ロベルタ・ウールステッター「真珠湾 警告と決定」
第二次世界大戦が終わると、アメリカの空軍のOBたちは、シンクタンク「ランド研究所」を設立した。
目的は、「ソ連撃滅の戦略を研究構築して、共和党、および政府に提案すること」
日本はアメリカとちがって、ランド研究所のような他国を敵視警戒する研究所を持たなかった。
北朝鮮による拉致被害、韓国による「従軍慰安婦の「強制連行のデマ、中国による「南京大逆殺の誇張宣伝」も、持続的な「研究警戒体制」があれば今日ほどの状況にたちいたることもなかったろう。
ランド研究所の費用は、空軍、国防総省、フォード財団が拠出し、アメリカの一流の学者を集めた。
以後、ランド研究所から29人ものノーベル賞受賞者を輩出。
2013年に大統領補佐官に就任するコンドリーザ・ライスも、ランド研究所出身だ。
ロベルタ・ウールステッターも、ランド研究所に所属する学者で、彼女は、日米戦争当時の開戦にいたる文書にアクセス可能だった。
ロベルタ・ウールステッター
「なぜ(アメリカは)日本側が提示した暫定案(戦争回避の妥協案)へのアメリカの回答として、ルーズベルト政権がもっとも極端なかたちの、(日本側を徹底的に追い込む案)要求を提示したのか、理解に苦しむ。日本側がそれをすぐさま最後通牒とみなした理由も理解できる。」
当時の陸軍長官ヘンリースチムソンの日記
「問題はわがアメリカが多大な損害を被らずに、いかにして、日本の第一撃を引き出すかだった。これは難問だった。