、社会主義政権の成立したことのない日本やアメリカや英国、フランス、ドイツ(西ドイツ)なんぞは、つべこべ、社会主義社会に批判めいたことを言うな、たとえ、ヨーロッパにおける、左翼やアメリカのリベラルでも、許さんぞ、という気分になって、ムカムカがおさえきればくなるというのだ。そして、日本やアメリカやヨーロッパのようなまだ、社会主義政権が確立されていない国の知識人が、キューバや気朝鮮のいいいところを見つけてあげれば、気分がいいらしい。

 


 

 208ページに、小田実は、中国人の圧倒的大多数にとって、北朝鮮の人々は、中国が日本に侵略された時、助けてくれた国なのだ、と書いている。

 


 

 ※この認識は、小田実の勘違いではないのか?ほんとうに中国人の大多数は、北朝鮮人にそういう恩義のようなものを感じているのは、事実だろうか?いったいなにを指して小田実は、ここで、 中国人の圧倒的大多数にとって、北朝鮮の人々は、中国が日本に侵略された時、助けてくれた国なのだ、と書いているのか、さっぱりわからない。

 


 

 小田実は、「大半の中国人にとって、アメリカ合州国は、敵対意識をもって向き合う国ではないだろう」と書いている。

 


 

 これは、小田実はどういうつもりで書いているかというと、日中戦争で中国を侵略したのは、日本であって、アメリカではないから、中国人はアメリカに敵対意識を持っていないはずだ、というのだ。小田は、ここで、アメリカは毛沢東の敵の蒋介石を援助し、中国からすれば、喉から手がでるほどほしい、台湾を中国にわたさないのが、アメリカだと言うことを忘れて、ただただ、日本の中国侵略に執心して、そのために、中国はアメリカを敵視していないと思い込む。

 


 

事実はまったく違う。歴史を素直に検討してみれば、簡単なことであって、清朝が崩壊した時、中国大陸には、群小軍閥が乱立した。この群小軍閥を、もっとも軍事力の強かった蒋介石国民党が次々に武力討伐していった。この間、多くの住民が犠牲になった。また、

 

 日本撤退後、アメリカの支援を受けた蒋介石国民党とソ連の支援を受けた毛沢東共産党軍は壮絶な内戦を繰り広げて、ここでも、多くの罪のない犠牲者が出た。

 


 

 中国は、この中国人どうしが戦争して殺し合い、住民を犠牲にして収奪した事を、すべて日本の仕業だとしたのである。

 


 

 だからこそ、毛沢東は、1957年7月には、全共産党員に向けて次のように周知した。

 


 

 また、国民にも、同じように教育した。

 

 「共産党内部に、帝国主義国のスパイがいる。国民党のスパイ、国民党の元将校、それに共産党員のなかの裏切り者である。」「この者たちは、中国の周辺を敵対勢力で固めようとしているアメリカ帝国主義者の片棒をかついでいる」と。

 


 

 そして、日本社会党の佐々木更三委員長が中国に訪問すると、毛沢東は、「日本が蒋介石国民党を弱らせてくれたおかげで、中国共産党は、国民党に勝利できた」と話している。

 


 

 これは、「太っ腹に」日本に寛容な態度を示したと考えたら、勘違いする。

 

 戦後まもなくの頃、中国人がほんとうに、中国人の戦争の苦難が日本によるものではなく、軍閥の内戦、国民党と共産党の内戦という中国人同士の内戦によって、惨憺たる体験をしたと内心知っていればこそ、「日本が蒋介石国民党を弱らせてくれたおかげで、中国共産党は、国民党に勝利できた」とまがりなりにも、言い得たのである。

 

 自国の尊い命が日本軍国主義に奪われたと本当に信じていたとして、「日本が蒋介石国民党を弱らせてくれたおかげで、中国共産党は、国民党に勝利できた」と言ったとしたら、冗談にしても、悪質ではないか。

 


 

当時、中国に、現在のBBCCNNほどの自由なテレビ局の報道があれば、歴史の真実は白日のもとにさらされたはずだが、皮肉にも、国民党、共産党のプロパガンダにより、戦後、日本人は、「すべて日本が悪い、」と思い込まされてしまったのである。

 


 

 だが、小田実は、無知のために、中国清朝崩壊後の国民党、軍閥、共産党などの漢民族同士の血で血を洗う抗争に眼が向かず、すべて中国の人々は日本に被害を受けたと思い込んだ。蒋介石国民党と共産党の内戦に言及すると、国民党の背後のアメリカに言及せざるを得ないし、アメリカを中国の共産党政権が憎んでいる理由を書くと、日本軍の害以外に、中国内部の内戦に話を持っていかざるを得なくなる。そうなれば、小田実が望む、日本はものすごい悪くて、全面的に中国にひどい事をした、という印象が薄くなる。

 


 

 だから、小田は、わざと、中国にアメリカを憎む理由がないと書く。

 

 理由はおおありなのだ。中国共産党の体制をアメリカは崩壊させようとしている。悪の帝国だ、アメリカは。と、国民に教えていたのだから、中国人はその頃、アメリカを憎んでいたのである。

 


 

 ユン・チアンの回想録「ワイルド・スワン」によると、共産党員だったユンの母は、思い出の品だという宝石類の国家への供出をしぶる、祖母を説得する時、「アメリカ帝国主義者の魔種から中国を守るため」と言ったという。いかに、小田の見方が間違いかわかるだろう。

 


 

 中国は、反米と反日を時々の情勢によって、つかいわけ続けていると言っていい。

 


 

 小田は、中国とはちがって、北朝鮮は、アメリカを非常に憎んでいる。と書く。

 

 なぜなら、朝鮮戦争で、朝鮮を空爆したからだ、と書く。滑稽なことに小田は、北朝鮮が韓国を先に侵略して、戦争をはじめたからこそ、アメリカが空爆したことは、書かない。

 


 

 北朝鮮のアメリカへの憎しみは、完全に逆ギレなのだ。

 


 

 212ページに、小田実は、フランス語を学ぶなら、アルジェリアに留学し、スペイン語を学ぶなら、キューバだと書いている。

 


 

 この一節を読んで、わたしは、自分が身近に実際に聞いた、奇妙な話を思い出した。

 

 知人がハワイに旅行に行って、英語を学ぶなら、ハワイが良さそうだね、と言ったら、それを聞いた人が、「ハワイではなく、ネパールの英語学校で英語を学んだほうがいいよ、」と言ったというのである。

 

 この話を聞いて、わたしは、ばかじゃないのか、ネパールで英語を学んでも、街頭や商店で生きた英会話が学べまい、と思ったが、もしかすると、「英語を学ぶなら、ネパール」と言った人は小田実の主張を何かで読んで真似たのじゃないだろうか。

 


 

 小田実は、英語なら、英国ではなく、タンザニアに行け、と書き、もっとすごいことを言う、東南アジアの人びとが日本語を学ぶなら、北朝鮮の日本語学科に留学して、日本帝国主義の支配の歴史をいっしょに学べばいい、と大まじめに書いているのだ。フランス語を学ぶなら、アルジェリアに行け、と言う。

 


 

 小田は調子にのったのか、ほとんどラリったようになって、「レバノンの山奥、イスラエルの国境近くのゲリラの根拠地にも北朝鮮製の自動小銃があった。そのときになつかしい気持ちが(小田実が、である。)したのだが、それはどうしてだろう。と、書いている。

 


 

 そして、「金日成さん(小田はこの本で一貫して、金日成さん、と表記している)は、「たたかう人間」を愛し、かれらのためには無理をしてでも助けの手を差し伸べるということにあって」

 


 

 だから、金日成さんは、日本のよど号の「のっとり犯人」をピョンヤンに受け入れたときも、「たたかっているひとか」と聞いたという。

 


 

 ※ばかばかしくてしかたがない。小田は戦っている人、と言うが、人生の苦難と戦っているわけではなく、暴力革命をたくらんでいるのだ。

 


 

 イスラエルの国境近くのゲリラは、テロリストで、それに北朝鮮は武器を供与していたのだが、小田実は、たたかう人への支援で、なつかしい気分になる、という。ホンモノのバカだ。

 


 

 220ページに、毛沢東思想は、西洋に対する苦しい戦いの中から生まれてきた自前の思想のひとつだ、と書いている。

 


 

 221ページには、金日成の「主体思想」は、「それはまぎれもなく今日の第三世界のひとつの思想的展開であることは事実で「北朝鮮」の人びとはその社会の発展の基礎とするところで、これまで抑圧してきた「先進国」を思想的にためし、挑もうとしている。」と大まじめに書いている。

 


 

 そこに眼をふさいで、思想的鎖国におちいりたくはない。と書いている。

 


 

 227ページには、朴正煕を「パクなにがし」と書いている。同書では、金日成のことは、一貫して、「金日成さん」だ。

 


 

 もし、日本の護憲派、市民主義者がいかに奇妙キテレツな世界観、人間観を持ったうえで、自分の眼で確かめてみたいと思ったら、図書館で、小田実の「「北朝鮮」の人びと」を借りて読むか、「朝鮮とわたし」をアマゾンで780円で入手して読んでみるとよい。、

 


 

 そこには、ここにわたしが要約を示したような、じつに倒錯した(社会主義かぶれにもとづく)病的な思想がまざまざと綴られている。

 


 

アメリカは実際には、パーレビ国王のイランを支援したり、クエートを支援したりしているし、王制の英国と協調しているし、米英戦争をおこしてもいる。また、パク・チョンヒ軍人政権を支援してもいるし、フィリピンのマルコス軍人政権を支援したこともある。

 


 

 つまり、アメリカの「日本軍国主義批判」「天皇制批判」というのは、建前に過ぎず、アジアの利権を求めた国益に日本が邪魔だと考えたために、日米戦争が起こったのであって、ルーズベルトの言った「朝鮮の奴隷状態を解放する」などという言辞は、アメリカ国民向けの美辞麗句だった。

 


 

 アメリカは判断を間違えたのである。もし、アメリカが、ソ連と中国の共産主義を強く警戒していれば、日本がドイツと手を結ぶ前に、日本との協調を日本に持ちかけて、すでにその時に日米軍事同盟が可能だった。

 


 

 アメリカが判断を間違えて、日本を追い詰めて、戦争に追い込み、小さな農業国にしてしまおうと目論だ時、日本はあたかも、延々と軍国主義であったかのような態様をさらすことになった。

 


 

 アメリカが日本を壊滅させて、一小農業国にした、武力も放棄させて、戦争の罪証意識も持たせて、発展の根を断った、勝った、と思ったその時、アメリカは、中国大陸の商業権益が、蒋介石の敗北によって消え去り、それどころか、中国全域、朝鮮半島、日本、東南アジアすべてが、共産主義化してしまうという恐ろしい事態に直面したのである。

 


 

 アメリカが石油禁輸によって、日本を追い詰めたのが、アメリカの失策だったというのは、朝鮮戦争でアメリカの兵士が多数死んだのも、ベトナム戦争でアメリカの兵士が多数死んだのも、日本を壊滅させて、中国に共産党政権を誕生させたからである。

 


 

 これが、北朝鮮をうみ、ベトナムに波及した。

 


 

 アメリカは、イランのパーレビ国王と協調したように、日本の近衛内閣と協調すればよかった。そうすれば、もともと、東條内閣は生まれていない。東條内閣がうまれたのは、日本がアメリカに追い詰められて打つ手がなくなったあとの話なのである。

 


 

 戦後の左翼史観は、まるで日本が軍国主義だったから、東條英機が首相だっかのようあなイメージを作っている。しかし、順序がちがう。近衛内閣で、アメリカの対日政策が強硬になり、追い詰められたあとに、東條英機が首相になったのであって、アメリカは東條軍人内閣を追い詰めたのではない。

 


 

ただ、それでもどうしても疑問として残るのは、仮に日米が協調して、日米戦争が回避されれば、沖縄戦はなく、原爆投下のなかったろう。そして、中国大陸は、日本アメリカが、協同で開発したろう。朝鮮半島は分断されず、朝鮮の長い文化特性があるため、連邦制になったかもしれない。だが、その時、まちがいなく、ベトナム、インドネシア、インドなど東南アジア諸国は、今でも、フランス、イギリス、オランダ領だったろう、ということだ。つまり、ソ連は、共産圏がないために、もっと早く崩壊し、中国は、蒋介石政権は、大陸で民主化に転じたろう。

 

 ただし、問題は、インド、東南アジアは、そのとき、フランス、イギリスの召使いのような職業が多数を占める社会状況に変わりはなかったろう。

 


 

 これが、わからないのだ。だから、こうすれば、悲惨な歴史は防げたという道すじは、本当は、なかったのだと思われる。

 


 

ここまで考えて見ると、ひとつの奇妙な事実に思い当たる。

 

 日本の戦後民主主義者は、朝鮮戦争、ベトナム戦争を明白に「民族解放戦争」と解釈してきた。小田の文章にも、はっきりそう書いてある。しかし、その解放とは、彼ら戦後民主主義者にとって、「英米の植民地支配からの解放」であると同時に、「大地主、資本家階級からの解放・・・すなわち、共産主義革命」を是とする解放を意味した。

 


 

 だが、戦後民主主義者は、日本国民にこれを明示することなく、韜晦したうえで、あたかも、民族解放戦争とは、民族自決戦争のことだとごまかしてきた。実は本音は、大地主、旧特権階級打倒、資本家打倒と民族独立が同時であるような事を指して、民族解放戦争と言っているのだということが、小田実の文章を詳細に読み解いていくとわかった。

 


 

 だが、これはよく考えると、とんでもない間違いだったのではないか。

 

 民族自立はたしかに必要だった。アジア人は、フランス人やイギリス人の召使いのような立場、文字通り、召使いのような職業の多い状態に置かれているべきではなかった。だが、それは、民族自立がなればよいだけの事で、大地主、旧特権階級打倒、資本家打倒を込みにする必要は、もともとなかったのだ。

 


 

 この錯誤が日本の戦後を連綿と覆って、北朝鮮、中国にこいがれて、その結果が、歴史認識の歪みと、拉致被害を生んだのである。

 


 

 いいのだ。大地主、金持ち、貴族なんか、いたって。皇室、ロイヤルファミリーがあっても。アメリカのエスタブリッシュメントがいても。格差があったって。無理につぶせば、独裁と言論統制国家が生まれるだけなのだ。少しずつ修正していくしかないので

 

このことがわからなかった事から生じたのが、連合赤軍の国内外のテロで、罪のない警察官が殺されたり、中核と核マルが殺し合いをしたりした。

 


 

民衆の蜂起による政治権力の打倒それ自体は、善でも悪でもない。なぜならば、民衆の暴動による政権奪取によって、イスラム原理主義国家になる場合もあるからだ。

 


 

 ところが、フィリピンの軍人マルコス政権を民衆暴動が打倒した時、日本のマスコミは無条件でもてはやした。そして、数年後には、フィリピンはちっとも、豊かにならないのを見て、軍人政権を倒しても、財閥支配は倒れていないことに気づいた。

 


 

 だが、ほんとうは、これは、民衆暴動による権力打倒をイコール善だと考えることが、間違いだったのであり、むしろ共産主義よりも、財閥の存続はベターだったと考えるべきなのだ。財閥の消滅は、かならず民衆の幸福につながるとは限らない。共産主義や宗教原理主義が財閥をつぶせば、財閥があった格差社会より、もっと悲惨な事態が起きるのだ。

 

 それが人間世界のややこしさだ。

 


 

 ※ピケティの格差論が話題になったが、格差、不平等は、本当はまったく問題になるはずがないのである。持てるものがますます持てる社会。それがどうして問題であろう。

 


 

 格差ではなく、極貧のある社会が、ダメなのだ。

 


 

小田実、大江健三郎等を戦後民主主義者という。彼らの民主主義とは、朝鮮民主主義人民共和国の民主主義と同じであり、共和、すなわち、民主であるがゆえに、皇室をなくしてしまいたいという筋道を持つものだった。

 


 

世の中には、原子力発電の危険性には、敏感で、社会主義の危険性には、鈍感な人と、逆にわたしのように、社会主義(共産主義)は危険極まりなく感じて、原子力発電の危険性については、新幹線や飛行機、リニアモーターカーの事故と同じくらい実感がわかない種類の人間がいるらしい。

 


 

なぜ、社会主義は危険なのか。それは、いくら大江健三郎が社会主義社会を望んでも、その社会主義の権力者が原子力を肯定したり、核兵器を肯定しているにもかかわらず、大江が、原子力に反対したり、核に反対すれば、てめえは、いいことばかり言ってるが、セレブな生活を満喫して、海外旅行ばかりしてるっじゃねえか、と強制収容所にぶちこまれれるのが、社会主義であり、資本主義と自由主義の国家では、政府批判はいかようにもゆるされ、セレブ生活をしながらの、反政府主張も許されるのである。