みなさん人は何で生きるのか、とお悩みのかたは?
いないか。あなたは、ちがいますよね。私も違います。
でも、もし、その答えが聞いてみたい人が読んでいるかもしれないから、ひとつ書いてみましょう。
ネットではときどき、僧侶のかたが、なにやら説いているのを見ますが、ありゃ全部眉唾。
「いまあたえられた場所にに咲く」だかなんだか、そんなのもありましたが、ああいうのは、「キセル」です。
「キセル」というのは、長距離列車のキップ買うと時の、例の「ズル」のこと。つまり、最初の区間と、最初の区間だけ、買うことね。
仏教系の、僧侶も、キリスト教系のシスターも、そういう人の講話を聴いて喜んでいるくらいなら、聖書をちゃんと地道に読むべきです。よーく読み込んで、もし、自分の頭で咀嚼できるならば、自分で自分に助言できるようになる。人に助言する必要なんかないんです。自分がさっぱりすれば。あの、シスターや僧侶たちは、何やってんですかね、人の世話より自分が人生を、世界を追究せよ。
「いまあたえられた場所にに咲く」なんかより、よほど明快な教えが聖書にも、仏教の「法句経」にも、あるのに、それを読めといわずに、つべこべ言って、偽の感動で言うほうも、聞くほうも、一緒に感激してますね。
それはともかく、人間、基本は、腹が減ったから食った、眠くなったから、寝たら、目が覚めた。これ大事。食わないと病気になるよ。基本この枠内で生きているうちに、眠ると意識がなくなる時があると同じで、死ぬだけのことです。
こう、考えると、こんつめていらいらするのも、ぢおうかというのが、ほんとうななんだが、事実として、ストーカー殺人やら、親子殺人、兄弟喧嘩は絶えない。
こういうのは、風邪ひいてりゃ起きないんだよ。はっきり言えばね。風邪ひいて、熱ある人は、凶悪事件なんか、やれない。いかに、人間、自分の意思の通りには生きてるつもりで、そうじゃないことか。
まず、そこから、はじめよう。
悩んでいる人は、風呂に入ることだ。
うまいスィーツをひとつ。